第86話「国民の娘なのじゃ!」
リスタ祭が終わってから半月が経過していた。あの夜の翌日には帰国の途についたフェルトたちは、報告のためにフェザー領をに立ち寄ったあと帝都に着いている頃である。
国外の王族との婚姻ともなれば外交官を続けることはできないが、それは彼も覚悟の上だった。リスタ王国側でも彼の外交官の才覚を認め、婚姻が成立するまでは王配としてではなく外務大臣補佐の職を用意することになっている。諸々の手続きなどで半年以上はかかる見込みであり、九ヵ月後の正式発表までには、再びリスタ王国へ戻ってくる予定だった。
リスタ王国 王都 『止まらぬ魚亭』 ──
婚約の件は内々のことで口外されていないが、最近城下では妙に浮かれているリリベットが目撃されており、前々からの噂もあってか「これはいよいよか?」等と噂が広まりつつあった。
大通りから少し外れたところにある酒場『止まらぬ魚亭』でも、職人風の中年男性と海賊風の中年男性が酒を飲みながら噂話をしていた。
「うぉあぉぉぉぉ」
かなり酔っ払っているのか、職人風の男性が泣きながら机に突っ伏している。海賊風の男性は呆れた顔で酒を飲みながら嗜める。
「おいおい、まだ噂じゃねぇか。泣いてんじゃねーよ!」
「だ……だってよ、俺ぁ陛下ちゃんのこと、実の娘のようによぉ」
国民からは敬愛されながらも、実の娘のように可愛がられているリリベットである。もし噂ではなく彼女が嫁に行くという話にでもなれば、国中でこんな風景が見かけれることになるだろう。
「まぁ、もし本当だったとしても、いい話じゃねーか。顔もよし、性格も良いらしい、家格だって大貴族だって話だぜ?」
「だから、酒を飲むしかねぇんじゃねーか、ちくしょーめ!」
職人風の男は、海賊風の男からジョッキを奪い取ると一気に飲み干す。
「あっ、テメー! この野郎! ……まぁいいや、おーい酒追加だぁ!」
あきれ果てた海賊風の男は、ウェイトレスに向かって手を上げながら注文をする。しばらくしてジョッキが二つテーブルに置かれた。
「そう言えば、お前……あっちの噂は聞いたか?」
「うぁ? あっちの噂ってアレか? 先代様に隠し子ってやつかぁ?」
「馬鹿っ、声が大きい! そうだ、それだよ」
声を潜めながら言う海賊風の男に、職人風の男は豪快に笑いながらジョッキの酒をぶちまける。
「がっははははは、そんなわけあるかぁ! 万が一そんなことがあっても、俺ぁは陛下ちゃんの味方だぜぇ!」
酒を浴びせかけられた海賊風の男は小刻みに震えていたが、ついに爆発して
「上等だぁ、この野郎! 俺だって味方するに決まってんだろぉが!」
と叫びながら相手の胸倉を掴んだ瞬間、二人の頭に拳骨が降り注いだ。頭を押さえながら見上げると、『止まらぬ魚亭』の女将が仁王立ちで見下ろしており
「うちの店で暴れるんじゃないよっ!」
と言い放つのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 学府エリア 校門前 ──
そんな酒場の一件から、さらに二ヶ月半が経過していた。学府エリアの整備は最終段階を迎えており、学府エリアの中央街道、通称『教授通り』では飲食店を中心に、実際に営業を開始している店舗もある。
この通りが『教授通り』と名付けられたのは、もちろん学芸大臣タクト・フォン・アルビストン教授に因んでだった。このエリアの建設中にアルビストン大臣が、この街道を駆け回って建設現場を行き来して問題を一つ一つ解決していったため、学府エリアでは殆ど問題はなく作業が進んでいた。その姿と働きに敬意を表して、建設作業従事者を中心に『教授通り』と呼び始めたのがきっかけである。
その日、学芸大臣アルビストンと財務大臣ヘルミナは、学府エリアに視察に訪れていた。木工ギルドのギルド員に一通りの状況の説明を受けたあと、二人で校舎を見上げている。
「ついに完成ですね、先生」
「あぁ、やっとだ。この分なら年明けの開校には、何とか間に合いそうだよ」
アルビストン大臣は、校舎から目を離し後ろを振り向くと教授通りの方を向いた。校舎だけでなく周辺の環境もだいぶ整いつつあり満足げに頷く。しかし昨日まではベールが掛かっていてわからなかったが、少し違和感のある建物に目が留まった。
「ん? あの建物は……確かヘルミナ君の友人の……」
「友人ではありません!」
ヘルミナに思ったより強く否定され驚くアルビストン大臣。そんな教授の様子にヘルミナは慌てた様子でフォローをしつつ尋ねる。
「あっ! すみません、先生。……えっと、それであの建物がどうしたんですか?」
ヘルミナはそう言うと、アルビストン大臣と共に狐堂二号店の店舗前まで歩く、なんと校門から徒歩数秒の好立地である。
狐堂二号店は大通りにある狐堂とは違い、お洒落な雰囲気の店構えをしていた。それどころか建物自体がリスタ様式の建物ではなく、どちらかと言えばクルト帝国の帝都で見られるような建物になっている。
「ふむ……彼女は、なかなかのやり手のようだね」
「えぇ、商才だけは目を見張るものがありますね。時々犯罪スレスレの行動に出るので困ってますが……」
ヘルミナは呆れた口調で感想を述べる。アルビストン大臣がファムに対して感心した点は、大通りと教授通りでは客層の違いが出るだろうことを予測して、建物の雰囲気をガラッと変えてきたことである。
「彼女を講師に招いたらどうだろうか? 商人希望の学生向けに……」
「やめましょう! あんな商人ばかり増えられても困ります!」
そんなヘルミナの様子に、アルビストン大臣は笑いながら彼女の帽子の上に手を置く。
「はははは、確かに聞いた限りでは、商道徳の授業が別に必要そうだがね」
アルビストン大臣が、こんな提案をするのにはわけがあった。開校にあたり生徒を募集したところ、国から助成金も出るということで生徒数が予想以上に膨らみそうなのである。
それに対して起こりうる問題は教室や教員の不足だった。開校当初は教室も少なく、人員も少ないため限定的な受け入れにすることは、当初からわかっていたことだが如何せん厳しい状況だった。
「まぁ候補として検討してみよう」
アルビストン大臣は少し考えたあと、そう呟いたのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 厨房 ──
リスタ王城の厨房は、コック長であるコルラード・ジュスティとコックたちの主戦場である。特にリリベットの食事は、コルラードしか作ることを許されていないため、週に一度彼が休む際はマリーの当番が回ってくるのだ。
そんな厨房は現在昼食の準備のために大忙しの時間だったが、何故かリリベットが持ち込んだ椅子にポツンっと座って厨房の様子を眺めているため、緊張からコックたちの動きはぎこちないものになっていた。
その緊張に耐えかねた若いコックが、リリベットに話しかけてみるが
「気にせず調理を続けるのじゃ」
と一蹴されてしまうのだった。困り果てたコックたちは、別室で献立を考えているコック長のコルラードを呼びに行くことにした。
しばらくして厨房に現れたコルラードは、リリベットに向かって尋ねる。
「陛下、厨房は俺たちの聖域だ。陛下とは言え勝手に入って来られては困ります。なぜそんなところに座ってるんですか?」
「うむ、最近聞いた話に妻は料理が上手いという話があったのじゃ。それに妻になったら料理を作れるのが当たり前と聞いたのじゃ!」
それを聞いたコルラードは溜息をつき、リリベットを小脇に抱えるともう片方の手で椅子を持ち、そのまま厨房の外に連れ出すのだった。
「陛下には必要ありません!」
「な……なんでじゃ~!」
◆◆◆◆◆
『建設現場の事件』
大臣の活躍でほとんど問題がなかった建設現場だったが、リスタ祭から一月が経過したある日、一つの事件が発生していた。
とある寮の予定地の基礎工事で地面を掘り起こした際に、四人の男性の死体が発見されたのだ。すぐさま衛兵隊が出動して調査が行われたが、服以外の持ち物はなく身元は不明な上、膝や腕の骨が砕かれている以外は外傷はなかった。
状況証拠しかなかったが、リスタ祭期間中に起きたとされる事件と条件が一致したため、その事件の加害者ということで処理されることになったが、服毒したのが未知の毒の可能性を考慮して侍医ロワによる検死が行われた。
しかし毒物は『ザハの毒』であると判明したため、四人の死体はそのまま埋葬されることになったのである。




