第85話「夜空なのじゃ!」
リスタ王国 王城 食堂 ──
その日の昼頃、リスタ祭の閉会式が行われ一週間にわたり開催された祭りが終わりを告げた。殆どの外国の使節団は閉会式の前後で帰国の途についたのだが、クルト帝国の外交官であるフェルト・フォン・フェザーは未だに滞在しており、リリベットと夕食を共にしていた。
この夕食の席には他に同席する者はおらず、食堂にはリリベットとフェルト、それに給仕とメイドがいるだけである。
「お疲れのようだね、リリベット?」
リスタ祭の期間中は二日目にフェルトと遊びに出た以外は、ほぼ公務をこなしていたリリベットは様々な人々と会い、色々な議題について話し合いをして疲れていた。その顔には少し疲れが見えていたが、それでも心配させまいとフェルトに対しては笑顔を向けて
「大丈夫なのじゃ! まだ明日の大掃除があるのじゃ!」
と答えるのだった。その無理をして強がっている彼女の笑顔を見つめながら、フェルトは少し考えたあと、やがて決心したように頷く。そんなフェルトにリリベットは首を傾げる。
「どうしたのじゃ?」
「いや、リリベット……後で時間ないかな?」
「うむ? 今日の公務はもう終っておるのじゃ」
なぜか自慢げに胸を張るリリベットに、フェルトはクスッと笑う。
「少し聞いて貰いたいことがあるんだ」
「聞いて貰いたいことじゃと? ……今ではダメじゃろうか?」
「あはは……もう少し静かなところがいいかな」
朗らかに笑うフェルトに、リリベットは『静かな場所』について考え始める。しばらくして何か良い案を思いついたようで、嬉しそうに微笑を浮かべた。
「うむ、それならいい所があるのじゃ。とっておきの場所に招待してやろう!」
「へぇ、それは楽しみだ」
そんなリリベットの笑顔に、フェルトにつられて微笑むのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 北バルコニー ──
リリベットの部屋から出れる南側のバルコニーとは違い、海側の北バルコニーは通常使用していない、かつてのロードス王の執務室から出れる場所である。ノクト海が一望できるリリベットのお気に入りの場所で、小さい頃は祖父であるロードスとよく海を眺めに来ていた思い出の場所でもある。
現在は夜であるため、海は見えないが波の音と海風がとても心地よい。
「へぇ……これは素晴らしいね」
「そうじゃろう? ここは、わたしのお気に入りの場所なのじゃ!」
バルコニーに出た瞬間に広がっている満天の星空に、目を見開いて感嘆の声を上げるフェルト。その彼にリリベットは自慢げに微笑んでいた。城下の灯りがある南側と違い、リスタ城の北側には海しかないため星の輝きを邪魔するものは殆どなく、夜は美しい星空が観れるのだ。
「いい場所だね、リリベット」
「そうじゃろう! そうじゃろう!」
フェルトに褒められてニマニマしているリリベットは、フェルトに向かって手招きをしている。フェルトが彼女に近付くと、急に袖口を引っ張られた。
「ん? 地面に座るのかい? ……うわっ」
言われるままフェルトが地面に座ると、リリベットは彼の脚の間にスッポリと収まりモゾモゾと動いて自分の場所の確保している。突然なことにフェルトは慌てた様子で尋ねる。
「リリベット、一体何を?」
「ん~? お爺様とよくこうして星や海を眺めていたのじゃ!」
懐かしそうにそう言うと、丁度いいポジションを見つけるとフェルトに寄りかかりながら大人しく空を眺めている。フェルトもつられて星空を見上げていたが、しばらくしてからリリベットが口を開く。
「……何か話したいことがあるのじゃろう?」
「そうだね……なんだか、そんな雰囲気ではなくなってしまったけど」
リリベットが首を傾げると、彼の胸元で動く彼女の髪がくすぐったく感じていた。
「僕は君を支えれると思うんだ……」
しばらくの沈黙のあとフェルトは囁くようにそう言うと、リリベットは目を瞑ったまま体重をフェルトに預ける。
「今も支えて貰っているのじゃ」
「いや……そう言う意味じゃ……っ」
フェルトがそこまで言うと、リリベットは不機嫌そうな顔で後頭部で彼の胸を叩く。そして、立ち上がり振り向くとフェルトを睨みながら問い詰める。
「わかっておるのじゃ! 一体、誰の差し金なのじゃ? 母様か、それとも宰相じゃろうか? お主が自分から、そんなことを言うとは思えぬのじゃ」
フェルトは少し驚いた顔で、リリベットを見上げるとクスッと笑う。
「差し金って……本当に君は聡い子だね。縁談の話があったのはお二人からだよ」
その言葉にリリベットは拗ねた表情で、そっぽを向いてしまった。フェルトは一度立ち上がると埃を払い、改めて傅くとリリベットを見上げる。
「でも……決めたのは僕自身さ、君なら僕を僕として見てくれる。残念ながら、まだ男として見てくれてないようだけどね」
フェルトはそう言うとウィンクをしながら、左手の掌をリリベットに向けた。
「母様や宰相が決めたということは、国が決めたようなものなのじゃ。わたしは女王として、これを拒否する明確な理由も見つけれぬ……が!」
リリベットはそこまで言うと、フェルトの方を向き真剣な眼差しを彼に向ける。
「自分の相手は……自分で決めるのじゃ!」
少し顔を赤くした彼女は叫ぶように宣言すると、フェルトの掌に自分の少し震えた左手をそっと乗せた。フェルトはホッとした表情を浮かべると、優しく彼女の指先を掴む。そしてポケットからリングを取り出して彼女の薬指に通した。
自分の指には明らかに大きい指輪をじっと見つめてから、リリベットは子供のようにカラカラと笑いだした。
「あははは、ぶかぶかなのじゃ!」
「それは祖母……つまり君のお婆様でもあるんだけど、彼女から頂いてきたものだからね。右手で摘んで軽く力を込めてごらん」
リリベットは言われた通り左の薬指に引っかかっている大きな指輪を、右手の人差し指と親指で摘むと少し力を加える。すると指輪は徐々に小さくなり、彼女の指にピタリと填まったのだった。
「ピッタリになったのじゃ!」
「それは祖父が祖母に贈った婚約指輪でね。填めた女性の指に合うように魔力でサイズが調節される指輪なんだよ」
フェルトの祖父 ── つまり先代フェザー公は、とても古いタイプの武人で女性の指のサイズなどわからず、プロポーズする段階で散々迷った挙句、職人に頼み込んでサイズが調整される指輪を作らせたのだ。ある意味、これから成長していくリリベットにはピッタリの指輪だと言える。
リリベットは左手の薬指にピタリと填まった指輪を、マジマジと見つめながら
「なんだか不思議な気分なのじゃ」
「あはは、僕もだけどそろそろ行こうか?」
フェルトの言葉に彼女はキョトンとした顔を向ける。そんな彼女に笑顔を向けながら答える。
「叔母様に、ご報告しなくては」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 先王妃寝室 ──
しばらくあと夜分の訪問だったが幸いヘレンはまだ起きており、フェルトとリリベットはすぐに部屋に通されることになった。部屋の中ではベッドの上で上半身だけ起こしているヘレンと、彼女付きのメイドであるマーガレットが控えていた。
「夜分に失礼します、叔母様」
「いいのよ、貴方たちならいつでも歓迎するわ……あら? あらあら、まぁ」
フェルトの後に隠れるように立っている娘の薬指に填められた指輪の輝きに気が付くと、ヘレンは目を輝かせながら朗らかに微笑んだ。
「フェルト、決めてくれたのね?」
「はい、正式な婚約発表は、通例に従って彼女が十になってからになると思いますが……」
「えぇそうね。あぁ、本当に良かったわ! あら……リリー、どうしたの、元気がないようだけど?」
ずっと心配していた問題の解決に喜びを隠せないヘレンだったが、部屋に入ってからリリベットが一言も喋ってないことにようやく気がついた。ヘレンに尋ねられたリリベットは、そっぽを向いて視線を逸らす。その様子にヘレンはビクリと身を震わせると、側に居たマーガレットに尋ねる。
「マ……マーガレット、リリーが怒っているようなのだけど?」
「はい、あれは完全に拗ねてますね。やはり勝手に縁談を進めたのがまずかったのでは?」
「えぇ、でもリリーのことを想って……」
などと話し合っているが、ヘレンにしてみれば初めての反抗的な態度をとった娘である。その様子に戸惑いを隠せずオロオロとしている。
「リ……リリー、怒っているの? ひょっとして嫌だった?」
オドオドと尋ねてくる母を一瞥すると、首を振って答えるリリベット。
「……嫌じゃないのじゃ」
その言葉にホッとしたヘレンは、手招きをしてリリベットを近くまで呼ぶ。リリベットはベッドの上に乗るとヘレンの腰の辺りに抱きつく。ヘレンは優しく彼女の頭を撫でる。
「ごめんね。リリー、貴女に何も言わずに進めてしまって、でも母様は貴女のことを想って……」
ヘレンの言葉にリリベットは返事をせずにぎゅっと抱き締める。その様子にマーガレットはお辞儀をすると、そのままフェルトの横を通り過ぎて部屋から出て行くのだった。その際、軽くフェルトの袖を引っ張っており、二人きりにしようという意図を感じたフェルトは同じようにお辞儀をする。
「では、叔母様。僕は宰相閣下にも報告に行ってまいります」
「あら……わかったわ」
その言葉にリリベットは顔を上げてフェルトを見る。フェルトは微笑みながら軽く手を上げる。
「リリベットは、もうしばらく叔母様と一緒にいるといい。宰相閣下への報告は僕だけで行ってくるよ」
そう行って踵を返してドアに向かうフェルトの背中に、リリベットが呟くように言う。
「……リリー」
フェルトが首を傾げながら振りかえると、真っ赤な顔をしながら
「リリー……これからはそう呼ぶとよいのじゃ!」
と告げると、再びヘレナの腰の辺りに顔を埋めたのだった。ヘレナはそんな娘の様子にクスクスと笑う。フェルトも少し照れた表情で
「それじゃ……リリー、おやすみ」
と告げて、部屋を後にするのだった。
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『婚約発表の時期』
婚約自体は産まれた際やもっと幼い時にしてしまう貴族も多いが、婚約の発表となると十歳まで待つのが普通である。
理由としては貴族の女児は十歳になると、お披露目を兼ねて社交界にデビューするからであり、社交界のデビュー = 結婚相手捜しに他ならないからである。
リリベットに関しては二歳にして戴冠が行われた関係で、そう言った慣例に従う必要はないのだが、それでも通例に従って十歳まで待つことになったのである。




