第80話「夜食なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
建国記念式典パーティを中座したリリベットは、自身の寝室に戻ってきていた。体調が優れないという理由での中座だったが、単純にあの場に居たくなかっただけである。
大きなガラス製の扉を開けると、涼しい夜風が吹き込んできた。髪を止めていたピンを全て取り払い、いつもの髪型に戻したリリベットの髪がその風でゆらゆらと揺れている。
そのままバルコニーに出ると眼下には街の灯りが見えた。普段では薄暗い灯りもリスタ祭開催中は燦々と輝いている。リリベットは国民が一つになって騒いでいるこの雰囲気が好きだった。
しばらく眺めていると急にリリベットのお腹が鳴り始めたので、慌てて両手でお腹を押さえる。ずっと公務として国内外の賓客から挨拶を受けていたので、水分補給の飲み物以外はほとんど口にしてなかったのだ。
「これは何かを食べなければ、寝れそうにないのじゃ」
リリベットはそう呟くと部屋に戻り、ベッド横のサイドテーブルの上に置いてあったベルを二回鳴らす。しばらくしてマリーが寝室に入ってきた。
「どうなさいましたか、陛下?」
「うむ……お腹が空いたのじゃ、何か食べるものを持ってきて欲しいのじゃ」
リリベットの注文に、マリーはにっこりと微笑んだ。
「丁度良かった、毒見が済んだところです。すぐに運んでいただきますね」
「ふむ……運んでいただきます?」
マリーのおかしな言い回しに首を傾けるリリベット、マリーが前室に続くドアを開けると、そこには皿を両手に持ったフェルトが立っていた。
彼はそのまま中に入ると、近くにあるテーブルの上に皿を置く。リリベットは突然のフェルトの訪問に驚いた様子で固まっていたが、フェルトは彼女の手を差し伸べながら食事に誘う。
「何も食べてないんじゃないかと思ってね。ほら、一緒に食べよう」
「なぜ来たのじゃ! お主は、あの令嬢たちと話して……っ!」
ソッポを向きながら叫ぶようにそこまで言うと、再び鳴り出したお腹を慌てて両手で押さえた。そして恥かしそうに俯いたまま、フェルトの手に自分の手を置き、導かれるまま食事が置かれた席に座る。
「いつもはお祈りしてから食べるけど、こんなにお腹が空いているんだ。神もお目こぼしくださるはずさ」
フェルトはウィンクしながらそう言うと、さっそく食事に手を伸ばした。帝国人であるフェルトはヘベル教徒であるが、それほど謙遜な信徒ではないし、一刻も早く食事を始めたいリリベットへの配慮である。
それを見てリリベットも食事に手を伸ばす。食事は記念式典で用意されていたものを、いくつか拝借してきたものだった。
しばらく後、二人が食べ終わった食器をマリーが片付けている。リリベットはソファーに移ろうとフラフラと歩き出し、途中で力尽きてフェルトの腰の辺りにしがみついた。
「わっ、どうしたんだい?」
リリベットの返事は無く、いきなり抱きつかれたフェルトは慌てた様子で固まっている。
「あらあら……これは、もうダメですね」
食器を片付けてきたマリーが、リリベットの側に座り彼女の状況を確認する。どうやらご飯を食べて眠くなったようだった。
「フェルト様、しばらく支えていていただけますか?」
「えっ……えぇ!?」
いきなりリリベットのボレロを脱がしコルセットを外し始めたマリーに、フェルトはすぐに顔を背ける。
「すみません、少し抱き上げていただけますか?」
「えぇ!?」
戸惑いつつもマリーに言われたまま、フェルトは薄着になった彼女をなるべく見ないように抱き上げる。マリーは浮かび上がったリリベットの靴を脱がせると、ベッドに運ぶようにお願いする。
「これでいいですか?」
「はい、ありがとうございました」
リリベットをそっとベッドに寝かせたフェルトは、安心しきって眠る彼女の寝顔を見てクスリと笑う。
「それでは、僕はこれで」
フェルトが立ち上がると、マリーにお辞儀してから部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 大通り ──
大通りでは非番中のジンリィとミュゼが、初めてのリスタ祭を楽しんでいた。
「いや、賑やかな祭りだねぇ」
「そうですね、隊長! 賑やかなのは聞いてはいましたが、私も来たのは初めてです」
緊張しているのか妙に態度が硬いミュゼに、ジンリィは笑いながら首を横に振る。
「あははは、非番中に隊長はよしてくれよ。私のことはジンリィでいいさね」
「あ……はい、ジンリィさん」
そんなやり取りをしていると、前方が騒がしくなっているのに気がついた。
「捕まえろぉぉ!」
という声が聞こえ、ジンリィたちがそちらを見ると逃げている中年男性と、それを追いかけている二人の衛兵の姿が見えた。
「どうやら捕物らしいですね……手伝いますか?」
「いや非番中だし、衛兵の手柄を横取りすると後が面倒そうだ」
さほど時間も掛からず衛兵隊が取り押さえれそうだったので、衛兵隊との不要なトラブルを避けたジンリィだったが、逃げていた中年男性が発した一言で態度が一転した。
「どけぇぇぇ、ガキィがぁぁぁ!」
逃走犯の逃走経路に、孫と一緒に祭見物に出ていたヨドス司祭とその孫サーリャがいたのである。咄嗟のことに動けなくなっているヨドスたちに逃走犯が突進してくる。
「あっ、あぶない!」
ミュゼがそう叫びながら駆け出すが、とても到底間に合う距離ではなかった。その時、疾風が大通りを駆け抜けたのだった。
「こ・ど・も・に! 手ぇ出してんじゃないよっ!」
一瞬で逃走犯とサーリャの間に現れたジンリィは、そのまま逃走犯の横面に廻し蹴りを叩き込む。爆発したような激しい音と共に弾け飛んだ逃走犯は、そのまま横の店のドアを壊しながら店内に転がっていく。
ジンリィはしゃがみこむと、サーリャを抱き上げて彼女の頭を撫でる。
「お嬢ちゃん、怖かっただろう? 大丈夫かい?」
「わーい、お姉ちゃん、かっこいいの~!」
突然現れた正義の味方に大はしゃぎのサーリャ。ヨドス司祭も孫を助けてくれたお礼に何度も頭を下げている。そして逃走犯を追いかけてきた衛兵たちも敬礼してきた。
「これはコウ隊長! ご協力感謝します!」
ジンリィは少し困ったような顔をすると、犯人が吹き飛んでいった方向を指差しながら
「たぶん……生きてると思うんだが、後は任せるよ」
「はっ」
と返事をした衛兵たちは、犯人確保のため店のほうへ向かっていった。そしてジンリィはサーリャを降ろすと、ヨドス司祭に軽く挨拶し、ミュゼのほうへ戻って行った。
「かっこよかったです! ジンリィさん」
「いいから逃げるよ!」
憧れのジンリィの活躍に目を輝かせて出迎えたミュゼの手を掴むと、ジンリィは逃げるように人ごみに紛れていった。
しばらくすると、その後方で……
「ウチの店のドアがぁぁぁぁぁぁ!」
という悲痛な叫び声が響き渡ったのであった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 貴賓室 ──
前回の失敗から、クルト帝国は今回のリスタ祭への訪問に対して使節団を派遣しなかった。今回来ているのはフェルトとオズワルト、そして侍女のリュウレだけである。そのためフェルトたちには別邸ではなく、王城の貴賓室の利用が許可されていた。
リリベットの寝室から戻ったフェルトはソファーに座り、リュウレが入れてくれたお茶のような物を飲んでいた。
「うん、相変わらず独特な味だね。リュウレ」
ドヤ顔をフェルトに向けるリュウレだったが、同じものを飲んだオズワルトの顔は土気色になり小刻みに震えていた。しばらくして何とか気を取り戻したオズワルトは、フェルトに向かって尋ねる。
「そ……それで、フェルト様。明日のご予定は?」
「明日は午前中、フィン宰相と会談だね。午後はリリベットと祭り見物かな」
「わかりました、我々も同行致します」
明日の予定を確認をしたあと、オズワルトとリュウレは別室に戻っていった。彼らを見送ったフェルトは呟く。
「明日も忙しくなりそうだね……」
◆◆◆◆◆
『お茶のようなもの』
リュウレが用意してくれる黒ずんだ飲み物。一体何を入れて、どのようにして準備したのかは不明だが、飲むと「とてもよく眠れる」というのはフェルトの談である。




