第79話「嫌悪感なのじゃ!」
リスタ王国 王城 謁見の間 式典会場 ──
なかなか現れないリリベットを、まだかまだかと待ちわびる典礼大臣ヘンシュのもとに、小声でリリベットの到着とエスコート役の変更が伝えられた。
ヘンシュ大臣が音楽隊の指揮者とアイコンタクトを取ると、音楽隊は一度演奏を停止して入場の音楽を演奏し始める。そして、ヘンシュ大臣は会場全体に響き渡る声で
「リスタ王国 女王 リリベット・リスタ陛下 及び クルト帝国 外務大臣補佐官 フェルト・フォン・フェザー殿 ご入場!」
と告げた。その言葉に反応して衛兵が扉を開くと、リリベットとフェルトがゆっくりと入場してくる。その姿を見た人々は拍手をしつつも、驚きの表情を隠せないでいた。
「去年辺りから噂にはなっていたけれど、そういうことなのかしら?」
「もったいない……あの容姿と家柄なら、あのような子供でなくとも選び放題だろうに」
通常エスコートは夫や婚約者が担当するか、いない場合は父親や兄弟など勘違いされない者が担当するのが通例である。今回の組み合わせでは、内外に二人の仲をアピールするようなものだった。そんな周りの雑音は当然リリベットの耳にも届いており、澄ました顔のままフェルトに聞こえるかどうかの小声で呟く。
「すまぬのじゃ」
フェルトは少し驚いた様子だったが、そのままリリベットを玉座の前までエスコートすると、一礼してその場から離れた。
リリベットは振り向き右手を軽く上げると、音楽隊が演奏を停止した。
「皆の者、まずは国内外から足を運んでくれたことを感謝したいのじゃ。四十一回目の建国記念日を、皆と共に祝うことが出来て嬉しく思うのじゃ! ささやかではあるが宴を用意させて貰った、引き続き遠慮なく楽しんで欲しいのじゃ」
リリベットの挨拶が終わると、会場からは盛大な拍手が起こった。拍手が収まったのを確認してから、リリベットは玉座に座る。そして、右手を少し上げると音楽隊の演奏が再開された。
そして、リリベットの側には例年の通りに、各国の使者たちが次々に挨拶に訪れるのだった。
しばらく使者たちとの応対を続けていたが、ようやく途切れ。疲労感に沈んでいたリリベットの瞳には、楽しそうに若い令嬢に囲まれているフェルトの姿が映っていたのだった。
「むぅ、一人で楽しそうにしてるのじゃ……」
と呟きながら頬を膨らませるリリベットの元へ、一人の男性が近付いてきた。男性の年齢は二十歳ぐらいだろうか、まだ幼さが残るフェルトとは違い、彫刻のような整った顔だった。その男性がうすら笑いを浮かべて、フェルトの方を見ながら言う。
「あれはいけない……エスコートした女性を放って、他の女性と楽しむとはね」
機嫌が悪いところに、突然話しかけてきた男性に対して、怪訝そうな顔を向けるリリベット。隣にいた近衛隊長ミリヤムが、腰の剣に手を添えて一歩前に出た。
「お主には覚えがない、何者なのじゃ?」
リリベットの問いに男性はゆっくりと彼女から離れると、その場で優雅に一礼する。
「これは失礼しました……私はランガル、ランガル・フォン・レティ。以後、お見知りおきを、女王陛下」
「ランガル・フォン・レティ……レティ侯爵の縁者じゃろうか?」
レティ侯爵、リスタ王国西の国境に隣するクルト帝国の領地を治めている領主だ。リリベットの言葉に、大げさな身振りで信じられないという態度を示すランガル。
「おや覚えておられない? これでも以前、貴女に求婚したのですがね」
「きゅ……求婚じゃと!?」
リリベットは驚いた様子で、記憶を辿るように唸りながら首を傾げる。フェルトというかフェザー家を虫除けにしてから、ここ最近は縁談の話は無かったはずである。しかし、ふと小太りで口ヒゲを生やした大臣風の男を思い出した。
「あっ! ……あぁ、お主、もしやレティ侯爵の三男か」
「やっと思い出していただけたようで、大臣には『顔を見たこともない奴と結婚するつもりはない』と申されたそうで、やっと会いにくることができましたよ」
相手の素性が分かったことで、さらに不機嫌な顔になるリリベット。話を聞かない使者の顔を思い出したのもあるが、リスタ王国とレティ領とは元々仲があまり良くないのだ。東方のレグニ領のように軍事力で威圧はかけてこないものの、レティ領は外交面での嫌がらせが目立った。
「不機嫌な顔も可愛らしい……まるで小鳥のようだ。私は以前から貴女が欲しいと思っていたのですよ」
同じセリフをフェルトに言われれば、リリベットも笑顔で受け入れるだろうが、ランガルの笑顔も世辞も彼女を憂鬱とさせるものだった。
女王の仮面をかぶったリリベットが、ここまで嫌悪感を示す相手も珍しい。まとわり付く空気そのものが、蜘蛛の糸のように搦め捕り彼女を硬直されるのだった。
ランガルはリリベットに触れようと左手を伸ばす……が、その手は途中で何者かに掴まれた。
「リリベットが嫌がっている……その辺りでやめていただこうか、ランガル殿」
ランガルの手を止めたのは、いつの間にか近付いていたフェルトだった。いつも爽やかな空気をまとっている彼だったが、その顔は少し険しいものだった。掴まれた手を振り払うとランガルは不機嫌そうな顔をする。
「女性との会話を邪魔するのは、不躾ではないかね? フェルト殿」
「嫌がっている女性を助けるのは、紳士の務めですからね、ランガル殿」
フェルトは笑顔でそう答えたが、目は笑っていなかった。ランガルはうすら笑いを浮かべると口を開いた。
「紳士ねぇ……そう言えばフェルト殿、サリナ皇女との縁談をお断りになったそうですな?」
「サリナ皇女との縁談?」
初めて聞く話にリリベットは首を傾げていたが、フェルトはその言葉に眉を少し吊り上げた。あの縁談自体が口外されてないはずであり、皇族の体面を守るため知られた場合を考慮して、サリナ皇女から断る形をわざわざ取ったからだ。
「なぜ、知っている? と言った顔だね。簡単だよ、皇太后様にあの縁談を薦めたのは当家なのだから……しかし、まさか断るとはね」
突然突きつけられた事実に驚いた様子のフェルトだったが、体をランガルとリリベットの間に滑りこませる。
「貴方には関係のないことだよ。ランガル殿」
そこに腰の剣に手をかけたミリヤムが割って入る。
「お二人とも陛下の御前です! そこまでにしていただきましょうか?」
ミリヤムの警告と合わせて、周辺の近衛兵も玉座の周りを固める。ランガルは、フェルトとミリヤムに阻まれて見えないリリベットに対して一礼すると
「失礼しました、陛下。それでは私はこれで……いずれ、また」
と微笑みながら、その場を後にするのだった。
ランガルが去ったあと、フェルトは振り返ってリリベットを見つめると、優しく微笑みながら声を掛ける。
「大丈夫だったかい、リリベット?」
「……大丈夫なのじゃ」
リリベットはそう呟くと、玉座から立ち上がり数歩前に出て、騒然とした様子で騒ぎを見ていた賓客たちに
「皆の者、お騒がせしたのじゃ。わたしは少々気分が優れぬゆえ中座させていただくが、皆はそのまま楽しんで欲しいのじゃ」
と告げ、ミリヤムを伴ってその場を後にした。
主催者であるリリベットが去った会場では、若い女性を中心に
「あらあら、痴話喧嘩かしら?」
「あんなに小さいのにやるわねぇ」
「フェルト様、かわいそ~……でもチャンスかも!」
などと噂話が飛び交っており、一人残されたフェルトも弱った顔でその場を後にするのだった。
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『ランガル・フォン・レティ』
眉目秀麗で彫刻のように整った顔をしている。詩に長け、どちらかと言えば頭脳派である。それでも貴族の出なので剣術の腕もそこそこという噂だ。
何故かリリベットに執着しており、一年ほど前に大臣を通して縁談を組もうとした。




