第72話「教授なのじゃ!」
リスタ王国 王都 プリスト家 ──
翌日ヘルミナは王城近くにある私邸で、アルビストン教授が到着するのを心待ちにしていた。
しばらく待っていると玄関の方から馬の鳴き声が聞こえたため、ヘルミナは急いで玄関に向かう。家令の老執事とメイドが一人がすでに出迎えのために立っており、丁度馬車からアルビストン教授が降りてきたところだった。
「アルビストン先生!」
久しぶりに見た恩師の姿に嬉しそうに駆け寄るヘルミナ。そんな彼女の姿にアルビストン教授も穏やかに微笑みながら
「プリスト君、久しいな。また会えて嬉しいよ」
と答えながらヘルミナと握手を交わした。御者台から降りてきた従士がヘルミナに向かって敬礼する。
「プリスト閣下、任務完了いたしましたので城塞に帰還します」
「ご苦労様です。気を付けて帰ってくださいね」
ヘルミナも返礼しながら感謝を伝えると、従士は再び御者台に乗り込み馬車を走らせるのだった。それを見送った彼女は再び教授の方を向き直し、屋敷の中へ案内するのだった。
応接用の部屋に通された教授は、ヘルミナの対面のソファーに座っていた。メイドが二人にお茶の用意をしてから下がっていく。教授はティーカップを傾け一口飲んだあと、ほっとした表情をする。
「しかし本当に久しぶりだね、プリスト君。いや……ここは大学ではない。プリスト閣下とお呼びするべきだな」
「あははは、やめてくださいよ、先生。昔のままプリスト君で構いませんよ」
ヘルミナは照れながら恥ずかしそうに答える。教授は懐かしそうに彼女を見つめると
「では、プリスト君。君と最後に会ったのは、確か三年半ほど前だったか? 随分と成長して……」
教授はそこまで言うと、そこで言い淀んでしまった。目の前の少女が記憶のままの姿で、そこにいるのだ。彼女は乾いた笑いを浮かべながら
「あははは……お世辞は似合いませんよ、先生。最後にお会いした頃と、さほど変わっていないでしょう?」
「んんっ……いや、元気そうでなによりだ」
ヘルミナのやや自虐的な言葉に、咳払いしてから仕切り直して無難な返し方をする教授。そんな様子が少し面白かったのか、彼女は微笑を浮かべるのだった。
「さて先生……一応騎士団からは報告を受けていますが、一体何があったのですか?」
教授はもう一度紅茶を口に含み一息ついてから、背筋を伸ばして事の次第を話し始めるのだった。
数ヶ月前の出来事である。教授は帝立大学で働いていたが、ひょんなことから汚職事件を見つけてしまい、持ち前の正義感から先輩教授を告発した。しかし、その汚職事件には有力貴族が関わっており、八つ当たり的に彼も大学を追われることになったのである。
職を失った彼はレグニ領の領都にある大学から招聘されたのを機に、新天地を求めて移動していたのだが、その最中にフードの男たちに襲われたらしい。
最初の襲撃は雇っていた護衛によって撃退できたが、「もうこの国にはいられない」と覚悟を決めてリスタ王国を目指すことを決心したのだ。
しかし、その道中で再度襲撃され護衛も失ってしまい、命からがらリスタ王国へ逃げ込んできたと言うわけだ。
そこまで聞いたヘルミナは、教授に同情の眼差しを向けながら
「大変でしたね、先生。わかりました! 先生が、この国で暮らせるよう協力させていただきますね。それまでは当家にご滞在ください」
「すまないね、助かるよ」
教授はヘルミナの言葉に心底安心したのか、深く息を吐くと肩の力を抜いた。ヘルミナは不機嫌そうな表情を浮かべながら
「しかし、先生ほどの方にこんな扱いをするなど、帝国も見る目がありません!」
「ははは……君ほど私を買ってくれる子はいないからね」
やや元気のない笑いを浮かべた教授はそう呟くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
アルビストン教授が王都に訪れてから三日後、リリベットはヘルミナの紹介で教授との謁見を行うことになっていた。今回は正式な謁見ではなく内々の紹介ということで、謁見の間ではなく女王執務室を利用することになった。
部屋に入ってきた教授を笑顔で迎えたリリベットは、握手を求めながら名乗る。
「わたしがリリベット・リスタなのじゃ」
「初めまして、女王陛下。私はタクト・フォン・アルビストンと申します」
お互い名乗りながら握手を交わす。そのままソファーを勧められて、それぞれが席に着いた。
ソファーに座ったリリベット、その後ろに護衛としてミリヤムとマリー、対面にはアルビストン教授とヘルミナという状態である。
まずはリリベットが口を開く。
「アルビストン卿は……」
「ははは、アルビストン卿とは懐かしい呼ばれ方だ。私は領地も持たない名ばかり貴族でしてね、気軽にタクトとお呼びください、陛下」
朗らかに笑う教授に、リリベットは少し肩の力を抜く。
「うむ……ではタクト殿は、帝立大学で教鞭を振るわれていたと聞いておるのじゃ」
「はい、主に経済学を……数ヶ月前までですがね」
その答えにリリベットは頷くと、ヘルミナを一瞥する。
「そこにいるヘルミナから、お主に相応しいポストを用意して欲しいと頼まれておるのじゃが……残念ながら我が国には、まだ大学のような施設がないのじゃ」
「はい、何でも設立を進めているとか?」
「うむ、校舎を建てて諸々の準備に一年はかかるじゃろう。そんな状態じゃからな、わたしの権限でお主に用意できるのは『財務大臣補佐官』ぐらいなのじゃが、どうじゃろうか? かつての教え子の部下が嫌なら、他のポストを考えるのじゃ」
リリベットはそう言いながら条件等が書いてある書類を教授の前に差し出す。教授は書類を手にして一読すると深々と頭を下げる。
「私のような亡命者に、このような役職を用意いただけるとは、陛下の寛大なお心遣い感謝致します」
「うむ、では……汝、タクト・フォン・アルビストンを財務大臣補佐官に任ずるのじゃ。正式な書類は追って届けさせるのじゃ」
こうしてヘルミナの恩師である経済学者タクト・フォン・アルビストン教授が、新たに財務庁に加わることとなった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 南西エリア ──
アルビストン教授がリスタ王国へ来てから約一月が経過していた。ライムとナタリーの結婚式を明日に控え、リリベット不在の王都では木工ギルド『樹精霊の抱擁』によって、校舎建設のための基礎工事が始まっていた。
王国の決定により最初はさほど大きな建物は必要としないことになり、後に増築できるように設計された校舎は半年もかからず完成する予定だ。
本日は校舎の建設予定地である南西エリアに、ヘルミナと教授が視察に来ていた。初めてこの場所を訪れた教授が呟く。
「本当に何もないエリアに建てるのだな……」
「後々の事を考えて、ここを学府エリアとして発展させるつもりです」
吹き曝しの空き地しかないので風が強く、帽子が飛ばされないように押さえながらヘルミナが答えた。教授は唸りながら頷く。
「都市計画によって進められる周辺の建設ラッシュで、急増した人口に対応する仕事量を捻出すると同時に、経済を回すわけか……なるほど、立案者は宰相閣下と聞いたが、よく考えられているな」
恩師に国策が褒められて、ヘルミナは嬉しそうな表情を浮かべる。ヘルミナがふと校舎予定地を見ると、正門が出来る場所のすぐ前の空き地に立て看板が立っていることに気がついた。
「えっと……なになに、『狐堂二号店予定地。ヘルミナちゃん、ウチここに予約するわ~』と書かれているね。これはプリスト君の友人かな?」
「いえ、ただの悪徳商人です……後で作業員に撤去してもらいます」
頭を抱えながらそう答えると視察の続きに向かった。
この後も周辺で作業中の木工ギルド職員たちに「困ったことはないか」と聞いて回り、一通りの要望を聞いたあと、二人の視察は看板の不法設置以外は無事に完了するのだった。
◆◆◆◆◆
『手作り感溢れる立て看板』
木工ギルドのギルド員たちは、交替で夜を徹して作業を行っている。そんな横を手作り感溢れる不恰好な看板を担いだ狐耳の少女は、鼻歌交じりで看板を突き刺すと
「ここに店を構えれば、ガッポガッポやで~」
と楽しそうに呟くのだった。
後日──
狐堂には、土地は「公平を期すため抽選」を行う旨の書状が届くことになった。




