第59話「信号旗なのじゃ!」
クルト帝国 フェザー公爵の館 執務室 ──
修練場を後にしたフェルトは父であるヨハン・フォン・フェザー公爵と共に、彼の執務室まで来ていた。
「長男にも、お前にも引っ切りなしに縁談の話が舞い込みよるわ。兄弟揃ってモテるな、はっははは! あぁ、これだこれだ……ちょっと断り難いのが混じっててな。それでお前を呼んだのだ」
ヨハンは豪快に笑いながら、執務机の隅に置いてあった何枚かの封書の中から、二枚抜いてフェルトに差し出した。フェルトはうんざりした顔で封書を受け取る。
「父上……結婚するにしても、まずは嫡男であるレオ兄さんからが筋でしょう?」
フェルトの兄であるレオナルド・フォン・フェザーは、クルト帝国の軍務大臣を勤めており、次代の宰相と目されている人物である。眉目秀麗で未婚かつ将来が有望視されているため、当然縁談の申し込みの量はフェルトに舞い込んでくる話の比ではない。
「私としてもそろそろ身を固めて貰いたいのだが、どんな条件でも首を縦に振らんのだ。ひょっとしたら好いてる女性がいるのかもしれんな」
全てにおいて自分より秀でていて何でも出来てしまう兄が、思いを寄せている女性のために頑なに縁談を断ってるという話に、思わずクスリと笑ったフェルトはようやく封書に視線を落とす。
「こ……この紋章は!?」
驚いた様子のフェルトに、ヨハンは困った表情を浮かべながら
「断りにくいだろ?」
と尋ねるのだった。
◇◇◆◇◇
ノクト海 海上 海賊船 ──
波は穏やかだったが朝方だったため、海上には少し霧が出ていた。マストの上では見張りとして若い海賊が望遠鏡を片手に周辺を監視している。霧の向こうに中型船の影が見えたので、若い海賊は甲板に向かって叫ぶ。
「お頭ぁ! 前方に中型船ですぜ、どうしやすか?」
その言葉に船長風の中年男性は首を振りながら尋ねる。
「あ~この辺を通ってる中型船っていや、リスタのだろ? 放っとけ、こっちから攻撃さえしなきゃ大丈夫だ。そのまま進めぇ!」
「アイアイサー!」
船は両方ともそのまま進み、徐々に近付いてきている。再びマスト上の若い海賊が叫ぶ。
「お頭ぁ! 黒だ……黒い旗を掲げてるぜ?」
「黒だぁ? じゃリスタの船じゃねぇな? どこの船だ? バカな奴らだぜ、総員襲撃の準備を始めろぉ!」
公海上の船は、所属国を示す旗を掲げなければならないのが国際上のルールだ。リスタ王国の旗は真紅であり、それ以外は襲っても問題はないというのが、この辺りの海賊の一般的な考え方だった。船長の号令に対して、屈強な海賊たちが弓や大砲の準備を始める。
しかし、マスト上の若い海賊が半狂乱気味に叫び声を上げた。
「お……お頭ぁぁぁぁ! 白い髑髏だぁ! 大髑髏旗だぁぁぁぁ!」
その声に目を丸くした船長と海賊たちは、持っていた武器や砲弾を投げ出して、慌てた様子で操船に参加する。
「大髑髏旗だとぉ!? 逃げろ、逃げろ! 航路を開けるんだ。面舵一杯!」
黒地に白い大きな髑髏の旗は、伝説の大海賊グレートスカルの旗である。
今は殆どリスタ王国の旗を掲げているが、三十年程前に一度だけリスタ王国の船舶に喧嘩を売った海賊がいた。その時に全ての王国旗が大髑髏旗に替わったことがあったのだ。
その時の話は今では船乗りたちの語り草になっており、近寄る船は海賊船や商船はおろか軍艦ですら無数の砲弾を撃ち込まれたという。結果としてリスタ王国の船を襲った海賊が滅びるまで、周りの船にも多数の犠牲が出たのだった。つまり大髑髏旗を掲げている時は、グレートスカルが本気で怒っている時なのである。
その経験から船乗りの間では
「大髑髏の旗を見たら死ぬ気で逃げろ、命が惜しかったらな!」
と言う言葉が、酒盛りの締めの挨拶になってるほどである。
右舷に避けた海賊船も通り過ぎる際に、相手の左舷からの砲撃を受け数発被弾するが、何とか航行不能にはならず離脱に成功した。
「ふざっけんなっ! 俺の船がボロボロじゃねぇか!……そういや、最近グレートスカルに喧嘩を売った馬鹿がいるって聞いたが、そいつのせいか!?」
と砲撃を受けた海賊の船長は、船の惨状を嘆きながら叫ぶのであった。
この話は即座にシー・ランドの海賊中に広まり、リスタ方面であるノクト海南部からは、海賊船の姿が極端に減ったという。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 近衛隊詰所 ──
王城内にある一室では近衛隊長であるミリヤム、衛兵隊長ゴルドとシグル・ミュラーの三人がテーブルに広げた地図を囲んでいた。
なぜ、この三人が集まっているかと言えば、部隊戦術の勉強をするためである。ゴルドは傭兵隊に所属し長年衛兵隊を率いてきたが、ミリヤムは個の強さは王国屈指だが元々は冒険家であり、集団戦もパーティ単位程度までしか経験がなかったのだ。そこで部隊戦術についてシグル・ミュラーに教えて貰うことにしたのだった。
シグルは地図上のコマを動かしてから
「では、この場合はどうしますか?」
と尋ねる。敵部隊三百に対し、味方部隊が二百、敵はこちらに気がついていないという内容の課題が出された。
「全軍で突撃して殲滅する?」
首を傾げながら答えるミリヤムに、軽く眩暈を覚えるシグル。ポンッと手を叩いてから、ミリヤムに向かって
「わかりました……では、この中に貴女はいないと想定しましょう」
ミリヤムが何でもありの戦いをすれば、この程度の戦力差は何とかなってしまうため、彼女を抜いた状態で考えることを、まず教えなくてはならなかった。
『兵法とは、一番弱い兵を基準に考えてそれでも勝てる方法を探る学問である』と言うのが、シグル・ミュラーの持論である。
「俺なら、そうだな……百五十残して、五十を後ろに回りこませるか」
「さすがゴルド隊長はわかっていますね」
シグルは頷きながらゴルドを褒める。そうなると面白くないミリヤムである。苛立ちながら、横に座っているゴルドの足をゲシゲシと蹴りを入れている。
「蹴るんじゃねぇよ」
「ふんっ!」
と、ソッポを向くミリヤムだったが、シグルは彼女に向かって
「では、次の問題です。この分けた部隊を……まぁ別働隊と名付けましょう。別働隊は移動したあと、すぐに攻撃を仕掛けるべきでしょうか? それとも様子を見て、油断するタイミングで仕掛けるべきでしょうか?」
そのシグルの問いにミリヤムがすぐに答える。
「せっかく回り込んだのだから即座に攻撃よ!」
それに対してゴルドは首を振りながら答えた。
「こういうのは敵が油断したタイミングを狙うもんだぜ?」
シグルは首を横に振ると、ミリヤムを指して微笑むと
「今回のケースではミリヤム隊長が正解です。時間を掛ければ別働隊が敵に見つかる可能性がありますからね」
胸を張ったミリヤムはドヤ顔でゴルドを見下ろしている。その態度にゴルドは鼻で笑うと
「はっ、まな板がいくら胸張ったところで、まっ平らなんだよ!」
「な……なんですってぇ!」
この時点でミリヤムの喧嘩キックがゴルドの顔面を捉え、ゴルドが吹き飛びながら椅子から転がり落ちた。
しばらく喧嘩が続いたあと、息を切らしながら椅子に座ったゴルドとミリヤムの二人を呆れた顔のシグルが溜息を付く。
シグルとしては二人とも戦術を共有できるし、良い刺激になるのではと考えて一緒に教えることにしたのだが、どうやら逆効果だったようだ。
「えっと、先程の続きですが……即座に行動するのは正解ですが、別働隊から仕掛けてはいけません。この場合は本隊から仕掛け、別働隊はそれを見てから即座に行動します。理由はわかりますか?」
「数が少ないからだろ?」
「少数に殺到されると困るからよね?」
ほぼ同時に答えた二人だったが、今度はどっちが先に答えたという話でにらみ合っている。
「お二人とも正解です。では、次の問題ですが……」
こんな感じで争いながらも部隊戦術の勉強は続けるのだった。
◆◆◆◆◆
『海賊の酒盛り』
海賊衆は殆ど酒が大好きであり、船上でも陸上でもいつものように酒盛りをしている。
だいたい話題は「どんな船を襲った」という武勇伝や、「あの島に宝の噂がある」といった与太話が多いのだが、たびたび四十年前まで活動していた大海賊「グレートスカル」の話になる。
軍艦にも怯まずどんな海をも制覇した大海賊は、今でも海賊たちの憧れなのだ。そんな彼らを懐かしみつつ、畏怖の対象として語り継がれているのが「大髑髏旗からは逃げろ」である。




