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第43話「武神なのじゃ!」

 リスタ王国 ガルド山脈 麓の平原 ──


 大猪の大咆哮に立ち竦んだ衛兵が、今まさに飲み込まれようとしていた。


 助けに戻ろうと一歩踏み出したゴルドの横を、黒い疾風が駆け抜ける。黒く長い髪をなびかせ衛兵と大猪の間に割り込んだのは、異国の剣客コウジンリィだった。


「はぁぁぁぁぁ!」


 気合と共に腰の剣を抜きながら、大猪の顎に向けて振り上げた。


 べキィィィィ!


 と凄い音をさせながら大猪の顎は天高く打ち上がり、そのまま砂を巻き上げながら倒れ込んだ。しかし同時にジンリィの剣も、その衝撃に耐えられず粉々に砕け散ってしまっていた。


 ジンリィは折れてしまった剣を一瞥してから


「折れちまったか……それにしても硬いねぇ、クククク」


 と嬉しそうに呟いて投げ捨てた。ラッツはその隙をついて立ち竦んでいた衛兵を担ぎ上げると、あまりの出来事にポカーンと口を開けているゴルドたちの元に運び込んだ。


 ゴルドは現在目の前で起きている状況が掴めていないのか、頭を押さえながら顔を振っている。


「一体何が起きているんだ?」

「やっぱりコウ老師(ジンジィ)並みの化け物だったみたいね」


 いつの間にかゴルドの横まで来ていたミリヤムはそう呟くと、ゴルドたちに後退の指示を出す。その指示にゴルドは慌てた様子で反論する。


「おいおい、いくら強くたって剣が折れて丸腰じゃねぇか? 大丈夫なのか?」

「大丈夫よ! あの娘はちゃんと武器を持ってから、とりあえず貴方たちは一回下がって陣形を建て直しなさい」


 それでも心配そうにゴルドがジンリィの方を見ると、丁度紐を解いて紫の布から中身を取り出していた。長さは槍程あり龍の顔の意匠が施されたその武器は、二本の剣の柄が逆さにくっついているように両方に刃が付いていた。


 この武器は所謂『双刃刀』と呼ばれるもので、扱いが非常に難しい武器である。


「さぁ、今度は私と遊ぼうか? 豚野郎」


 ジンリィは双刃刀を構えると、ニヤリと笑いながら呟いた。



◇◇◆◇◇



 その後は、凄まじいの一言だった。


 双刃刀を巧みに操るジンリィは、突撃しか能がない大猪をスピード・パワーともに圧倒し、何度も叩き伏せていく。その戦いぶりは、まさに武神と呼ぶに相応しい戦いだったが、何度倒しても起き上がってくる大猪に嫌気が差している様子だった。


 ジンリィは後ろに跳んで距離を取ると、ミリヤムたちの所まで一旦下がった。


「手応えは確実にあるけど倒しきれないねぇ……アンタ、何か策はないのかい?」


 ミリヤムの目には、ダメージを与えるごとに大量の魔力(マナ)が大猪から流れ出て行くのが見えていたが、達人であっても人族であるジンリィには実感がなかったようだ。ミリヤムは少し考えてから答える。


「額の奥に魔力(マナ)の密度が高い場所がある。あれが(コア)だと思うわ。そこに直接ダメージを与えれば、もっと効率良く魔力(マナ)を分散できるはずだけど、あの堅さをどうやってそこまで貫くか……」


「あの硬さを抜くとなると、私でもちょいと溜めが必要だねぇ」


 作戦を考えている二人に、後衛に下がっていたゴルドとヴァクスが戻ってきて


「よぅ姉ちゃん。その溜めってのは詠唱みたいなもんか? どれぐらい時間がありゃいい? 時間稼ぎぐらいなら俺らがやるぜ」


 とニヤリと笑いながら提案する。その言葉にミリヤムとジンリィは頷くと、素早く作戦の概要を固めていく。


 作戦の概要はジンリィとミリヤムの準備が出来るまで、ゴルド、ヴァクス、ラッツの三人で足止めと時間を稼ぎ、準備完了後に足止めの三人は離脱してジンリィが攻撃、それでも届かなければミリヤムがとっておきの一撃を放つことになった。他のメンバーは準備中の二人の直衛に当たることに決定した。


「了解だ! じゃぁ、いくぜっ!」


 そう叫んでゴルドとヴァクスが、大猪を牽制をしていたラッツに合流すべく走り出した。


「こぉぉぉぉぉぉぉぉ」


 それを見送ったジンリィは、息吹とともに腰を落として双刃刀の切っ先を大猪に構える。彼女の周りからは双刃刀に向かって赤い霧のようなものが集まってきている。それを見たミリヤムは不思議なものを見るような顔で呟く。


「魔力……じゃないわね。いや、今はこちらも集中しないと、スーラお願いねっ!」


 ミリヤムの声に反応して、スーラが彼女の近くで羽ばたき始める。ミリヤムは腰から折りたたみ式の短弓を引き抜き、矢筒から一本矢を手に取ると大猪に向かって構える。スーラからの風とミリヤムの詠唱によって現れた光り輝く森人(エルフ)文字が複雑に絡み合って矢尻に集中していく。


 二分ほど経過したあと時間稼ぎにまわった三人の善戦もあり、準備が済んだ二人はお互いに頷き合う。そしてミリヤムは側にいたレイニーを向いて頷く。レイニーは一度大きく息を吸い込むと、持っていた警笛を吹き鳴らした。


 ピィィィィィィィィ!


 という甲高い音が聞こえると同時に、ゴルドが渾身の振り下ろしを大猪の顔面に叩きつける。大猪が怯んだ隙にゴルド、ヴァクス、ラッツの三人は急いでその場から離脱した。


 次の瞬間、すでに踏み出していたジンリィが大猪の眼前に現れた。驚異的な脚力で、弓の射程と同等の距離を一足で踏み込んだのだ。


「ヤァァァァァァァ!」


 気合の声と共にジンリィによって放たれた突きは、赤い弾丸のように閃光を放ちながら大猪の額に突き刺さった。その衝撃に大猪の体は水の上に岩を落としたように一点からが飛散し、大猪の前面を五分の一ほど削り取ったのだった。


「おぉ!」

「やったか!?」


 あまりの絶技を目の当たりにした周りの衛兵たちは、口々に驚きと期待の声を上げる。しかしジンリィは舌打ちすると、ミリヤムの方へ振り返って叫びながら横に飛ぶ。


「チィ、届いてないねぇ……後は頼むよ!」


 波立った水面が元の状態に戻るように、大猪の体も元に戻りつつあった。この後ミリヤムの一撃が放たれる予定になっていたが、なぜかミリヤムは弓を構えた状態で夢でも見ているような顔でボーっとしている。


 その様子にゴルドが


「おいっ、まな板娘! しっかりしろっ!」


 と叫んだ。その声に反応してビクッと震えると、ミリヤムの顔が急激に怒りの色に染まり


「誰が、まな板娘よっ!」


 という怒声と共に光に包まれた矢が放たれた。


 その矢は塞がれつつあった大猪の体の中に突き刺さり、しばらくの沈黙のあと大猪の体は爆発するように完全に飛散したのだった。


 その様子に一行は勝利の大歓声を上げたあと、ジンリィ以外の者は地面にへたり込んでしまった。ジンリィはミリヤムのところまで歩いて近付き、彼女の顔を見てハッと驚くのだった。


「アンタ、なんで泣いてるのさ?」


 ミリヤムの頬には何故か涙が伝っていたのだ。それを指摘された彼女は慌てて涙を拭いて答える。


「な……なんでもないわ、少しあの大猪()のことが視えただけよ」


 そう言うとミリヤムは立ち上がり、ゴルドのところまで行くと座っている彼の背中を蹴り上る。


「よくも色々言ってくれたわね、この筋肉男っ! さっさと立ちなさいよ、日が暮れる前に帰るんだから!」

「痛てぇだろ! まぁ、そうだな……帰るか! 今回の褒美で禁酒を解除して貰って、今夜は飲むぞぉ!」


 蹴られた背中を擦りながらスクっと立つと、ゴルドは撤退するために衛兵たちをまとめ始めた。


 ミリヤムは、先程まで大猪がいた方向を悲しげな瞳で見つめて


「貴方は十分約束を果たした。もういいのよ、自然に還りなさい」


 と呟くのだった。





◆◆◆◆◆





 『大猪の走馬灯』


 大きな猪の姿をした精霊を撫でながら優しげに微笑む中年の男性。男性の身なりは、かなり良いようでどこかの貴族かもしれない。その男性が言う。


「この山は我が国を守ってくれている。それでも万が一不届き者が現れた場合は、お主がここを守って欲しいのじゃ」


 大猪もそれに応えるように一鳴きして、男性の手に擦り寄っていた。


 これは大猪の昔の記憶……大猪と男性の大切な約束、彼が最後まで守ろうとした約束の記憶だった。


 これはジンリィの攻撃を食らい、死の予感を感じた大猪の記憶をミリヤムが視たものである。感受性の高い森人(エルフ)には、時々こういう現象が起きるのだと言う。

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