第41話「大猪なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
現在、執務室にはリリベットと女王付きメイドのマリーがおり、そこに財務大臣のヘルミナが尋ねてきていた。リリベットはソファーに座り、その対面にヘルミナが座っており、マリーが淹れてくれたお茶を飲んでいる。
ヘルミナが持ってきた噂を聞いたリリベットは首を傾げながら
「ガルド山脈に大猪じゃと?」
と呟いた。
リスタ王国南方に広がるガルド山脈は、登山家ですら決死の覚悟で挑む必要がある巨大な雪山で、天然の要害になっており王国南部を不可侵のエリアとしている山脈だ。
麓の標高の低い場所では優良な材木が取れるため、リスタ王国の経済の一翼を担い、木工ギルド『樹精霊の抱擁』が管理しているエリアである。近頃そこに大猪が出ると噂になっていたのだ。
「はい、正確には猪のようなものらしいのですが、以前から山奥では存在が確認されていたようです。最近は比較的麓のほうまで現れるようになり、『樹精霊の抱擁』の職員にも被害が出ているので調査要請が来ているのです」
ヘルミナは困ったような表情を浮かべていた。彼女が困っているのにはいくつか理由がある。
ガルド山脈で木材が調達できないと経済的に滞るのが懸念されるのと、山脈は天然の要害になっているため専任の防衛部隊がおらず、どこに依頼を持ち込めばよいか迷っているのだ。
国境線という事で騎士団か、王都内という扱いで衛兵隊か、または管轄は木工ギルドなので、ギルドで何とかするように説得するべきか……と迷ったあげくリリベットに相談に来たのである。
「ふむ……では衛兵隊に任せよう。状況・戦力分析も含め、編成も隊長のゴルドに一任するのじゃ」
「わかりました。それでは後で詰所に連絡しておきます」
ヘルミナは問題の解決の兆しが見えたことに安心したような表情を浮かべ、紅茶を一口飲むのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 木工ギルド『樹精霊の抱擁』──
ヘルミナから依頼を受けたゴルドは、木工ギルドの長であるヴァクスと面会していた。大猪についてギルドから直接状況を聞くためである。
山賊頭目にしか見えない風貌のヴァクスと、筋肉の塊で傭兵崩れそのままの風貌のゴルドが膝を突き合わせて話し合っている様子は、控えめに言って山賊たちの会合にしか見えないものだった。
「さて、ゴルドの旦那……『山神』についてだがぁ」
と話を切り出したヴァクスにゴルドは首を捻った。
「山神? 大猪じゃなかったのか?」
「山神ってのは、俺らの間で呼んでる名前だぜ、旦那。その姿は大きな猪というのがピッタリくると思うが……」
ヴァクスが語った山神の特徴は小さな山のように大きく、音もなく近付き、体が透けて半透明であり、ソレに飲み込まれると物凄い倦怠感に襲われて、一人では下山できないと言うものだった。
それを聞いたゴルドは頭を掻きながら困った表情を浮かべる。
「それ、どう考えても普通の生物じゃねぇだろ? 衛兵隊にどうしろとって言うんだよ?」
「だから大臣ちゃんに相談したんじゃねーか、物理的に何とかなるならギルドの狩人衆で何とかなるんだがな」
「こりゃアレだ、魔法使いかコウばあさんの案件だわ……仕方ねぇな、ちょっと相談してくるか」
ゴルドは隊長として衛兵隊を預かる身であり、無理と判断すれば面子よりも部下の命を最優先する柔軟な思考の持ち主だ。ゴルドは席を立つとヴァクスを指差しながら頼む。
「出発前に腕の良い狩人を何人か道案内集めといてくれ」
「おうよ、任せな。俺を含め何人か見繕っとくわ」
と言いながら、ヴァクスは良い笑顔で親指を立ててゴルドを見送った。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 近衛隊詰所 ──
木工ギルドを後にしたゴルドは、そのまま王城に向かい近衛隊詰所を訪れていた。入り口から中を覗くと丁度剣の手入れをしているラッツが見えたため、ゴルドは軽く手を挙げながら中に入っていく。
「よぅ、ラッツ。元気にしてたか?」
「あっ、ゴルド隊長!」
ラッツは剣をテーブルに置くとゴルドに近付いて敬礼する。ゴルドも合わせて返礼すると、キョロキョロと詰所の中を見回しながら尋ねる。
「アレはいねぇーのか?」
「アレですか?」
と首を傾げるラッツに、自分の胸の辺りを上下に擦って豪快に笑いながら答えた。
「がはははは……ほれ、あの胸が薄っぺらい……おぅ!」
いきなり尻を蹴り上げられ、前のめりに詰所内に転がり込むゴルド。慌てて後ろを振り向くとミリヤムが仁王立ちで見下ろしていた。
「邪魔よっ! でかい図体で入り口を塞がないで……それで筋肉男、誰の胸がなんですって?」
「なんだ、居たのかよ。まぁ、丁度良かったぜ」
ゴルドは髪を掻きながらのそっと立ち上がると、真剣な眼差しをミリヤムに向ける。その瞳に何かを感じたのか、ミリヤムはそのままゴルドの横を通り過ぎて椅子に腰掛けた。
「……一体、何の用よ?」
「実はだな……」
ゴルドは事の経緯とヴァクスから聞いてきた『山神』の特徴についてミリヤムに話した。彼女は難しい顔でその話を聞いていたが、聞き終えると頷いて自分の意見を答える。
「それはおそらく精霊種ね。スーラ、ちょっと出ておいで」
ミリヤムの呼びかけで、真っ白な鳥がミリヤムの肩に姿を現した。この鳥はスーラと言う名でミリヤムの契約精霊だ。先の襲撃事件の際に飛来する矢を弾き飛ばしたのも、この風の精霊スーラである。ミリヤムがスーラの頬を撫でてやると、気持ち良さそうに指に擦り寄っていた。
「この子のように精霊種と呼ばれる種族は実体が無いの。契約者が魔力を供給することで実体化して見えるようになるんだけど……その猪? の場合、契約者に何かあって制御不能になっているんじゃないかな?」
ゴルドが話の内容がさっぱりわからないと言ったジェスチャーをすると、ミリヤムは教えるのを諦めた顔で首を振る。
「とにかく! 聞いたところ半実体はしてるみたいだから、何かしらの理由で実体化するために、人を襲って魔力を奪っているのよ。襲われた時の倦怠感はそのためね」
「で、どうすりゃいいんだ?」
「どれぐらい魔力を貯蓄しているかにもよるけど、三ヶ月か半年ほど放置すれば、実体が維持できなくて勝手に消えるんじゃないかしら?」
という現実的なミリヤムの提案だったが、ゴルドは首を振る。
「そんなに待ってたら、木工ギルドが干上がっちまうぜ」
「じゃ、討伐するしかないわね……あぁ、なるほど、だからここに来たのね?」
何かを悟ったのか、ミリヤムはニヤニヤと勝ち誇った顔でゴルドを見つめる。
「私の力が必要なんでしょ~?」
「くっ、本当に面倒な性格してやがんな。あぁ、そうだよ! お前の力が必要だ」
ゴルドの悔しそうな言葉に満足したのか、ミリヤムはニヤリと笑い、胸を張りながら立ち上がると
「いいわ、このミリヤムさんが手伝ってあげる! この国のためだものね」
と高らかに宣言したのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 木工ギルド『樹精霊の抱擁』会長室 ──
ミリヤムと合流したゴルドは、再び木工ギルドに訪れていた。作業台の上にはガルド山脈麓付近の地図が広げられており、その周りに近衛隊長ミリヤム、衛兵隊長ゴルド、木工ギルド長ヴァクスとレイニーを含む衛兵五名、それに木工ギルド所属の狩人が三名がいる。
ミリヤムが周りの面々を見ながら作戦を伝える。
「半実体化した精霊種に通常の武器は効き難いわ。私がエンチャントの魔法を使うから、ゴルドとヴァクスが前衛、それに衛兵隊もお願いね。魔力を吸収されちゃうから、奴の体には直接接触しないように!」
「おうよ!」
「はっ!」
その返事にミリヤムは頷くと、レイニーを指差しながら告げる。
「そこの女の子は、私の直衛をお願い」
「わかりました!」
続いて狩人たちを見ながら弓でのサポートのお願いをする。作戦は単純なもので魔力を、攻撃を続けて削りきるだけのわかりやすい作戦だ。
そして、最後にゴルドをもう一度見て。
「戦力はコレだけなの? ちょっと少なくない? そう言えばラッツもいないけど?」
「あぁ、ラッツならコウばあさんのところへ使いに行ってもらった。出来れば協力して貰いたいんだが……」
コウ老師はリスタ王国内でもかなりの実力者ではあるが、さすがに高齢なので無理はさせられないのである。
「あ~……あの人なら、実体がない精霊種すら一刀両断しそうよね」
とミリヤムが呟くのと同時にドアがノックされた。
コン! コン!
「開いてるぜ!」
というヴァクスの言葉に、慌てた様子のラッツが中に入って来て
「お待たせしました、助っ人をお連れしましたっ!」
と告げると、その後ろから一人の女性が姿を現したのだった。
◆◆◆◆◆
『精霊種』
空中や水中、自然界のあらゆる場所に存在している種族。
ミリヤムのスーラ、宰相の氷龍、宝物殿の守護龍ラーズなどもこの種族になる。通常人族には見えないことが多く。実体化していなければ触れることも触れられることもない。




