第40話「中庭なのじゃ!」
リスタ王国 王城 中庭 ──
リスタ王国の王城にある中庭は、庭師によって美しく整えられた緑に囲まれており、中心には噴水がある。この場所は城務めをしている者たちにとって憩いの場所になっており、暖かい季節の昼下がりなどは、リリベットが木漏れ日の下で昼寝をしていることもある。
いつもはそんな穏やかな場所なのだが、その日は少し様子が違っていた。何かを叩く音がけたたましく響き渡っていたのだ。
「だから、間合いが近すぎるって言ってるでしょ!」
飛んできた木剣を弾きながら、苛立ち気味の口調で怒鳴りつけているのは近衛隊長のミリヤムだ。対するのは、すでに肩で息をしている隊員のラッツだった。
木剣はショートソード程度の長さだが、やはりダガーとは勝手が違うようで扱いに苦労しているラッツを見かねて、ミリヤムが彼を連れ出して中庭で剣の訓練を始めたのである。
「そんなこと言ったって、難しいんですって」
今度はミリヤムが反撃を開始する。ミリヤムの剣技は、その身体能力の高さと突きを主体に戦う速攻タイプだが、ラッツは器用に剣の腹で受けたり捌いていく。しばらくしてミリヤムは攻撃の手を止めると
「やっぱり防御だけはいいわね。それに……その剣の使い方、どこかで見たような気がするのだけど、誰から教わったの?」
と不思議そうに尋ねてきた。ラッツは木剣を杖代わりにして、息も絶え絶えだったが何とか息を整えてから答える。
「け……剣自体は……誰にも。でも最近は、ゴルド隊長やコウ老師に……」
「コウ老師? ひょっとして『王者の護剣』コウ ジンジィかしら? 懐かしいわ、まだ生きていたのね」
懐かしそうに目を細めているミリヤムだったが、不思議に思ったラッツは首を傾げながら尋ねる。
「ミリヤム隊長、コウ老師を知ってるんですか?」
「ジオロ共和国の戦場で一度だけ見かけたことがあるわ。五十年ぐらい前だったかな? 彼女はとても美しく、そして強かったわね」
ミリヤムは、その時の様子を思い出したのか少し身震いする。彼女はラッツと同じぐらいの歳に見えるが、森人の寿命は人族より遥かに長いので、実はコウ老師より年上なのだ。
そんな話をしていると建物の方から、同じく高貴な森人のフィンが歩いてくるのが見えた。ミリヤムは笑顔で軽く手を振り、ラッツは敬礼をする。
「愚妹、こんなところで何をしているのだ?」
宰相の言葉には怒りの色を感じたミリヤムは、若干腰が引けながらも苦笑いをしていた。
「に……兄さんこそ、どうしたの?」
「知っていると思うが、私はとても忙しいのだ」
いきなり話題が変わったと思い、戸惑いながら首を傾げるミリヤム。
「そうね……いつもご苦労様?」
「そんな私の元にだな、中庭で騒がしくしてる連中がいるから、何とかして貰えないだろうか? という苦情が届いたのだが……どこの馬鹿者だろうな?」
その言葉にミリヤムは口を閉ざし一歩後ずさる。どうやらあまり物怖じしないミリヤムも、兄であるフィンは苦手なようだった。ミリヤムは両手を前に出して、ドウドウというジェスチャーをしながら言い訳をはじめる。
「待って兄さん!? ほら、ラッツがまだ剣は苦手だって言うから」
「うむ、ラッツか……愚妹が迷惑をかけているな」
フィンはラッツを一瞥しながら労うと、ラッツは頭を掻きながら答える。
「いや~、逆にミリヤム隊長には迷惑をかけてまして」
「そうよ! そうよ!」
ラッツの言葉に調子を乗ったミリヤムは、フィンに反撃の抗議を仕掛けるがフィンの一睨みで再び黙り込む。
「とにかくだ! 訓練ならこの場所ではなく、丘の下の衛兵詰所の広場で訓練しなさい」
「嫌よっ! あそこは遠いし、近衛が城を空けちゃダメでしょ? あっそうだ兄さん、それなら私と勝負しましょう。勝ったらここを使わせてもらうわ!」
「そんな無駄なことを……」
「私も成長しているんだから、机にかじりついてばかりの兄さんには負けないわっ!」
挑発気味のミリヤムの提案に宰相は溜息をつく。頑固者のミリヤムがこうなった以上、後に引くことがないのを知っているのだ。諦めたように木に立てかけてあった木剣を拾うと
「仕方ない……一回だけだぞ。ラッツも一緒に掛かってくるがいい」
と言いながら、ミリヤムとラッツの二人の方を向く。ミリヤムは瞬時に剣を構えるが、ラッツは戸惑いの表情を浮かべていた。
「ラッツ、本気でいきなさいよっ! 兄さんをひょろ長い優男と思っていると怪我するわよ」
ラッツは未だに計り兼ねるといった顔で宰相を見ている。宰相フィンは氷の守護者と呼ばれ比類なき強さで伝承は残っているが、剣術に関しては一切情報がない。しかし、あのミリヤムがここまで言う程だ。そう思って気合を入れて直すと、宰相の隙を窺うように木剣を構えた。
しばらく対峙していた三人だったが、一瞬宰相が揺らいだように見えた。その瞬間をチャンスとみて、ラッツとミリヤムが攻撃を仕掛ける。
「やぁ!」
「はっ!」
しかし攻撃が届くと思った瞬間、宰相はその場所から忽然と姿を消した。そして二人の木剣の剣筋はむなしく空を切り、そのまま接触して転倒してしまったのだった。その頭に宰相がポンポン! と木剣を置くように叩く。
「勝負ありだな……約束通り、ここは使わないように」
ポカンと口を開けて尻餅をついている二人に、そう告げると宰相はさっさとその場を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 宰相執務室 ──
中庭の苦情を処理した宰相は、執務室に戻ってきていた。部屋に入ると中庭の出来事を思い出してか深く溜息をつく。
「まったくいつまで経っても落ち着かんな、あの愚妹は」
宰相はそう呟くと執務机の椅子に腰掛け、書類に目を通し始める。国防については近衛隊の新設、衛兵隊増強の予算は議会を通ったため、あとは騎士団の新設か増強についてが今後の課題になっている。またリリベットが提案している学府設立に関しては、資金以外にも様々な問題があるため先送りになっているのだった。
それ以外にも女王の判断が必要ない案件に関しては、宰相が処理をしているため毎日休む間もなく働いている。そんな宰相の元に新たな案件が持ち込まれようとしていた。
トン! トン! トン!
ノックの音に宰相は入室の許可をする。紳士風の男性が静かに部屋に入ってくると、左手を右胸に当てて敬礼をした。
「君か、レグニ領に何か動きでもあったか?」
宰相は彼を一瞥してから、書類に視線を戻しつつ尋ねる。この紳士風の男性は、宰相子飼いの密偵でリスタ王国東方のレグニ領の調査を進めているのだ。
「はっ、閣下。レグニ領で兵に動きがあります」
「なんだと?」
宰相は再び書類から目を離すと、仕事を止めて男性の言葉に耳を傾けた。
「しかし、挙兵なら東の城砦からも報告があると思うが……規模や場所は?」
「規模は三千程ですが、目標が西側ではありません。どうやら北東方面に進もうとしているようなのです」
その言葉に宰相は眉を吊り上げ、少し考えるてから口を開いた。
「北東方面というと対象は同盟になるな。対等とは言えぬが何とかバランスを取ってたはずだが、それに力関係から同盟は帝国と事を構えたりはしないだろう」
同盟とは、七国同盟と呼ばれるムラクトル大陸北東部にある七つの小国の同盟である。一国一国はリスタ王国より小さい国もあり、ほぼ帝国の属国と言っても過言ではない状態の国々である。帝国と基本不干渉・不可侵のリスタ王国に対しても、何度か同盟の加入要求が来ているがリスタ王国側はやんわりと断り続けていた。
同盟側からすればリスタ王国を取り込むことで、リスタ王国と帝国間で結ばれている条約を拡大解釈し同盟を護ろうという意図があるのだが、リスタ王国側からすればリスクが増すばかりで、国益にそぐわないため同盟への参加は見合わせている状態だ。
「うむ……とりあえず引き続きレグニ領の動向を探ってくれ。些細なことでも報告をするように」
「はっ!」
宰相の命令を受け、男性は敬礼すると部屋から出て行くのだった。
◆◆◆◆◆
『七国同盟』
ムラクトル大陸北東に位置する七つの小国が結んでいる通商及び軍事同盟である。
そのうち、四カ国は国境をクルト帝国のレグニ領に面しており、常に国境を脅かされている状態だ。リスタ王国とは国境を面しておらず、ノクト海を横断できるほどの海軍力も無いため、リスタ国籍の船舶での交易のみの繋がりしかない。




