第38話「始動なのじゃ!」
リスタ王国 王城 近衛隊詰所 ──
新設された近衛隊には、拠点としてリリベットの寝室に近い空き部屋が割り当てられていた。元々広い部屋だが、現在の隊員は隊長であるミリヤムと、一週間前に任命されたばかりのラッツの二名しかおらず、無駄に広く感じる。
隊員の選抜はミリヤムに一任されているが、女王警護という職務の性質上、女性隊員を多くしたいとの考えから、なかなか良い人物が見つからないのが現状だった。
本日、詰所には工房『土竜の爪』から、近衛隊制式装備の試作品として、鎧一式と剣が届いていた。ミリヤムは木箱から剣を取り出して鞘から抜くと、状態を確かめるように軽く振った。
風を切り裂くような綺麗な音に、ミリヤムはなぜか渋い顔で舌打ちをする。
「チッ……癪だけど鉱人は、やっぱりいい腕してるわね」
鉱人が打った剣は、重さや長さも注文通り……いや、注文以上に仕上げられていた。ミリヤムは面白く無さそうに、同じく剣を調べているラッツの方に見る。
「ラッツは、どう? その剣で大丈夫そうなの?」
同じ隊になって一週間が経過しており、ミリヤムはだいぶ打ち解けた口調でラッツに尋ねた。
ラッツもミリヤムと同じように振ったり構えたりしているが、ダガーに比べて刃渡りが長いせいか、いまいち釈然としない表情を浮かべていた。
「少し長いですが、まぁしばらく練習すればなんとかなると思いますよ、隊長」
その後、何を思ったのかラッツは一本になったダガーを抜くと、近衛隊制式帯剣に刃を突き立てる。驚いたミリヤムはラッツに向かって怒鳴りつけた。
「ちょっと! 何してるの!?」
「えっ? あぁ、無くしてしまったダガーの代わりに名前を刻んどこうかと……一種の願掛けですよ」
そう言って、ラッツはキィィィィ! と音をさせながらダガーを引いた。耳障りな高音にミリヤムは耳を塞ぎながら悲鳴のような声で抗議する。森人の聴覚は、人族のそれよりかなり良いのだ。
「やめなさいっ! 剣に自分の名前なんて刻まないでよ! その剣、高いのよ!?」
「自分の名前じゃないですって……って、あれ?」
ラッツは目を白黒させながら剣を見つめている。確かに刃を立てて線を引いたはずの箇所に傷一つついていなかったのだ。
ミリヤムはラッツから剣を取り上げると、怒鳴りつけるように文句を言う。
「だから言ったでしょ! 普通の剣じゃないのよ、これ! ……だいたい自分の名前じゃないなら何て入れようとしたの?」
「ラケシス……妹の名前ですよ、今度こそ約束を忘れないように……と思って」
以前のミリヤムなら「このシスコン!」と罵倒を浴びせるところだが、ラッツの生い立ちについては彼女も聞いているため、それ以上強くは言わずラッツに剣を返しながら
「よく見たら、そっちのダガーにも入って入るじゃない! それで我慢しなさい」
と告げる。ラッツは受け取った剣をしばらく眺めていたが、やがて諦めたのか鞘に納めるのだった。
その様子に安堵の息を漏らしたミリヤムは木箱まで戻ると、突然服を脱ぎ始め薄いシャツ一枚の姿になる。部屋に入る日の光で、平坦ではあるがとても美しいボディラインが薄っすらと透けてと見えていた。ミリヤムは自身を見つめているラッツに向かって素っ気無く尋ねる。
「別に人族に見られても恥ずかしくはないのだけど、普通女性が着替中そんなに見つめないわよ?」
「えっ……あっ、すみませんっ!」
と顔を真っ赤にしながら、後を向くラッツ。呆れた顔をしたミリヤムはため息をつく。
「人族の男は、年中発情してると言うけれど……」
「はっ……発情!? いや、なんでいきなり着替え始めてるんですか!?」
慌てた様子で弁明するラッツに、キョトンとした顔で首を傾げたミリヤムは、木箱から白銀に輝くシャツ状の物を取り出して
「なんでって……鎧も着てみなくちゃいけないでしょ? でも、そうね……これから女性隊員も増えるだろうし、更衣室も必要かしら?」
と呟くと、そのまま白銀に輝く薄手のチェインメイルを着る。ほとんどシャツと変わらない着心地のチェインメイルは、ミスリル特有の輝きを放っている。ミスリル製の装備は、軽量であるにもかかわらず防御力に優れ、耐魔法力にも優れている一品だ。
その上から真紅のチュニックを着ると、各種ベルトで広がらないように締める。胸部と肩の部分には装飾の施されているプレートメイルを装備してから、腕を回すなどして鎧の稼動部を確認する。ミリヤムは右肩の引っ掛かりが気になったのか、右肩のプレートは外してしまった。
騎士の制式鎧に比べて防御力には劣るが、近衛には儀仗兵としての役割も求められているため、いざと言う時は素早く女王を守れるように、比較的軽装になっている。
「まぁこんな感じかしらね? どう似合ってるかしら?」
と聞きながら、己の美貌に自信があるミリヤムはドヤ顔でラッツに尋ねる。確かに光を背にしたその姿には神々しさも感じられるもので、ラッツはその姿に見とれながら
「似合ってますね……綺麗です」
と素直に答えるのだった。面と向かって褒められると思ってなかったミリヤムは少し照れたのか、顔を背けながら言う。
「と……当然じゃないっ! ほら、ラッツも早く着替えなさい」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
同じ頃、リリベットは執務室で公務をこなしていた。怪我をしたマリーのことが心配で病室に通っていたため、公務に手がつかず溜め込んでいたのだ。そのせいで最近は連日執務室に篭もりっきりの生活である。
「マリー……あと、何枚じゃ?」
「百は無いぐらいでしょうか? 五案件ほどですね」
「まったく減ってないのじゃ~!」
朝から仕事量がまったく減っていていないのは、リリベットがサボっているからではなく。一つ一つ案件を確認してサインをしても、次から次へと案件が持ち込まれるからである。それでも必死に目と手を動かすリリベットだったが、そこにノックの音が鳴り響いた。
「書類は、もういいのじゃ!」
と反射的に叫ぶリリベットだったが、マリーはドアの所まで歩きドアを開けると一言二言交わしてから、何かを受け取ってドアを閉めた。
「書類じゃありませんでしたよ、陛下」
マリーが手にしていたのは手紙だった。リリベットはキョトンとした顔でそれを受け取ると、封蝋に押されている紋章を確認する。
「剣と羽の紋章……フェザー家の紋章なのじゃ」
母の実家であるフェザー公爵家は、クルト帝国の大貴族である。母には時々手紙が届いているようだったが、リリベット宛てで届くのは珍しかった。
リリベットが首を傾げていると、マリーがペーパーナイフを差し出してきたので受け取って封を切った。中から手紙を取り出して読み始めると、リリベットは徐々に笑顔になっていた。
「どなたからでしたか?」
「うむ、フェルトからなのじゃ」
フェルトはリリベットの従兄にあたる青年で、女王であるリリベットにとって数少ない対等の友人と呼べる存在だった。手紙には自身の最近あったことなどが雑多に書かれており、最後に近日中にリスタ王国へ内々に訪問する旨が書かれていた。
「どうやらフェルトが、この国に来るようなのじゃ」
「あら、フェルト様がですか? では、歓迎の準備をしなくてはいけませんね」
というマリーの微笑みながらの提案に、リリベットは首を傾げながら手紙をマリーに見せる。
「それが内々と書いてある……先の襲撃絡みかもしれないのじゃ。ふむ……とりあえず宰相とヘルミナに連絡、それと騎士団宛に通行の許可する旨を送って欲しいのじゃ」
「はい、わかりました」
マリーは一礼をすると、手配をするために執務室から出て行った。それを見送るとリリベットは友人との再会を期待しながら、再び手紙を眺め笑顔を浮かべた。
◆◆◆◆◆
『リリベットの友人関係』
二歳にして女王に就任したリリベットには、友人と呼べるものができなかった。城内でも各大臣の孫や曾孫などで比較的年齢の近い子供もいるのだが、やはり一歩引いた対応になるため友人というよりは臣下に近いものなってしまうのだ。
そんな中、他国の者で主従のしがらみもなく親戚関係でもあるフェルトは、リリベットにとって数少ない友人と呼べる存在になっていたのだった。




