第36話「犠牲なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
夕方、移民街から戻ってきたマリーは再び女王執務室に来ていた。執務机の書類の山はすでに消えており、やり遂げた顔をしながらマリーの帰りを待っていたリリベットは、ソファーに座ってマリーからの報告をソワソワしている。マリーは対面のソファーに座ると、『ハンス・ザノブ』についての報告を始めた。
しばらく、マリーの報告を聞いていたリリベットが
「つまり……このハンスとやらには、特に問題はなさそうだったと言うのじゃな?」
と呟き、首を傾げながら考えをまとめようと唸っている。
「報告書によるとラッツさんは急に激高して、『なんで、貴様がここにいる』と発言したとありますので、見知った者同士かと思いましたが、ハンスさんの反応を見る限りラッツさんを知らない様子でした」
「ということは……ラッツが一方的に知っているか、ただの勘違いということもありうるのじゃ。それに幸い怪我人もおらず、被害者であるハンスは気にしていないとのことじゃから、ラッツには厳重注意で此度のことは不問としても良いかも知れぬのじゃ」
この言葉には明らかに、リリベットの不問にしたいという願望が入っており、女王としてあまり褒められる判断ではなかった。そして、その判断を嘲笑うかのようにドアをノックする音が鳴り響いた。
コン! コン! コン!
マリーが席を立ちドアを挟んで相手と一言二言話すと、ドアを開けて訪問者を中に向かい入れる。女王付きのメイドともに現れたのは、赤毛を後ろで結っている女性衛兵だった。
「お主は……確かレイニーじゃったか?」
「はい、陛下」
右手を左胸に当てて敬礼するレイニー。そのレイニーにリリベットは、不思議そうな顔をしながら尋ねる。
「呼んでもいないのにゴルド以外の衛兵が、ここまで来るのは珍しいのじゃ。何かあったのじゃな?」
「はい、隊長より伝令です。謹慎処分中の衛兵ラッツが姿が忽然と消え、行方がわからず現在捜索中であります」
と暗い顔のレイニーは告げたのであった。その言葉にリリベットは勢いよく立ち上がり、レイニーに凄い剣幕で詰め寄った。
「どういうことじゃ、仔細を申すのじゃ」
「は……はい、謹慎中のラッツ君が心配で、あたしが一時間ほど前に部屋に訪れたところすでに姿はなく、この布と『衛兵章』が机に残されていました」
そう言いながら、レイニーは懐から赤い布と衛兵章をリリベットに手渡した。衛兵章とは衛兵の身分を証明する階級章で通常は胸につけている。その衛兵章を見つめながらマリーが呟く。
「ラッツさん、衛兵を辞めるつもりでしょうか?」
「うむ……そうだとしても、ラッツならちゃんと挨拶しに来そうなものじゃが?」
リリベットは目を瞑って額を押さえながら、何かを考えてる素振りを見せたあと、何かを思いついたのか瞼を静かに開いた。
「結局、理由はわからぬが『なんらかの理由』でラッツは、ハンスを恨んでいる可能性が高いのじゃ」
「ハンスさんを害する可能性があると?」
マリーが尋ねると、リリベットはゆっくりと頷く。
「うむ、わたしの嫌な予感で済めばよいが……マリーは念のためにハンスの周辺を監視して欲しいのじゃ。もしラッツと接触することがあれば必ず止めるのじゃ」
「はい、わかりました」
続いてレイニーの方を向いたリリベットは、彼女に対しても命じる。
「レイニーは、ゴルドと共に引き続きラッツの捜索なのじゃ」
「は……はいっ!」
リリベットの命令が下ると、マリーとレイニーはそれぞれ部屋から出て行った。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 移民街 六番通り ──
深夜、その日は満月だったが分厚い雲に阻まれて月明かりはない。灯り代の節約のためか家の灯りもなく辺りは闇に包まれていた。そんな闇の中、屋根の上で一人で佇むメイド服のマリーは、瞼を閉じて風の音だけを聴いていた。
「バカなことはやめて、一緒に帰りませんか?」
と囁くように尋ねるマリー。その瞬間、後ろの壁の影から二本のダガーを携えた黒装束の男が現れた。
「マリーさんこそ、こんな夜更けに一人で危ないですよ」
優しげな声で語りかけて来たのは、よく見知った青年のものだった。黒い頭巾で顔を隠しているが、少しだけ金髪が見え隠れしている。振り返ったマリーは青年の瞳を見て諦めの表情を浮かべる。
「今なら間に合いますよ?」
と尋ねる。しかし、マリーは青年の瞳を一目見た瞬間気がついていた、青年の瞳が自分と同じ想いを宿していることに……そして、そのことがマリーをある回答に導くのだった。
「妹さんでしたか……貴方が亡くしたのは?」
「…………」
青年の無言は肯定の意味だと感じたマリーは、そのまま話を進める。
「貴方たち兄妹は、ザノブ領の出身なのですね。つまり民衆を苦しめた貴族とは、ハンス・フォン・ザノブだった……今の姿からでは想像もできませんが。義賊なら今の素行や、この国に至る経緯も当然調べたでしょう?」
「…………そこをどいてください、マリーさん」
それ以上、聞きたくないといった態度で青年は一歩前に出た。
青年は当然知っている。あの自分たちを苦しめ妹が死ぬ原因になった貴族が、散々な目に合いながらも心を入れ替え、この国でやり直そうとしていることを……。
「貴方はまだ戻れます。彼を赦して陛下と共に明るい道を歩みなさい」
あくまで優しく諭すように説得を続けるマリーだったが、この言葉はすでにマリーの耳には届かなくなった言葉だ。しかし「赦す」という言葉に反応した青年が吼える。
「赦す? 赦すだって!? あの野郎が、この国で幸せに暮らしていく? そんなことは絶対に許されない!」
この青年が持った感情は、誰しもが持つ当たり前の感情だ。しかし、その感情はリスタ王国の基盤を全て崩壊させかねないものだった。この国では赦し共に歩める者だけが、国民として認められる国なのだ。隣で商売をやっている店主が、一族の仇同士であるということもありうる国なのである。
咆哮と共に、普段の気さくで誰にでも優しい青年とは思えないほどの殺気が膨れ上がり、青年はついに腰のダガーを抜いた。その瞬間、青年に対して同情の色を帯びていたマリーの瞳からは全ての色が消えた。
「……残念です」
厚い雲が晴れ、月明かりが二人を照らし出した瞬間、闇夜に閃光がひらめいた。
金髪の青年の復讐劇は鮮血を持って、その幕を閉じたのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 医務室 ──
マリーと青年の深夜の激突から、一週間が経っていた。侍医ロワの医務室にリリベット、ミリヤムの二人が訪れている。
「ロワ、容態はどうなのじゃ?」
「血が出すぎたのでまだ目を覚ましておりませんが、そろそろ目を覚ますはずです」
「ほ……本当じゃな?」
そう言ってベットで横になっているマリーの手を握る。一週間前、血まみれのマリーをラッツが王城に運び込んでから、このやり取りは続いていた。
あの時、実力的に言えば暗殺ギルドの長だった黒狼すら恐れさせる程の力を持つマリーに、ただの盗賊上がりであるラッツが勝てる道理はなかった。しかしマリーはナイフを抜かずラッツのダガーを、その身に受けることを選択したのだった。
彼女が何を思ってそうしたのかはわからないが、ラッツの刃を受けながら彼を優しく抱きしめた瞬間、復讐で曇っていた彼の瞳はいつもの輝きを取り戻していた。
正気を取り戻したラッツは、すぐにマリーの止血と応急手当を済ませ、王城へ運び込もうと抱き上げた。その際、騒ぎを聞き付けて外に出てきたハンス・ザノブと目が合わせることになるのだが、それでもラッツはマリーの治療を優先すべく闇夜の街を駆け抜けたのだ。
その甲斐があってか何とか治療が間に合い、侍医ロワの医術とミリヤムの『癒しの風』のお陰で、マリーは一命を取り止めることができたのである。
ラッツは「俺が刺した」と短く自供し、その後は黙秘を続けたため現在拘留中である。
しばらく後、リリベットは祈るように握っていた手が、軽く握り返されたのを感じた。
「マリー!?」
「……ここは?」
その瞬間マリーが目覚めたのであった。リリベットは泣きながらマリーに抱きつく。
「マリー! マリー!」
「陛下、痛いです……」
マリーは優しく微笑みながら、泣きじゃくるリリベットの頭を撫でる。それからリリベットが泣きやむのを待って、ロワによる診断が行われ「もう問題ない」というお墨付きを貰い、全員が一安心と息を漏らす。
その後マリーにはラッツが拘留中である旨が伝えられ、マリーからはその日にあった事の顛末が報告された。こうしてリリベットたちは、ようやく何があったのか知ることになったのである。
「あんた、馬鹿? 止めるにしても、相手の武器を落とすとか色々あったでしょうが!」
と呆れたように言うのはミリヤムである。彼女なりにマリーのことを心配しての言葉だ。それがわかったのかマリーは微笑み返すだけだった。
そんな中リリベットは黙って俯いている。心配したマリーが声をかけると消え去るような声で
「わたしは女王、ラッツの罪を問わねばならぬのじゃ……」
と小さい身体を、さらに小さくしながら言うリリベットに、マリーは優しく微笑みながら
「陛下、その事ですが……」
と、とある提案を切り出したのだった。
◆◆◆◆◆
『因果交差』
今回の事件のような出来事を、リスタ王国では通称『因果交差事件』と呼んでいる。他の場所でもありえることなのだが、因縁を持つ者同士が鉢合わせることによって起きる事件の総称だ。
リスタ王国では何らかの問題がある人々が集まる傾向にあるため、この手の事件が起きやすいと言える。この事件で罪を犯した人物は、情緒酌量の余地を考慮され減刑されることが多い。




