第34話「黙秘なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
ラッツが起こした騒動から数時間後、リリベットは執務室で次々と運び込まれる書類に目を通し、黙々と一枚一枚サインをしていた。ほとんどの書類は宰相や大臣からの国防に関する書類で、予算や法律関係についての承認を求めるものだった。
何枚も似たような書類に目を通したため、徐々に疲れてきたのか動きに精彩が無くなってきたリリベットは、ついに机に突っ伏してしまったのだった。
「マリー……休憩なのじゃ~」
「休憩は先ほど取ったばかりですよ、陛下?」
「書類がいつもの倍以上あるのじゃ~」
あの襲撃事件以降、急激に増加している国防関連の書類を前に駄々を捏ねるリリベットを見ながら、マリーは溜息をつき手に持っていた書類をリリベットの前に置いた。
「わかりました。それではケーキでも用意をしてまいりますので、この書類だけは目を通しておいてくださいね」
「わかったのじゃ~」
返事をしつつも書類に目を通す素振りを見せないリリベットに、マリーはドアの前で振り返り
「……用意してくる間に終っていなかったら、ケーキは陛下の目の前で私がおいしくいただきますので」
と呟いてから、笑顔でお辞儀をすると部屋から出ていったのである。その姿を見て、リリベットは慌てて書類に手を取り目を通し始めた。リリベットも頭ではそんなことはしないとわかっているが、彼女には『マリーならやりかねない』と思わせる何かがあるのだ。
しばらくして書類の半分ぐらいまで目を通したところで、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「まだなのじゃ! まだ早いのじゃ!」
リリベットは慌ててドアに向かって叫んだが、ドアの向こうからはマリーではなく他の女性の声が聞こえてきた。
「えっと? 陛下……衛兵詰所から言伝が届きましたが?」
「むっ、詰所から? それなら持ってくるのじゃ」
「はい、失礼します」
返事をして部屋の中に入ってきたのは女王付のメイドの一人だった。リリベットは彼女を一瞥すると視線を先ほどの書類に戻した。
「そのまま口頭で伝えてほしいのじゃ」
「えっ、はい! 衛兵隊長のゴルド様からです。えっと……衛兵ラッツを、移民に対し暴力行為があったとの疑いで留置中、詰問するも黙秘を続けており……」
リリベットは読んでいた書類を叩くように机に置くと、身を乗り出してメイドに手を伸ばす。
「こちらへよこすのじゃ!」
「は……はいっ!」
あまりの剣幕に慌てたメイドが、差し出したメモを奪い取るように受け取ると真剣な眼差しで読み始める。メモに書かれていた内容はラッツが移民に対して暴力行為を行い、その場にいた衛兵レイニーが取り押さえて詰所に連行、現在黙秘を続けている旨が書かれていた。
「ラッツの奴め、いったい何をしたのじゃ!」
そこにケーキとティーセットをトレイに乗せたマリーが戻って来て、テーブルにトレイを置きつつ尋ねる。
「どうかなされましたか、陛下?」
「これを見るのじゃ」
マリーはただならぬ様子のリリベットからメモを受け取ると、隅でどうすればいいのかわからず固まっているメイドに対して退室するように告げる。
「もういいわ。貴女は下がっていなさい」
「は……はい」
メイドは言われた通り、その場で一礼すると部屋から出ていった。それを見送ったあと、マリーが改めてメモを読むと眉を少し吊り上げた。
「これは……あの人のことですから、何か理由があるのだと思いますが」
「うむ、今から行って直接……」
と言いながら、外出の準備をしようとしているリリベットの肩に手を置くとマリーは首を振る。
「いけません! これは衛兵の仕事です。陛下には女王の仕事がございますので」
「き……気になるのじゃ!」
リリベットから手を離すと、マリーはこれ見よがしにトレイからテーブルにケーキの皿を移し、紅茶を淹れながら告げる。
「私が代わりに調べてまいりますので、陛下は休憩後そのまま公務をお続けください」
リリベットは頬を膨らませながらソファーに座ると、フォークを手を取りケーキを食べ始める。一口目からむすっとしていた顔が、柔らかく幸せそうな顔になる。その様子に満足そうな笑みを浮かべたマリーは立ち上がる。
「では、私は少し調べてまいりますので食べ終わりましたら、食器はそのまま置いておいてください。後ほど別の者が取りにまいりますので」
「う……うむ、任せたのじゃ」
ケーキを食べながら、部屋から出て行くマリーを見送るリリベットであった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 衛兵詰所 ──
それからしばらくして、王城から出たマリーは衛兵詰所に来ていた。詰所に入ると隊長のゴルドが座っており、マリーを見ると軽く手を上げる。
「おぅ、あんたが来たのか? てっきり陛下が来るかと思ったが……」
「陛下はお忙しいのですよ。それでラッツさんは、どうなさったのです?」
ゴルドは頭を掻きながら、神妙な顔で首を捻る。
「あ~それがよくわからんのだ。ラッツの野郎、完全に黙っちまってやがるしなぁ。幸いレイニーがすぐ取り押えて怪我人は出てねぇから、とりあえず謹慎処分にしてあるが……やっぱりヤバイよなぁ」
「えぇ、衛兵が理由もなく国民に手を出すのは許されないことです」
マリーは姿勢を正し、感情を隠すように事実のみを簡潔に告げた。ゴルドは同意の意味で頷くが、不機嫌そうな顔で尋ねる。
「俺も詳しくは聞いてねぇが、ラッツは再出発だろ? そうなると『国外追放』か?」
「決めるのは陛下ですが、通例通りであれば……それでラッツさんと会う事はできますか? 私からもお話が聞きたいのですが……」
「いや陛下ならともかく、あんたじゃ許可できないな。悪いが規則なんでね」
そう首を振って答えるゴルド。取調べ中の容疑者に会えるのは、衛兵と親族だけという規則があるのだ。女王であるリリベットは、法の上に存在していると言っても過言ではないため、超法規的処置も可能だが、マリーは表向きただの女王付きのメイドであり無官なのである。
ゴルドはいい加減な風に見えるが、この手の規則はちゃんと守る男だ。マリーはため息をつくと、ゴルドに向けて手を差し出しながら要求する。
「それでは調書と資料の提出をお願いします。こちらに関しては陛下のご依頼ですので」
ゴルドはテーブル横に置いてあった書類に手を伸ばすと、拾い上げてそのままマリーに手渡した。
「頼んだぜ、俺には何もできそうもねぇ」
悔しそうな顔をして言ったゴルドに、マリーはお辞儀をすると衛兵詰所を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
衛兵詰所から戻ったマリーを、御主人様の帰宅を待つ犬のように出迎えたリリベットは、すぐに調書と資料を受け取った。それを開封しながらソファーに座り中身をテーブル上に広げる。その中から、まず調書を手に取ると上から目を通していく。
「現場は修道院前、炊き出しの最中? どうやら非番だったようじゃな。そして動機に関しては……完全に黙秘なのじゃ」
と呟くリリベットに、マリーは頷きながら資料の方を手に取り読みはじめた。
「被害者……と言ってもゴルド殿の話では怪我は無いようですが、名前をハンス・ザノブ、五十四歳。姓もありますしそこそこの裕福な出かと思いますが、貧困からの盗みが再出発の理由になっていますね」
「貧困が理由の盗み……再出発では、よくある理由なのじゃ」
「しかし、あの人が理由もなく、こんな事をするとは思えませんので、原因はおそらく……」
というマリーの言葉に、リリベットは頷いてから受け取った『ハンス・ザノブの資料』を見ながら
「この男と何かあるのじゃろうな……よし、この者に会いに行ってみるのじゃ!」
と意気揚々と席を立つリリベットだったが、マリーの視線が執務机の上に積んである書類の山に向いているのに気がつくと、ビクッと身を震わせた。
「う……うむ、まずは公務じゃな……わかっておるのじゃ」
と呟き、とぼとぼと執務机の椅子に戻って行くのだった。
◆◆◆◆◆
『リリベットの公務』
主な仕事は議会で決まった新しい法律など批准、サインをすることである。
すべての案件は議会で決定し宰相がすでに目を通しているため、ほぼサインしていくだけではあるが、これが滞ると場内全体の業務が遅れ始めてしまうのだ。




