第27話「嗚咽なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
リリベットが目覚めたのは、全てが収まった翌日の昼頃だった。
目覚めてすぐにベットから飛び起きようとしたリリベットだったが、マリーに止められ現在もベットの中にいる。その頭には丁寧に包帯が巻かれていたが、彼女は怪我は馬車の転倒時に外れたティアラのピンで額を切ったもので、出血は派手だったものの比較的軽症である。
目の前にいるマリーは、脱臼を無理やりはめた痛みが引かないのか、左腕を三角巾で固定していた。心配するリリベットにマリーは
「念のためですよ」
と優しく微笑むのだった。
事件の事後処理は現在宰相フィンの指揮のもと行われており、リリベットにはしばらく休養を取らせようというのが宰相やマリーの考えだったが、彼女はベッドの上で半身だけ起こし『事件の報告』を求めたのだった。
「……陛下、こちらになります」
しばらく後、マリーは持ってきた報告書をリリベットに差し出す。それを受け取った彼女は神妙な顔で報告書を読むと瞼を閉じ震える声で告げる。
「宰相とヘルミナ、それと治療に支障がなさそうならロワを呼んで欲しいのじゃ」
ロワと言うのはリリベットの侍医で、リリベットを庇い負傷した騎士ライムを連れていった医師の名前である。
十分ほど経過したあと、宰相フィンと財務大臣ヘルミナ、侍医のロワが揃ってリリベットの寝室へ訪れていた。
「陛下、御加減はいかがでしょうか?」
「問題ないのじゃ」
実際は表情には力がなく、心の整理がまだついていない様子だった。
「報告書は読ませてもらったのじゃ。しかし宰相の口から、もう一度報告してほしいのじゃ……」
「わかりました。被害状況ですが死者が十二名、うち衛兵が四名、民が八名になります。重傷者は四十二名、騎士一名、衛兵十四名、民が二十七名、軽傷者はまだ正確に把握できてませんが多数です」
リリベットは現実を噛みしめるように顔を伏せ、泣きたいのを我慢しながら指示を出していく。
「ヘルミナ、被害を被った人々、及び遺族に十分な補償を頼むのじゃ。貯蓄資金の使用を許可する……足りなければ王家の私財を売却してもよいのじゃ」
「……わかりました」
王家の私財という言葉に咄嗟に否定しそうになったヘルミナだったが、リリベットの想いを汲み取ったのか短く返事をするだけだった。そして宰相はそのまま報告を続ける。
「襲撃者は四十二名、首謀者を含め十一名は捕縛、残りは死亡しました。申し訳ありません、事後報告になりますが捕縛したうち一名が昨夜一時的に脱獄しましたが、今朝海上で死んでいるのを発見されました」
「……ならばよい、脱獄の不手際は不問とするのじゃ。それで首謀者は誰なのじゃ?」
リリベットの言葉は静かな口調だったが、明確な怒りがこもっているのが感じ取れた。
「クルト帝国 ポート子爵が三男 ホルガー・フォン・ポートです」
「ホルガー……ホルガー・フォン・ポート?」
まるで覚えがないと首を傾げるリリベット。
「何者かはわからぬが、誰であっても極刑は免れぬのじゃ。しかし帝国貴族であれば相手国との関係もある……ポート子爵家。そしてフェザー家経由で皇帝宛に、今回の件と刑について書状を出すのじゃ」
「はっ!」
宰相は右手を胸に当てて敬礼すると一歩下がる。続いてリリベットはロワの方を見ながら尋ねた。
「ロワ、ご苦労なのじゃ……それでケルン卿の容態は?」
「はい、何とか一命を取りとめましたが、現在も昏睡中でございます」
「そうか……しっかり診てやって欲しいのじゃ」
ロワは力強く頷くと一歩下がる。その時、控えの間からノックの音が聞こえてきた。マリーがドア越しに取り次ぎ一瞬驚いた表情をしたあと、ゆっくりとドアを開けてその人物を中に通した。
「リリー……」
そこに現れたのは、リリベットの母である先王妃へレンと側付きメイドのマーガレットであった。危ない目にあった娘が心配になり、無理を押してリリベットの寝室まで訪れたのだ。
「皆さん、話は終りましたか? できれば娘を休ませたいのですが……」
と力無く告げるヘレン。宰相はリリベットの方を向き頷くのを確認すると返事をした。
「はい、ヘレン様。我々はこれにて……」
宰相、ヘルミナ、ロワの三人はヘレンにお辞儀をすると、そのまま退出していった。
ヘレンはマーガレットに支えられリリベットの横に座る。そしてマーガレットとマリーに頷くと、二人のメイドはヘレンの意を汲み取るようにお辞儀をしてから、静かに部屋から出て行くのだった。ヘレンはリリベットの頭を撫でながら尋ねる。
「リリー、大丈夫?」
「だ……大丈夫なのじゃ!」
リリベットは誰が見ても無理しているのが、わかってしまうような笑顔を向ける。母に心配をかけまいと気丈に振舞う娘を愛おしそうに抱きしめるヘレンは優しく呟く。
「いいのよ……今日だけ、今だけだから……」
「だ……だいじょ……ぅ……ぐ……ぅぅぅ……」
ぎゅっと母にしがみつき、顔を埋めて嗚咽を漏らすリリベット。ヘレンはその娘の頭を優しく撫で続けるのであった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 海上の小船の上 ──
時間は少し遡り事件当日の夜、リスタ王都近くの海に小さな船が浮かんでいた。その上には月明かりに映し出された二つの影があり、一人はシルエットから女性だとわかる。その女性がオールを漕いで船を動かしていた。もう一人の男は女性を見ながらニヤリと笑って
「いや、助かったぜ女中さん。アンタも旦那に雇われたのか?」
と精一杯の愛想笑いをしている男は、リリベット襲撃の際に実行部隊の指揮をしていた襲撃者で、最初にリリベットを狙撃した人物だ。彼は目の前のメイド服を着た女性の手引きによって脱獄し、現在船の上で揺られている。
無言の女性を見て喋るのは諦めたのか、未だ後で縛られている手を何とか解こうジタバタと暴れていた。
「おぃ、女中さん。ナイフとか持ってねーか? これ外して欲しいんだが……」
その女性は冷たい……見つめられただけで、心臓が凍るんじゃないかと思えるほどの冷たい視線を男に向ける。男はビクッっと身を震わせると黙り込んだ。その女性は持っていたオールから手を離すと一本のナイフを取り出した。
「な……なんだよ、ナイフ持ってるじゃねーか、助かったぜ」
トスッ!
という軽い音と共に女性は無表情のまま、縛られている男の肩にナイフを突き立てたのだった。男の悲鳴が海上に響き渡る。
「ぎゃぁぁぁぁ! な……なにしやがる!?」
女性はナイフを男の肩から引き抜くと、ポケットから小瓶を取り出し男に向ける。そして静かに透き通った声で尋ねた。
「貴方にはいくつか聞きたいことがあります。まず、この『毒』は……どこで手に入れましたか?」
この小瓶は男が持っていたもので、瓶の中にはザハの毒が入っている。男は暴れながらその女性に向かって威嚇するように暴言を吐く。
「知るか、このアバズレがっ!」
その様子にため息をついた女性は小瓶の蓋を開け、中の液体を先ほど男を刺したナイフに垂らす、男の血と反応して独特な臭いを漂わせはじめた。
「この毒の効果はご存知ですね? もう一度聞きますが……この『毒』はどちらで?」
「…………」
暗殺者の矜持なのか、男は脅しには屈しないといった態度でそっぽを向く。女性はニヤリと笑うと、先ほど刺した男の肩口に再びナイフを突き立てた。男の悲鳴が再び海上に響き渡る。
「私は、この『毒』について六年も追っているのです。教えてはいただけないでしょうか?」
「ぐぁぁぁぁ……ふざけんなっテメー!」
ナイフを引き抜くと、今度はポケットから青いと薄紫色の小瓶を取り出し、男に向かって突き出しながら
「これは解毒剤です。口を開けてください……」
何が入っているかもわからない小瓶である……男は必死に口を閉じ首を振る。女性は深くため息をすると、青い小瓶の蓋を開けると、躊躇いなく男の傷口に押し込んだのだった。声にもならぬ悲鳴を上げながら転げまわる男。
「今のは通常の解毒剤です。知っての通り、死ぬのが少し遅くなるだけですが……やっと見つけた手がかりです。すぐに死なれては困りますからね……まぁ夜は長いですから、ゆっくりと話していただければ結構ですよ。できれば私が楽しくなってしまう前にお願いしますね……」
とニヤリと笑う女性の瞳は赤く輝いていた。
翌朝、近くの港に小船が流れ着き、縛られたまま惨殺された男が発見された。その男は、昨夜脱獄し衛兵隊が探していた男であったため、『逃亡中の事故』として処理されたのだった。
◆◆◆◆◆
『侍医ロワ』
初老の名医でリリベット付の侍医。昔はクルト帝国内のとある貴族に仕えていた。
領主が増えすぎた領民を減らすため口減らししようと、人工的に疫病を流行らせるよう命じるが彼はそれを拒否した。そのため口封じに殺されそうになったのを、かつて助けた患者たちの助けによって逃亡。
リスタ王国へ流れ着き、ロードス王の命により代々王の侍医となったのである。




