第26話「帰還なのじゃ!」
リスタ王国 王都 路地裏 ──
マリーと別れた女王リリベット、その手を引くミリヤム、負傷して気を失っている騎士ライムと、彼を担ぐゴルドの四人は路地裏を駆けていた。後ろからは襲撃者が追いかけてきており、怒声が聞こえてきている。
「女王だぁ! あそこにいるぞ!」
「待ちやがれぇ!」
負傷しているライムはもちろん、彼を担いでいるゴルドもリリベットの手を引きながら、ライムに対して『癒しの風』を発動しているミリヤムも戦える状態ではないく、状況的には逃げの一手しかないのが現状だった。
そんな一行の視線の先に『枯れ尾花』が見えてくる。『枯れ尾花』の軒先には、老店主のロバートが騒ぎの様子を見るため外に出てきていた。その脇を通り抜けながらゴルドが叫ぶ。
「爺さん、あぶねぇぞ! 店の中に入ってろっ!」
「ほぅ……」
そう呟くと目を細めるロバート。その目の前を血で赤く染まった式典用の衣装のリリベットが、髪を乱しながら走り抜けて行った。眉を少し吊り上げたロバートはゆっくりとした足取りで道まで出ると、叫びながら追いかけてきた追手の方を向く。突然出てきた老人に苛立ったのか
「どけっ! ジジィ!」
と怒声を浴びせながら、そのロバートの横を走り抜けるフードの追手二人。
ヒュン! と軽い風を切る音が聞こえた瞬間、フードの男たちは頚動脈から血を噴き出しながら倒れ込んだ。ロバートは、それを感情のこもってない瞳で見下ろしながら呟く。
「どこのどいつか知らないが、子供を狙うなんて外道のすることだぞ」
そして、いつの間にか手にしていた短剣の血糊を男たちの服で拭き取り、そのまま宿の中へ消えて行ってしまった。
この老紳士が動いたのはリリベットを助けるためか、それとも彼の暗殺者としての矜持が許さなかったのかわからないが、彼が『黒狼』と呼ばれていた頃の業の冴えはいまだに健在な様子である。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 路地裏 ──
リリベットの手を握りながら、息も切らすことなく走っているミリヤムは、少し遅れているゴルドに向かって振り向きながら檄を飛ばす。
「ちょっと筋肉! 遅れているわよ」
「はぁはぁ……っつーてもなぁ、こいつ鎧を着てんだぞ!」
息を切らしながら答えるゴルド。ライムに突き刺さったボウガンの矢は鎧を貫通しており、引き抜かなければ脱がすことが出来ないのだ。しかし引き抜くと大量出血の恐れがあるため、仕方なくそのまま運んでいる状態である。
顔から血の気を失いつつあるライムを見てミリヤムは叫ぶ。
「ちょっと止まって! そこに降ろして」
ゴルドは後を振り向き追っ手が来ていないのを確認すると、その場にライムを下ろした。
「どうした?」
ゴルドとミリヤムがライムの様子を確認する。すでにしゃべるのが困難なほど、息を切らしているリリベットも這うようにライムに近付く。
「顔色もひどいし、とてもじゃないけど城までもたないわ」
ミリヤムの言葉に、無言のまま肯定するように頷くゴルド。それほどライムの容態は悪化していたのだった。リリベットのみが必死に首を振っている。
そんな時、屋根の上から音も無く黒い人影が舞い降りた。咄嗟に剣に手をかけるミリヤムと、リリベットを護るように前に出るゴルドだったが、現れた人物の姿にすぐに警戒を解いた。その人物は、とても静かで透き通る声を発しながら微笑む。
「陛下、お待たせいたしました」
突然現れた人物は、別行動を取っていたマリーである。マリーはポケットから二種類のポーションを取り出すと、蓋を開けるとすぐにライムに飲ませる。すぐに効果が現れたのか土気色だった顔が徐々に赤みの帯びた始めた。リリベットが息を整えながら彼女に尋ねる。
「はぁはぁ……マリー……それは?」
「親切な方からいただきました。専用の解毒薬ではありませんので毒の方は気休め程度ですが、これでなんとか城までもつかと」
「って、それ高級ポーションじゃない!? すごい高いやつよ」
捨てられたポーションの瓶を見て驚くミリヤム。マリーはポケットからもう一本ポーションを取り出すと、ゴルドに渡しながら
「ゴルド殿、もう少しです。よろしくお願いしますね」
と微笑むのだった。ゴルドはため息をついてから、ポーションの蓋を開け一気に飲み干すと再びライムを担ぐ。そしてマリーは、すでに歩けないリリベットを小脇に抱えると
「ミリヤムさんは、先行して斥候をお願いします。私が陛下をお守りしますので」
「わかった、じゃいくわよ!」
こうしてマリーを加えた一行は、城に向かって走り始めた。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 大通り ──
一方大通りでは、ミュルン副団長に率いられたリスタの騎士と衛兵隊の活躍により、襲撃者のほとんどは討伐、または捕獲されていた。
「敵がいないか周辺を警戒しつつ、混乱の収拾に務めよ! 怪我人の保護と治療が最優先だ」
「はっ!」
馬上のミュルンの指揮のもと、衛兵隊が分隊ごとに分かれ処理に当たっている。そんな中、周りを見渡しながらミュルンが叫ぶ。
「陛下はどこにおわす? 知っている者はいるか?」
「はい……うちの隊長……いえ、ゴルド隊長と綺麗な人が連れて、路地裏に入って行くのを見ました」
そう答えたのは女性衛兵のレイニーである。それを聞いたミュルンは頷くと、近くにいた二人の騎士に剣を向けながら
「ゴルド殿か、彼なら問題なかろうが……そこの二人は、衛兵十名と共に城へ向かえ、陛下と合流したらお守りしろ」
「はっ、身命に代えましても」
そう答えた騎士たちは近くにいた衛兵をまとめ上げ、城に向けて出発するのだった。その様子を見送ってからレイニーは空を見上げ
「ラッツ君、どこいっちゃったのよぉ~」
と心細そうに呟くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 騒乱の現場から少し離れた路地裏 ──
襲撃現場を監視していた貴族風の男は、事態が収拾しつつあることに苛立ちを募らせていた。喚きながら近くにあった樽を蹴り飛ばす。
「くそっ! 高い金を払ったのに、あんな小娘一人殺れないとは、使えない奴らだっ!」
男は爪を噛みウロウロしながら、ブツブツ一人ごとを呟きはじめる。
「こうなっては、一度領地に戻って……うむ、そうだ! 俺はこんなところで終る男ではないのだ!」
と呟くと踵を返し路地の奥へと走り始めた。しかし突然壁の影から声が聞こえ足を止める。
「……お前が首謀者だな。仲間を見捨てて逃げるのかい?」
影からスーっと黒装束の男が現れる。腰には二本のダガーを差しており、黒い頭巾から金の髪がチラリと見えている。
「な……なんだ、貴様はっ!? な、仲間だと? あんな連中など、どうなっても知るかっ!」
突如現れた黒装束の男に、貴族風の男は慄きながら喚き散らす。黒装束の男はため息をつくと
「まさか俺がマークしてた奴らとは、別に動いていた連中がいたとはな……」
と呆れた様子で呟きながら、腰の二つのダガーを抜くと貴族風の男を見据える。
「しかも民衆にあんなに被害が出る方法を取るとは……お前からは、妹を殺した貴族と同じ臭いがするぜ」
貴族風の男も腰の剣を抜き、喚きながら黒装束の男に斬りかかった。
「み……民衆なぞいくらでも増える家畜ではないかっ! そこをどけぇぇぇ!」
黒装束の男は踏み込みながら、振り下ろされた剣に右手のダガーを合わせると……キュイン! っという音と共にその軌道を変えた。
これはコウ老師の二つ名と同じく『王者の護剣』と呼ばれる剣技で、この金髪の青年が休日などにコウ老師の元に足繁く通って身に付けたものだ。
軌道を変えられた剣は地面に突き刺さり、勢いに乗ってバランスを崩した貴族風の男の顔面に、黒装束の男はダガーのナックルガードを叩き込む。
「ぎゃぁ!」
短い叫び声をあげ、鼻血を噴き出しながら倒れた貴族風の男はそのまま昏倒した。黒装束の男はロープを取り出すと、倒れている男を縛り上げながら
「さてと、俺も衛兵服に着替えて合流しないとね」
と呟くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 正面ロビー ──
一方で、リリベット、マリー、ミリヤム、ゴルド、そして気を失ったままの騎士ライムの五人は、なんとか王城まで辿り着いていた。すでにマリーは部屋に解毒剤を取りに向かっている。
正面ロビーにたどり着いたリリベットに、侍医やメイドたちが慌てながら診断をしようと群がっていた。リリベットも血まみれである。彼らの職務としてリリベットを優先するのは当然ではあるのだが、リリベットは彼らに向かって一喝する。
「えぇぃ! わたしは大丈夫なのじゃ! それよりケルン卿を必ず助けよ! よいな、必ずじゃぞ!」
その言葉に侍医はメイドを一人リリベットに付けると、慌ててライムを診断をし始める。侍医はライムを様子を確認すると暗い顔になる。
「この臭いは、ザハの毒にやられてますな。……特別な解毒剤がなければ、ワシにも手の打ちようが……」
ザハの毒とはムラクトル大陸南方で取れる花から抽出できる毒で、それほど即効性では無いかわりに通常の解毒薬では中和程度しかできず致死性は高い。血液と混じると独特の臭いを出すことで知られている。
そこにマリーが階段を駆け下りてくると、侍医に向かって薄紫色の瓶を差し出した。
「これがザハの解毒剤です、お願いします」
「おぉ、それなら! ほれ、お主らケルン卿を診療室まで運ぶのだ!」
周りにいた兵によって担架に乗せられたライムは、侍医たちと共に診療室へ向かった。リリベットはその様子を見送ると緊張の糸が切れたのか、その場にコトリと倒れて意識を失ってしまうのだった。
◆◆◆◆◆
『ザハの毒』
ムラクトル大陸南方にしか生えていない花から、特殊な方法で抽出する毒。
経口服毒で無い限り即効性はないが、通常の方法では回復手段が少ないので致死性は高いのが特徴。血と交わると強烈臭いを発するが、そのままでは無臭なため暗殺に使われやすいが、製法を知っている組織は謎に包まれている。
この毒は、六年前リスタ王国先王ロイドの命を奪った毒でもある。




