19.showdown
とうのまえから私は――竹田が、現代版サトリではないことに気づいていた。
私も煩悩の塊である。あれほど頭のなかは、しっちゃかめっちゃか思考が渦巻いていたのだ。情報はダダ漏れだったはずなのだ。
なのに、すべてが見抜かれているわけではなかった。
そもそもこの男は、私がこうして策を張り巡らせていることすら感づいていない。
よほどの聖人君子かお釈迦さまでもあるまいし、人に思考を読まれずして振る舞うことなど、ほぼ不可能に近い。妖怪サトリが現実にいたら、勝ち目はあるまい。
この男は私の名からはじまり、妻、瑛美と晶子の家族構成まで知っており、折戸部長との仲をも言い当てた。
ときおり、いかにも私の狼狽ぶりをも見抜いたこともあったが、それは人心掌握術に長けた人間ならではの洞察力があれば造作もないだろう。
まさか折戸と瑛美が不倫していたとは、予想外だったが。
ところが眞子のことは最初、あの人と称するだけで、私から懺悔の告白をさせ、引き出したにすぎなかった。
あれこそはったりだったのだ。竹田は西山殺しをすっぱ抜けなかった。
したがって、この男は断じてサトリではない。
商材シャーデンフロイデの効果効能のふしぎと、指を鳴らしただけで、折戸の車を呼び寄せたメカニズムは常軌を逸してはいるが、竹田自身はれっきとした人間と見てよい。
推測だが――もしかしたら、折戸をよく知る人物ではないか。
そこから瑛美との関係に当たり、さかのぼって私にたどり着いたとしたら?
折戸を貶めることで、竹田になんらかのメリットが生じるのかもしれない。
もしかしたら竹田こそ興信所の人間であり、セールスマンを装って私に接触したのではないか? いささか手のこんだ演技であるにせよだ。
私に近づいた理由はどうあれ、この男は知りすぎた。
どっちに転んでも死はまぬがれない。
青い闇の向こうからやってくる一対の眼が大きくなった。
不吉に線路がきしむ音。
ディーゼルエンジンの唸りがこだました。
黒々とした4両編成が、車体を傾かせ、ゆるやかにカーブしながら近づいてきた。
私のマイホームへと運んでくれる営業列車ではない。帰る方角とは反対側から来たのは、終点の車庫へ向かう回送列車だ。
それが最高速度120km/hで、この無人駅を突っ切ろうとしていた。
「僕には使えません。殺害しようとしても効果はありますまい。安全装置があるに決まってるじゃないですか。高額の料金をせびり、うっとうしくなるたびに命を狙われてたんじゃ、たまったものじゃありませんから。ちゃんと保険をかけておかないと、世のなか不正だらけになってしまいます!」
竹田は手をさし出して、私をなだめようとした。
私は後ずさりした。スラックスのポケットから、商材機器を取り出す。
あえて液晶画面を竹田には見せない。
「なら、試してみようか!」
「よこしなさい、佐那さん!」
こちらに踏み込んできた。
私は意表をついて、しゃがんだ。
商材機器を地面に置いた。
カチャッと音が響いた。
竹田が驚きの顔を見せた。
その表情がすべてを物語っている。――この男は私の心など覗けちゃいない。はったりで私を揺さぶってきたにすぎないのだ。
竹田は尻を突き出し、前のめりになり、体勢を崩した。
それが狙いだった。
機器を相手の股のあいだめがけ、勢いよく滑らせた。
スローモーション映像を見ているかのようだった。
それはみごとに竹田の両足のすき間を抜けて、ホームの向こうへ滑っていった。
まるでカーリングのストーンのように。
眼を突出させた竹田は、私とぶつかりそうになったが、なんとか踏みとどまった。
とっさにうしろをふり返る。
ハーメルンの笛吹き男が履いていそうな革靴でサイドステップを踏み、反動をつけるや脇目もふらず、走り出した。
竹田は遠ざかる機器を追いながら、私の方をふり返り、
「あれは乱暴に扱ってはいけないのです! 壊すなど論外!」
と、叫んだ。
竹田にとって商材は、まるで命よりも大事みたいな取り乱しようだった。
商材機器は1番ホームの突端近くまで達し、バリケードフェンスに当たり、クルクルと回転した。
――止まった。
身体を泳がせて竹田は、どうにかそこまでたどり着いた。
しゃがみ、手にした。
そしてふり向きざま、吐き捨てた。
「よくも……! あんた、騙したな!」
それもそのはず、床を滑らせて遠くへやったのは、私自身のスマートフォンだったからだ。形状が似ていたのが功を奏した。
商材機器は、ばっちり私の手もとにあった。
竹田との距離は優に10メートルは離れている。
私は画面を呼び出し、マイクのアイコンにタッチした。
「相手は竹田 哲人。突然、駅舎からインドサイが現れ、竹田に襲いかかる。角で突かれて、ホーム下に落とされる!」
髪をふり乱し、立ち尽くす竹田。
その左側の線路の向こうから、黒い物体がライトを放ちながら迫ってくる。
まばゆい光を浴びて、ショッキングピンクのシャツを着た竹田の姿が、一瞬にして影絵となった。
まさに不意討ちだった。
右側の駅舎の出入り口から、岩石のような巨体が躍り出た。
きっと東山動物園から次元を越えてやってきたインドサイだ。鎧をまとったような身体で、鼻の頭に鋭い突起があった。
憤怒の顔つきでホームのスロープをかけあがると、竹田に襲いかかった。
ぶつかる瞬間、竹田は左手をサイにかざした。
それだけで優に2トンはある巨躯が、まるでテレビの電源を切ったみたいにかき消された。
インドサイは跡形もなく消えてしまった!
肩を怒らせた竹田がこちらに歩いてくる。
「無効だと言ったろ、佐那!」
さっきまで剽軽だった口調が、ガラリと変わった。
突然、竹田の人相までもが変化した。
どす黒い肌が強烈すぎた。一気に鼻が平たくなり、眼と眼の間隔が狭まった。口もとも大きく張り出し、まるで狡猾な猿を思わせた。
「何者だ、おまえは!」
私は言いつつ、次なる秘策の準備をしていた。落ち着け。ちゃんと商材シャーデンフロイデが、この男には通用しないことを想定していた。
ライターで、隠し持った右手の品に火をつけた。
「佐那、オレの言うことに従え! 大人しく商材シャーデンフロイデに支配されるのだ! それを粗末にするんじゃない! おまえらごとき命より貴重な品だぞ!」
回送列車のライトに照らされた細身のシルエットが近づいてきた。
さっきまでの虚勢を張った小男ではない。
背中からなにかが展開した。バサッと翼が左右に広がった。
一見するとビニールの素材のような膜でできて、コウモリのそれを彷彿とさせた。列車のライトが透かせるほど薄かった。
あまりの恐怖でうなじの毛が逆立った。
だが、臆することなく、こちらから仕掛けた。
この勝負、勝つには真っ向勝負しかない。
そいつを間近で見た。
禍々しいなにか。それがシャツを着、スラックスを履いていたが、露出した肌は毛むくじゃらだった。
悲鳴をあげながら、右手の罠を相手のワイシャツの胸ポケットにねじ込んだ。
その拍子に、魔性の者と化した竹田の手が私の手首をとらえた。
黒い毛だらけの手には、恐るべき鉤爪が生えていた。
回送列車がすぐそこまで迫った。
竹田が唸り、なにか言いかけたときだった。
突如、シャツのポケットで甲高い破裂音がした。それも連続ではじけた。
さすがの竹田も泡を食った。――爆竹だ。
私は右にまわり込むと、肩で体当たりした。
竹田は身体のバランスを崩し、ホームの下にはじき飛ばされた。
列車が入ってきた!
轟音とともに、風が吹き抜けた。
4両編成は、あっという間に通過していった。
鉄臭い突風が私の髪を乱した。
――ついに、やったか?
どうだ、まいったか!
私の身内で、ある感情が迸った。
そうだ。いまこそオペラを歌うにふさわしい。
得意のナポリ民謡を!
「オ~~~! そ~れ、見~よ~~~ッ!」ホーム下に向かい、高らかに声を響かせた。「――それ見なさい。だから言わんこっちゃない。この知恵比べ、私の勝ちだな」
回送列車は、なにごともなかったかのように走り去っていった。
まさか家路を急ぐJRの運転士も、悪魔を轢いたとは夢にも思うまい。
遠ざかるそれを見送ったあと、ホームの縁に近づいた。
きっと、レール上はえらいことになっているにちがいない。
ところが、翼の生えた竹田はレール上に寝っ転がったまま、無傷でいた。
ムクリと立ちあがり、気味の悪い顔をクシャクシャにして、こう言った。
「僕は……死にましぇ~~~~ん!」
そいつは泣きそうな声を発すると、翼をはためかせ、夜空へ飛び立っていった。
悪魔め、思い知ったろ。切り札は最後まで見せないものだ。
了
★★★あとがき★★★
このオチにするためだけに、元オペラ歌手の設定だったのです^^;
どんだけ引っ張るんやねん!




