16.奴らに制裁を!
ふり向きざま竹田の肩をつかんだ。そして囁いたのだった。
「商材シャーデンフロイデ。お試し期間は2回だったな。あいつらに使いたい。使わずにはいられない!」
「ここにあえて呼び寄せた甲斐がありました」と、竹田は揉み手で言い、頭をたれた。「では、さっそく端末のご使用を。なにも難しいことはありません」
しかしながら、お試し2回分はしょせん軽度レベルにすぎない。たわいもない幼稚ないたずら程度なら、よけい私自身がみじめになるだけではないか。
かと言って、重傷を負わせる中度以上のレベルだとキャンセルされ、そのうえお試し1回を消費してしまうと、竹田に警告された。もちろん、いきなり高額を請求されてもいいのなら、本番に挑戦してもいい。
いずれにしたって、慎重に仕返し方法を選ばなくてはならない。
なんとか効果的なそれはないか?
頭を回転させ、知恵を絞った。
どうすれば軽度でも、あの二人に心的ダメージを与えられるか?
……それにしても、瑛美のとろけっぷりよ。とても見ていられなかった。
折戸の、あの好色さも耐えがたい。
激情が間欠泉のように突きあげてくる。
私は腰を落とし、忍び足でホームから駅舎の出入り口の壁に近づいた。
この陰からなら、広場の車まで半径5メートル以内に充分入っている。私の対空射撃の射程内だ。
このとき、名案がひらめいた。
私はスマホ然とした機器の電源を入れ、液晶画面を立ちあげた。
すぐに音声検索の画面に切り替わった。すかさずマイクのアイコンにタッチし、こう言った。
「折戸部長にお仕置きを。方法は、突然車のエアバックが開き、折戸にパンチを浴びせる」
スイッチを押すと、液晶画面にスマイルマークが表示され、「承認しました」と音声合成で言った。
車内で折戸と瑛美は見つめ合っていた。
烈しい憎悪をかき立てるほどのラブラブぶり。私は歯ぎしりした。
突如ボン!と音を立てて、白い風船がハンドルの中央から煙とともに花開いた。
まさに一瞬のできごとだった。
おかげで折戸は受け身も取ることができず、風船に飲み込まれた。
風船がしぼむと、鼻血で下半分べったりの折戸の顔があった。茫然たる表情である。
ざまあみろとは思ったが、これだけでは納得いかない。
だいいち、瑛美はなんら被害を被っていないではないか。
妻にも制裁を加えねば!
私は火花が出るほど、頭をキリキリと回転させた。
死なない程度に、痛打を与える方法はないか?
とっさに思いついた。
私は商材機器のアイコンにタッチした。
「対象は佐那 瑛美。突然エアコンの吹き出し口から、アシダカグモの子グモ1000匹が車内に侵入。瑛美に襲いかかる」
液晶画面がワンテンポ遅れて暗くなったあと、「承認しました」と言った。
私は顔をあげ、車を見た。
ふいに、ソプラノの悲鳴があがった。
鼻血を拭う折戸の横で、瑛美が絶叫しながら助手席でジタバタしている。振動でハイブリッド車が揺れた。
私は瑛美の弱点を知っていた。
ガーデニングや野菜作りが趣味のわりには、大の虫嫌いだった。とりわけ蜘蛛はおぞましい生き物として、瑛美のなかで君臨していた。
いつぞやの夏の夜だった。
脱衣所に忍び込んだジャンボサイズのアシダカ軍曹と遭遇した瑛美は、下着姿のまま右往左往するほど取り乱したものだ。
髪の毛を逆立て、ついにはハエ叩きで叩きのめすも、蜘蛛は胴体に卵を抱えていたらしい。
親蜘蛛を潰したはいいが、卵が割れた。その拍子におびただしい数の子蜘蛛をまき散らしたのだ。
優に200匹を超える子蜘蛛が放射状に散り、そのうちの何十匹かが妻の脚を這いあがった。
彼女の狂乱ぶりと言ったらなかった。
半裸姿で玄関を飛び出し、近所まで逃げていったことがあったのである。
あの日のトラウマの再現だった。
この駅舎の陰からは見えづらいが、きっと車中では子蜘蛛がわんさか走りまわり、瑛美を恐怖のどん底に突き落としていることだろう。身体をそり返らせ、すがすがしいまでの長く響き渡る悲鳴が、それを物語っていた。
この商材シャーデンフロイデ、軽度レベルによって、多少なりとも溜飲がさがった。
しかしながら、まだまだ腹の虫はおさまらない。
ええい、こうなったら追加を発動させよう。
――いよいよ本番だ。
「突然、酔いどれボクサー崩れが現れ、折戸部長に因縁を吹っかけ、顔面にワンツーを食らわす」
私は商材機器に囁いた。
ワンテンポ遅れて液晶画面には、警告音とともに『Danger!』と表示された。
次いで、『本当に実行しますか? YES・NO』となった。指で操作しようとしたときだった。
すかさず竹田が耳もとでこう言った。
「それはいけません。いくら元ボクサーでも、そんな人に殴られたら、常人は最悪死に至ります。それだと、高度レベル9に相当し、1億円前後の料金が発生しますので、あしからず」
「1億?――なんだよ、使えねえな!」
私は口汚く吐き捨てた。
むしろ1億で折戸に引導を渡せたら安いくらいかもしれない。もっとも、いくらなんでもそんな貯蓄はないし、たとえ怒りにまかせていたとしても現実的ではない。
私はすぐさまキャンセルした。
とはいえ、子供だましの軽度レベルではこの怒りの代用にはなり得ない。
どうすれば、二人に痛恨の一撃を与えることができるか?
そもそも二人はどうやって、深い仲になったのか?
瑛美はきっと折戸に言い寄られたにちがいない。どうせ好色な折戸のゴリ押しで口説き落とされたにちがいないのだ。
だとすれば、憎むべきは折戸である。
肉体的にダメージを負わせるのではなく、むしろ社会的地位を脅かすのだ。そうだ、そっちの方が奴には堪えるだろう。
思いついた。
すばやく機器にタッチし、
「突然、『週刊文秋』の記者が現れ、折戸と瑛美が一般人であるにもかかわらず、写真を撮りまくられ、肝を冷やさせる」
と、言った。
軽度レベル3と表示されたあと、「承認しました」との返事があった。
しばらくすると、広場の道の向こうからヘッドライトの光芒とともに、エンジン音が近づいてきた。
白いセダンタイプの車だった。
折戸らが乗ったハイブリッド車の真横に停まった。
運転席側のドアが開き、スーツ姿の中年男が颯爽と現れた。一眼レフを手にしている。
男は折戸の車のまえにまわり込むと、カメラを連写した。
車内の瑛美はともかく、鼻血を噴いた折戸はなにごとかと眼を剥いている。




