14.祖母から聞いた怖い民話
「まさか、佐那さんが若いときに、そのような殺人に手を染めたとは……。人は見かけによらないものです」と、眼のまえの竹田は腕組みしたまま言った。「どうりであなたの心を覗いたとき、あの人の存在が気になっていたのです。瑛美さんではなく、娘さんでもなく、それが眞子さんだったわけですね。運命共同体ゆえに、それで大きなウェイトを占めていたってことですか。なるほど」
納得した様子で竹田は頷いた。
私の罪を受けとめてくれる心の広い人間を装っているが、そのくせショッキングピンクのワイシャツに、はでな紫のネクタイをつけ、ハーメルンの笛吹き男が履いていそうな三角形の革靴が、どこか別世界の住人にも思えた。あまりにも胡散臭すぎるうえ、私をたぶらかそうとする姿は悪魔的だった。
いまさらながら悔いた。こんな男に、洗いざらい過去をぶちまけてしまうべきではなかったのだ。
このネタを使って、私は付け込まれようとしていた。
竹田は言ったではないか。汚い手を使ってでも、商材シャーデンフロイデを売り付けたいのだと。
高額のそれを買わされるだけならいい。ブラック企業の手先のような男のことだ。きっとさらにリピートを迫るに決まっている。
あの日のスッポンもかくやとばかりに私に食いついてきて、骨の髄までしゃぶろうとするにちがいないのだ。
私が拒否すれば、その足で警察に行き、密告しかねない。
それだけは、なんとしてでも阻止しなくてはならない。そのときこそ、私は破滅する。大なり小なり問題のある家庭であるものの、平穏な暮らしは破綻し、社会的地位も失い、服役しなければなるまい。
恐らく一家は離散するだろう。刑務所に入った私を、瑛美が献身的にサポートしてくれるとは思えないからだ。
――とすればだ。
なんとしてでも、この男の口を封じなくてはなるまい。
竹田が人の心を読む力は本物だ。恐るべき特殊能力。信じがたい透視の技術。
悟られないよう、擬装しながらコトを進めるのだ。
私は無意識を心がけて、ビニール袋をがさがさと弄んだ。
駅舎の屋根を叩く雨音は相変わらずだ。
私は壁時計を見た。
発車時刻まで30分はある。――まだだ。
それとは別に、じきに回送列車が入ってくるはずだ。
本日の仕事を終え、車内清掃のために車両基地のある車庫へ帰る車両である。この無人駅のホームを、風のように素通りしていくことを知っていた。
これこそ、とっておきの切り札だ。あとは然るべきタイミングで罠を仕掛けなくてはならない。
竹田がまばたきもせず、軽薄そうに口角を吊りあげたまま、
「よろしいですか、佐那さん。そろそろ覚悟を決めてください」と、言った。さらに前のめりになって私の顔を真っ向から見つめる。「もういちど言います。僕がお勧めする商材シャーデンフロイデをお買い求めくださいますか? 僕は知ってしまった、あなたの恐るべき過去を。罪滅ぼしと思って、ご検討お願いします。もっとも、本来ならば商品ご購入後、8日以内の返品が可能ですが、あいにくキャンセルできませんがね。だってコレ、キャッチセールスの範疇に入らないんですから。いまからその訳をお教えしましょう。なぜなら僕は――」
ちくしょう。これではファウスト博士をたぶらかす悪魔、メフィストフェレスそのものじゃないか! やっぱりこいつは常人ではなかったのだ。
「なぜなら僕は――なんなんです?」
私はたじろぎながら聞き返した。
竹田はそんな私の胸中を見抜いているらしく、歯ぐきをむいている。
さっきに比べ、人外の顔立ちに変化したように思えた。――照明のせいか、やけに顔色が黒くなった気がする。
鼻が扁平になり、眼と眼のあいだが狭すぎやしないか。どんぐり眼には、人としての理性が宿っていない。
猿を思わせる竹田の人相に、私はハッとした。
とっさに、亡き祖母の顔が思い浮かんだ。
「まさか――!」
父方の祖母が岐阜県美濃市の山深い集落に住んでいた。
子供のころ、連休のたびに帰省して、田舎での休暇を楽しんだものだ。
ある年末の晩のことだった。幼い私を囲炉裏のまえに呼び、祖母が昔話を聞かせてくれた。
◆◆◆◆◆
「史郎や。これはね、昔々の話なんだよ。浮世絵師って言ってね、江戸時代の絵描きさん――鳥山 石燕って人が書いた本があるんだ。それも、妖怪ばっかりが描かれた画集に載ってるんだけど――」
と前置きして、祖母は妖怪覚のことを語ってくれたのを思い出す。それが恐ろしくて、その夜、布団のなかに潜り込み、深夜までふるえたほどだ。
サトリは美濃市にとどまらず、日本各地の山奥に棲みつくと信じられた妖怪で、人の心を見透かし、隙あらば襲いかかって取って食おうとするという。
多くの民話の筋書きはこうだ。
ふいにサトリは、山での生業をする人間のそばに現れる。
焚火ごしの心理戦がはじまる。
人の心を読み、「お前はいま、恐いと思ったな」などと次々に言い当てるので、人間はさてどうしたものか、途方に暮れるのだ。
サトリが隙を見て襲いかかろうとしたときだった。
焚火の木片が爆ぜて、あらぬ方向に飛んだ。
その破片がサトリの眼に当たったものだから、あわてふためいた。
こうして妖怪は山奥へ逃げていった……。
なるほど、この男はメフィストフェレスではなく、サトリにちがいない。考えてみれば、前者はキリスト教の民間伝承であり、サトリの方がしっくりくるではないか。
だとしたら――。
私は思考を遮断した。
これ以上、考えるのはよせ!
それよりも騙されたふりをするのだ。
いずれにせよ、私の秘密を知ってしまった以上、どうにか撃退するしかあるまい。
「あなたの特殊能力が本物なのはわかった。あなたは私の、眞子さんとの共犯を知ってしまった。――それで、脅してでも商材シャーデンフロイデを売りたいと。それもわかった」
竹田は顔じゅう、クシャクシャにして笑った。
さっき一瞬だけよぎった、猿じみた顔はどこへやら、もとのいけ好かない男の表情に戻っていた。
単に不安定な照明のせいだったのか――?
「さすが佐那さん、物わかりがよろしい。おかげで無理強いしなくてすみそうですね」
竹田は笑いながら、例の端末機器を私に押し付けた。緩衝材はすでに取り除かれている。
「よろしいでしょう、商材シャーデンフロイデ。試してみることにします。まずは無料お試しを2回だっけ? どれほどの効果効能か見てみたい」
「でしたら、さっそく折戸部長で?」
「そうだ。明日にでも折戸で実験してみよう」
と、私は言ってから、わずかながら希望が沸いた。
そうなのだ。どうせ折戸で試すなら、明日出社して、あいつに会わないことには使いようがないではないか。
なにせこの商材は、仕返ししたい相手の半径5メートル以内に入らないと作動しないからだ。
となると、商談が成立すれば、竹田ともおさらばできる。この場を体のいい口実で逃げ切れたらそれでいい。
竹田のことだから、ペナルティとまではいかないにせよ、なんらかの手数料を取るかもしれない。これが法外の料金だったり……。
あるいは手数料こそ取らなくても、どうせ竹田は私の秘密を握っているのだ。
後日、私が商材を使用しない場合、電話で脅しをかけてきて、結局料金が発生するような状況に仕向けるのかもしれない。
この男はスッポンそのものなのだ。
食らいついてきたら、私から金を毟り取るまで離してくれそうにない。




