81.音合わせ
「あら聖泉さん、お久しぶりね」
「あっ……更紗さん、ご無沙汰してます」
とあるテレビ局の廊下で、二人の女優がすれ違った。一人は往年の超一流俳優であり、ハリウッド女優としても名を馳せる大女優、美華月 更紗。そしてもう一人は、かつてはトレンディ女優として、いまではドラマに欠かせない女優として知られる名優、星原 聖泉。
聖泉は芸能界だけでなく学校の大先輩でもある更紗に頭を下げる。多忙を極める二人が顔を合わすのは、実に久しぶりのことだった。
「先日、麗奈ちゃんに会いましたよ。すごく可愛くなってますね、なんでも『激甘♡フルーティ』のナンバーワンになったとか。あんなに可愛い娘さんをお持ちで本当に羨ましいです」
「うふふ、ありがとう。でもね、その麗奈が最近ちょっとお熱なのよ」
「お熱……?」
更紗の口から聞きなれない単語が飛び出して来たので、聖泉は思わず小首を傾げる。あの、冷静沈着で常にプロ意識が高い麗奈が、誰かにお熱--夢中になるなどありえるのだろうか。
「あの子ね、今度マリアナ祭にバックコーラスで参加するのよ」
「げ、現役アイドルがバックコーラスですか? しかも麗奈ちゃんほどの子を? 彼女、歌もかなり上手ですよね?」
「あら、あの子の歌を褒めてくれてありがとう。でもね、あの子はその状況を喜んでるみたいなのよ」
「よ、喜んでるんですか……。それは凄いですね」
「ええ、あの子ったらもう完全にお熱なのよ。……メインで歌う子にね」
いまの麗奈はアイドル界でもかなりの実力者だ。現役最強アイドルである聖泉の事務所の″星空メルビーナ″にはいまだ及ばないものの、世間でもアイドル界トップ10に入るくらいの人気を博している。
その彼女を、そこまで夢中にさせる存在とは……。
「更紗さん。その、麗奈ちゃんがお熱になってる相手ってのは誰なんですか?」
「あなたも知ってるはずよ。なにせその子は、あなたの次のエヴァンジェリストなのだからね」
「あっ、それはたしか……」
「ええ。その子の名前は″日野宮あかる″。うちの事務所の新人よ」
聖泉は自分が持つ″日野宮あかる″の情報を思い出す。自分ですらエヴァンジェリストになるときの選挙での得票率は80%台であったのに、″日野宮あかる″は驚愕の99.8%を記録したのだという。
最初聞いたとき、その情報はウソだと思った。だがすぐに真偽を確認して、その情報が事実だったと知ると、″日野宮あかる″に俄然興味が湧いた。もっとも、そのときにはタレント契約は目の前の更紗に取られてしまっていたのだが。
「……聖泉さん、日野宮あかるに興味あって?」
「えっ?」
「あなた、今度のマリアナ祭で日野宮あかるがたった一回だけ歌うライブに興味ある? うちの麗奈が嬉々としてバックコーラスとして参加するほどの、ね」
「……興味あります」
興味があるなんてものではなかった。
聖泉は、耽美堂のCMで見た美少女″日野宮あかる″のことが、とてつもなく気になっていた。それは自分の後輩だからとか、そんな単純な理由ではない。ただ純粋に″日野宮あかる″という存在に惹かれていたのだ。
その彼女が学祭で見せる、たった一回だけのライブ。そんなもの、見たいに決まってる。
聖泉の反応を見て、更紗は満足げに頷いた。
「いいわ。じゃあ理事長にかけあって席を用意しましょう。わたくしたちが鑑賞する、特等席をね」
◆◆◆
今日は、我らが『アカル☆パラドックス』の全体練習の日となっていた。それまで個々で練習していたのを、全員集まって一通り流すのだ。
……それにしてもこのバンド名、ちょっと恥ずかしいよね。なにがパラドックスなんだか。まぁいまさら色々手遅れなんだけどさ。
この場に揃ったメンバーは、我らがチーム『アカル☆パラドックス』とも呼ぶべき14名の精鋭たち。
メインヴォーカルは私、こと日野宮あかる。
サブヴォーカルとして、現役バリバリのアイドルであるレーナ。
バックダンサーとして、レノンちゃん、みかりん、ジュリちゃんによる『ネットアイドルチーム』の三人。そこに、さらにはなぜか姫妃先輩までちゃっかり参加していた。いいのかこれ?
そして演者として、ヴァイオリン(⁉︎) 兼 男性コーラスにミカエル。ギターはシュウ。ベースはいおりん。ドラムはガッくん。ピアノに羽子ちゃん。『キングダムカルテット』のメンバーに羽子ちゃんを追加したドリームチームだ。
あとは、演出家としてエリスくんに、撮影担当の我仁さん。さらには司会進行役 兼 衣装担当として布衣ちゃんまで参戦してくれた。
……はっきりいってすごいメンバーだと思う。ほぼ摩利亞那オールスターズと言っても過言ではない。よくもまぁこんなメンツが集まったもんだよね。
「それじゃあ今回は音合わせがメインということで、日野宮先輩たち演者を中心にお願いします。ダンサーの方々はイメージを固めてください」
「「「はーい」」」
エリスくんの仕切りによって、それぞれのメンバーが楽器の前に配置に着く。全員が全員、ひどく真剣な表情を浮かべていたので、私も自然と本気モードになっていく。
「じゃあ、最初はピアノのソロとアカルちゃんのアカペラからだね。始めようか」
いおりんの号令のもと、ガッくんがドラムでリズムを取って、ついに1回目の全曲流しが始まった。
ポロン……。羽子ちゃんが、まるで何か乗り移ったかのような表情でピアノを弾き始める。そこに、いつもの彼女の弱気な様子はない。すごく感情のこもった演奏だ。
すごいよ羽子ちゃん、これは私も負けてられないな。
前奏が奏で終わったところで、今度は私のアカペラの番だ。羽子ちゃんの演奏に負けないように、想いを込めて声を出す。ぶるんと、空気が震えたような気がした。
--そして、ついに全員の演奏が始まる。
まずは鋭く響くミカエルのヴァイオリン。驚くほどのテクニックで、空気を切り裂く。その奥では、まるでさきほどまでと別人のように激しく鍵盤を打ち付ける羽子ちゃんの姿。
さらには、全身を振り乱してドラムを打ち鳴らすガッくんや、高速の指さばきでギターをかき鳴らすシュウ。そして、個性の塊みたいな全体のバランスを取るいおりんのベース。
--すごい、すごすぎる。
初めてキングダムカルテットの演奏を聞いたときも驚いたけど、今回はさらに桁違いだった。なにせこれまで電子音でしか聞いてなかった私のための曲が、目の前で生演奏されているのだから。私はもう全身に鳥肌が立つのを抑えられないでいた。
--負けてられない。
あいつらの演奏に、想いに、負けるわけにはいかない。
そんな気持ちに突き動かされ、私は腹の底から声を絞り出すようにして、一気に全力で最後まで歌い上げた。
〜♪〜♪〜♪〜♪〜
なんとか一曲を歌い終えたとき、音楽室に訪れたのは静寂だった。
誰も言葉を発しない。聞こえて来るのは、全員の荒い吐息だけ。
全員が、全力で演奏をしていた。羽子ちゃんなどガックリと頭を垂れて、今にも倒れそうになりながら肩で息をしている。
私も当然全力を尽くして歌った。その結果、いまは膝をつきたくなるのを必死に堪えてるようなギリギリの状態だった。それくらい、全ての力を出し切った。みんなのもの凄い演奏に後押しされるようにして。
だけど私は悔しかった。だから歯を食いしばって必死に立ち続けていた。自分の歌声は、まだみんなの演奏の凄さに追いついてない。追いつくためには、もっともっと頑張らなければならない。そう思えるようなみんなの演奏だったから。
「……だめです、わたしのピアノはアカルさんの歌に届いていません」
だけど、最初に不満の声を上げたのは意外にも羽子ちゃんだった。あれほどの熱のこもったピアノを弾いたというのに、彼女は自分の演奏に強烈な不満があるようだった。
「いや、オレのヴァイオリンも合わせきれてねぇな。やっぱ鈍ってるのか」
「いいや、僕のドラムの勢いが明星のピアノに負けてたんだよ。まだまだ僕も足りない」
「なに言ってんだよ。俺のギターが走り過ぎてたのが原因だろ?」
「ううん、違うよ。ボクのベースが合わせきれてなかったせいだよ」
口々に己の不満を口にし、悔しがるバンドのメンバーたち。だけど私からすると、自分が一番みんなに届いてないように感じていた。
弱音を吐くようにコーラスに入っていたレーナにそう漏らすと、彼女は激しく首を振って否定してきた。
「アカル、そんなことないわ。あなたの歌声は神がかってる。むしろあたしが霞んでしまうくらい。だからあたし、プロの意地に賭けて絶対にあなたに合わせてみせるわ」
「いやいや、それはこっちのセリフだよ。みんなの演奏が凄すぎて、私の方がもっと努力しなきゃって思えたもん」
すると今度は、横で聞いていたレノンちゃんや姫妃先輩が口を挟んできた。
「アカルにゃん、それは謙遜にも程があるってなものにゃん。その歌声に、レノたちも負けてられないにゃん」
「そうだな、レノン。ヒメたちも死ぬ気でダンスの精度を上げていかないとな」
どうやらレノンちゃんや姫妃先輩ら観戦組にも火がついたみたいだ。後ろにいるみかりんやジュリちゃんも頷いている。その目には、強い火が灯っていた。
「これは……すごいライブになりそうね」
「ええ、楽しみですよ。そのためにもぼくが完璧にプロデュースしてみせますよ」
「グフフ、撮影はアタイに任せるがよろしいよ!」
布衣ちゃん、エリスくん、我仁さんもそれぞれが思いを強くしたみたいだ。
今回の音合わせを契機に、私たちの音楽はさらなる高みへの第一歩を踏み出し始める。--今の自分たちがたどり着くことができる、極限の場所への第一歩を。
◇◇◇
結局この日は、この一回の演奏をもって解散となった。それぞれがそれぞれなりの課題を見つけたので、持ち帰って改善したいという思いが強かったからだ。
レーナは悔しそうに「今日もこれから仕事なの。だけどあたしもアカルに負けないように鍛えなおしてくるからね」と言い残して、黒木マネージャーの車に乗って仕事に向かっていった。
たぶんレーナとはもう何回も合わせることはできないだろう。だけど、彼女もプロだ。きっと本番では完璧に合わせてくるだろう。
その日の帰り、私は教室に忘れ物をしたので取りに帰っていた。すでに外は真っ暗になっていて、日が落ちるのが早まったことを実感させられる。
メールを見ると、アカルママから『夕食は各自でよろしく!』というメッセージが入っていた。こりゃ早く帰らないとマヨちゃんがお腹を空かせてるかもしれないな。
そんなことを考えながら学校の階段を降りようとしているとき、なにやら男性と女性の話す声が聞こえてきた。慌てて階段の陰に身を隠す。
「……いおりくん、あたしじゃダメかな?」
「ごめんね。ボクは今回、誰とも踊るつもりはないから」
どうやら会話を交わしてるのは、いおりんとどこかのクラスの女子生徒のようだ。聞こえてくる内容から、女子生徒がいおりんをマリアナ祭のダンスに誘って断られてるところらしい。
しかし、いおりんは誰とも踊らないんだ……意外だなぁ。
しばらくして女子生徒が諦めたのか、立ち去る足音が聞こえてきた。すこし鼻声になってたから、たぶん泣いていたんだろう。いおりんも罪な子だよねぇ。
「えーっと、そこにいるのはアカルちゃんだよね?」
「うわあっ⁉︎」
不意にいおりんから声をかけられ、私は思わず声を出して立ち上がってしまった。見るといおりんが困ったような呆れたような表情を浮かべてこちらを見ている。どうやら盗み聞きしていたのがいおりんにバレていたらしい。あちゃー、さすがに気まずいや。
「ご、ごめんねいおりん。帰りがけにたまたまここを通ったら、話し声が聞こえて……あ、私はなにも聞いてないからね?」
「分かってるよ。それより、せっかくだから一緒に帰ろうか?」
なにやらいつもと違い、少し目に真剣な光を宿すいおりんにそう声をかけられて、弱い立場の私はただ黙って頷くことしかできなかったんだ。




