75.帰還
一通り話し終えたところで、ラーはグッと伸びをした。その仕草は実に人間らしく、まるで普通にその辺にいる女性のようで、俺は思わず目を凝らして凝視しまう。
「……なんだい、人のことをガン見してさ。まぁいいや、これでだいたいの説明は終わったよ。だけど、さっきも言ったとおり、今ここで答えを出す必要はない。いまの君は、決断するにはまだ早いからね」
そういえばさっきもそんなこと言ってたな。まだ早いってのはどういう意味だろうか。
「言葉通りの意味だよ。だって君は、まだ迷っているだろう?」
ラーの言葉は、俺の胸を強く打った。
本当にこいつは、なんでもお見通しなんだな。俺の迷いも全て……。
確かに俺は迷っていた。それくらい、今のアカルちゃんの周りにいる人たちが魅力的だったからだ。
レーナや羽子ちゃん、いおりんなんかを始めとした、得難い友人たち。
簡単には切り捨てられない。安易には関係を断ちたくない。そう思えるほど素敵な人たちに囲まれた今の生活が、なんと恵まれていることか。
「なーに、慌てなさんな。期限まではまだもう少し時間がある。それまでゆっくりと考えるといいよ」
「……期限って? いつまでなの?」
「それは、その時が来たら自然と分かるよ」
そう言うと、ラーは意味深な笑みを見せたんだ。
この言い方からすると、そう遠くない未来なんだろうなぁ。
「そうだ、最後にもう一つ……いや二つ教えてくれ」
ラーが立ち去りそうな気配を感じて、俺は慌てて声をかける。白黒ストライプの髪の彼女は小首を傾げてこちらを振り返った。ツインテールがフワリと揺れる。
「……なんだい?」
「もしさ、途中で俺が記憶を取り戻したら、どうなるの?」
「あー」
すまない、大事なことを伝えるのを忘れていた。ラーはそう言うと改めて説明を始める。
「もし君が記憶を取り戻した場合、強制的に″生まれ変わり″を選択したこととなる」
「げっ」
だから君が記憶を取り戻そうとするのをこうやって阻止してるんだよ。ラーの言葉に、彼女が今回慌てて俺の前に出現した理由を悟った。
なるほど、俺はやっぱり手厚く見守られていたらしい。
「で、もう一つの質問は?」
「もしも俺が″生まれ変わり″を選んだ場合、今のこのアカルちゃんは……どうなるの?」
「……残念だが、死ぬことになる」
「へっ⁉︎」
「だってさ、中身が無くなってただの器になるんだよ? 死んじゃうのは仕方ないだろう? 元々″日野宮あかる″はそんな運命だったわけだしね」
さも当然のことのようにラーにそう言い放たれて、俺は何も聞くことができなかった。
それ以上に、アカルちゃんが死ぬということにショックを受けたというのもある。
アカルちゃんが死んでしまう? そんなの、受けいれられるわけがないに決まってる! それに残されたレーナや羽子ちゃんたちはどうなるのさっ⁉︎
だけど俺のそんな葛藤などお構い無しに、ラーは無造作に背を向けると、今度はもうこちらを振り返ろうともせず、おもむろに片手を上げる。
--次の瞬間、止まっていた時が急に動き出した。
吹き付ける風、鳥の鳴き声、通り過ぎる車の音。それらが一気に俺の周りから押し寄せてくる。
そして、ふたたび動き出した景色の中に、もはやラーの姿は跡形もなく……綺麗さっぱり消え去っていたんだ。
◇◇◇
「アカルっ!」「アカルさんっ!」「アカルちゃん!」「日野宮!」「アカル!」
例の神社仏閣のある駅に戻ってきたとき、俺を待ち構えていたのはレーナ、羽子ちゃん、いおりん、ガッくん、ミカエルの班メンバー全員だった。
なんだかみんなの顔を見た瞬間、ほんのりと温かいものが胸の中に満ちていく。あぁ、やっぱ友達は良いよなぁ。
「みんな……待っててくれたの?」
「アカルのばかっ! なに勝手な行動してるのよっ!」
「そうですよ! すごく心配したんですから……」
泣きそうな顔をしながらしがみついてくるレーナと羽子ちゃん。いやはや、なんか照れるなぁ。
「アカルちゃんってば、あいかわらず無鉄砲なんだから」
「まったくだ、秩序を守らんやつめ!」
「まーそう言うなよ、こいつもちゃんと帰ってきたんだからさ」
なんだかんだで自分勝手な行動をした俺を、三者三様にフォローしてくれるイケメン三人組。まったく、こいつらってば……心までイケメンですことっ!
「……みんな、ゴメンね。自分勝手な行動をして」
さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになったので素直に頭を下げると、みんなニッコリと笑って許してくれた。ほんっとみんな優しいのね、アカルちゃん感動だよ……。
「ところでアカルちゃん。なんだか少しスッキリした顔してるけど、なにか良いことでもあったの?」
「ふぇっ⁉︎」
相変わらず鋭いいおりんにそう問われて、思わずドキリとしてしまう。なんなのよ、その鋭さはっ!
「んーん、別になんにもないよ?」
「ふーん、そっか。ま、いいけどね」
そう言うと、いおりんはそれ以上深くは突っ込まずに穏やかな笑顔を向けてくれた。
それにしても今回、自分がどれほどみんなを心配させていたのかってことに、改めて気付かされた。
自覚はなかったけど、おそらくずっと深刻な顔でもしてたんだろう。みんなに心配かけて、本当に申し訳ないことをしたなぁ。……反省。
こうして皆と再会を果たしたあと、修学旅行が再開されることとなった。
今回のラーとの邂逅で、ある意味″ひとつの目的″を達成してしまっていたので、そのあとはただ純粋にみんなと同じ時を過ごすことに集中することができた。だから、以後の時間はすごく楽しかった。
修学旅行最後の夜は、みんなで今回の旅の思い出話でずいぶんと盛り上がった。いつのまにやらうちらの班の部屋に布衣ちゃん&シュウのカップルが乱入したり、レノンちゃんたちが飛び入り参加したりで、ずいぶんと大騒ぎしたものだ。
……おかげでさくらちゃん先生にはコッテリと絞られちゃったしね。
最終日も、班のみんなで屋台でラーメンを食べたり、ドーム球場を見に行ったり、海辺にあるタワーに登ったり……。
楽しい時間は過ぎていくのが早くて、気がつくと帰京する時間になっていた。
帰りの新幹線は、みんな疲れ果てたのかぐっすりと寝ていた。
俺の席の隣でも、羽子ちゃんがすぅすぅと静かに寝息を立てながら、俺の肩に頭を乗せて眠っている。
羽子ちゃんの頭をそっとなでると、窓の外を流れる景色を眺めながら、ぼーっと今後のことについて考えていた。
たぶん俺は、近いうちに″選択″をしなければならないだろう。
一応、自分の中ではなんとなく答えは決まっている。だけど、ラーの気遣いに甘えて、ちゃんと自分の中でしっかりとした答えが見つかるまでは、安易に結論を出さないよう心がけることにした。
なにせ修学旅行が終われば、次は学祭だ。
マリアナ祭は、ほんの一ヶ月後に迫っている。
まずは学祭を、後悔しないように全力で挑まないとね! だってさ、みんなの前でオリジナル歌を披露することになってるんだから!
そうと決まれば迷ってなんかいられない。
とりあえず、前からの課題だった『歌詞』を早く完成させないとなぁ……トホホ。
「ただいまー!」
「おかえりー、おねーちゃん!」
約一週間ぶりに家に帰ると、マヨちゃんが抱きついて出迎えてくれた。おーマイシスター、久しぶりに会う姉に抱きつくなんて、なんと愛らしい子なんだ!
「おねーちゃん、おみやげは?」
「……はいはい、これね」
「わぁ! 本当に明太子買ってきてくれたんだ! ありがとぉ〜!」
と思ったら、お土産狙いでした! 残念!
にしても、本当に明太子買ってきて驚くなんて、もしかして冗談だったの? みんなに変な目で見られながら、真剣に明太子選んで買ってきたのにさっ!
結局、この日の夕食は家族でめんたいこご飯になった。白いご飯に載せる明太子は、悔しいことに実に美味しかった。家族の評判も上々だ。
「モグモグ……やっぱり明太子は美味しいね!」
「た、たしかに……」
「こりゃご飯が進むね!」
くっそー、こんなことならもっと買ってくれば良かったよ! 明太子おいしいよー!
「ねぇねぇ、マヨちゃんが明太子食べたら、明太マヨじゃない?」
「や、やめてよおねーちゃんっ! その呼び方はイヤぁ!」
こうして……俺の長かった修学旅行は、明太子ご飯やマヨちゃんの悲鳴とともに幕を閉じたんだ。
◆◆◆
場面は変わって、ここは摩利亞那高校の校舎裏。
陽の光の届かない暗い場所で、二人の人物が--まるで決闘をするかの如く面と向かって対峙していた。
対峙する人物のうち、一人はメガネをかけた大人しそうな少女--明星 羽子だ。
そしてもう一人は、金色の髪を靡かせる美男子--冥林 美加得だった。
二人の間には、緊張感のある微妙な空気が流れていた。特に明星 羽子のほうが相手を鋭く睨みつけ、剣呑な雰囲気を醸し出している。一方で冥林 美加得のほうは、彼女の視線を受けて苦笑いのようなものを浮かべている。
まるで、一触即発の空気。状況は完全に停滞していた。
そんな状況を打破するかのように口火を切ったのは……明星 羽子のほうだった。
「こんなところにいたのですね、ラー様。ずいぶんと探しましたよ」
問いかけられたほうの冥林 美加得 は、フッとため息を吐くと、両手を広げて降参の意を示す。
「あらら、ついにバレちゃったね。……って、そんな怖い顔をしないでくれよ、エルフィアーナ。可愛いお顔が台無しじゃないか」
「バレちゃった、じゃありませんよっ!」
強い口調で咎めるようにそう言った次の瞬間、明星 羽子の体がブレ始めた。その顔が徐々に別の人物へと姿形を変えていく。
やがて明星 羽子の姿は、白と黒のストライプの髪を持つ少女へと変貌を遂げていた。いまそこに君臨するは、マリアナ高校の制服に身を包んだ【G】だ。
一方、冥林 美加得のほうもいつのまにか姿を変えていた。男子の制服に身を包んだ、白黒ストライプの髪の女性。彼女は、先日アカルの目の前に現れたのと同じ人物--すなわち【ラー】であった。
ただし、先日とは違い、髪型をツインテールではなくオールバック気味のポニーテールにしているので、一見すると男性のように見えなくはない。
「それで、ラー様はいったいなんのつもりでこちらの世界に来たのですか?」
「い、いやそれは……」
「私たちのことがそんなに信じられないのですか? だったら最初からご自身で……」
「ち、ちがうよエルフィアーナ。ただ単にこっち側がちょっとだけ懐かしくなっただけさ。君がスイーツを食べたくなるようにね」
「うっ⁉︎ 」
最初から押され気味だったラーからの予想外の反撃に、思わず言葉に詰まる【G】。そんな彼女の様子に、ラーは微笑ましい笑顔を浮かべる。
「ラー様、ご存知だったのですね……」
「ははっ、別に恥ずかしがることじゃないさ。誰にだって好きなものはあるんだからね。……そんなことよりも、実は修学旅行中にちょっと危ない事態に陥りそうになってさ。それを解決できただけでも、私がこっちの世界に来てた甲斐があったってなもんさ」
「えっ?」
戸惑う【G】に、ラーは修学旅行先であった出来事を伝えた。
最初は冷静な顔で聞いていた【G】も、日野宮あかるが記憶を取り戻しかけたことや、それを阻止するためにラーが姿を見せたことを聞いて驚き、戸惑い、そして最後には大きくため息を吐いた。
「……ラー様、ずいぶんと大胆なことをなさいましたね。しかも転生先として『女勇者レーヴァティリア』を勝手に見せたりして……本人が聞いたら怒りますよ?」
「仕方ないだろう? ここで失敗したらこれまでの苦労が全部パーになっちゃうんだからさ」
「だからって、よくもまぁそんなデタラメな説明が通じましたね。もし『S』に疑われでもしたら、そこで終わってましたよ?」
「まぁ全部が全部ウソってわけじゃないんだ。ほら、昔から言うだろう? ウソを交えるなら真実の中にってさ」
「そんなの知りませんが……」
【G】に冷たい視線を送られ、わずかに怯むラー。だがすぐに気を取り直すと、話を続ける。
「そ、それにさ、結果的に『S』は全部信じてくれたんだ。だったら別に構わないだろう?」
「ラー様、そういうのを結果オーライと言うのですよ?」
「結果オーライ? そんなの上等さ」
ラーは白黒ストライプの髪をサラッと手で梳き、風に遊ばせる。そんな彼女の仕草を、【G】は目を細めて--まるで恋する乙女のような目線で眺めていた。
「……さて、なにはともあれ私たちとして出来ることはすべてやった。あとは『S』がどんな選択をするかだね」
「そうですね」
「長かった、君の仕事ももうすぐ終わるよ。エルフィアーナ」
「……最後まで、油断は大敵ですよ?」
「ははっ、そうだね。君の言う通り最後まで気を引き締めるとしようか。私のワガママで始めた、この……盛大に無駄な儀式が、無事に終わるようにね」
そう言うとラーは、そっと【G】の頭を手を乗せた。
乗せられたほうの【G】は、少し嬉しそうに目を閉じると、ラーがくしゃくしゃと髪を好きに弄ぶのに身を任せたのだった。
修学旅行編・完!
物語は最終局面となる「マリアナ祭編」に続く( ^ω^ )




