73.邂逅
全ての動くものが完全に停止した世界の中で、ただ一人の動くものとして、その女性はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
身長は……あまり高くない。たぶんアカルちゃんよりも一回りは小さいのではないだろうか。白と黒のストライプの髪を、可愛らしくツインテールにしている。
白いワンピースみたいな服を身につけた彼女は、線が細く胸も薄い。目は一重で細く釣り上がり気味で、決して美人とかそういう感じではない。
だけど、彼女が持っている気配は決して平凡ではなかった。というよりも、完全に常人離れしたオーラをビンビンに放っていた。
俺みたいな一般人であってもすぐに気づく。こいつは……なんというか、普通の存在ではない。
そもそも空間を停止かなんかさせてる時点でトンデモナイやつであることは間違いないんだが……。
しかも、もう一つはっきりしていることがある。
この女性は、俺が″過去の自分″につながる場所に近づいた絶妙なタイミングで、急に目の前に現れた。ってことは、たぶん俺のことをずっと″監視″していたのだろう。
なぜ俺のことを監視していた? そして今回、わざわざ姿を現してきた理由は? どうしてこれまでの隠密監視をかなぐり捨ててまで、俺の目の前に現れた? しかも、「これ以上行くな」と足止めまでしてきたのはなんで?
この先に、何かまずいことでもあるのだろうか。彼女は「まだ早い」と言っていたが……。
色々なことが頭を渦巻いて戸惑いを見せる俺を察してか、白と黒のストライプの髪を持つ彼女は、軽く微笑みかけながら穏やかな声で話しかけて来た。
「やあ【S】、驚かしてしまったみたいだね。そういえば、君とこうして会うのは初めてだったな」
「え、エス? さっきもそう言ってたよね、もしかしてそれはわた--いや、俺のこと?」
「ふふっ、この【停止した凍結空間】には君と私の他に誰もいないよ。……あぁそうか、君はエルフィアーナから何も聞かされてないんだったね。だったら仕方ないか」
エルフィアーナ? だ、誰だそれは。
ってか、いきなり現れて訳のわからないことを言うこいつは、いったい誰なんだ?
「あ……あんたはいったい……いや、もしかしてあんた、【魔王】か?」
「……魔王? この私が?」
「あ、ああ。【G】がそう言っていた。こっちの世界に世界を滅ぼす力を持ったヤバイやつが来たってさ」
そう聞かされて、彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべたあと、すぐに小さな声で笑い始める。まるでいたずらがバレた子供のような笑顔で。
「ククク、エルフィアーナめ。言うに事欠いて人のことを【魔王】呼ばわりとはねぇ。まぁたしかにかつてはそんな風に呼ばれたこともあったが……いやはや酷いもんだ。これはよっぽど私の勝手な行動に腹が据えかねたんだろうなぁ」
「そ、そのエルフィアーナってのは誰なのさ⁉︎」
「あー、君には【G】って名乗ってたんだったね。エルフィアーナはね、その【G】の本名だよ。正式には『エルフィアーナ・″門の管理者″・ララティエル・ヴァン・アズライェール』って言うんだ。ああ見えても彼女、一国のお姫様なんだよ?」
まるでなんでもないことを口にするかのように、サラッとすごいことを暴露してくる【魔王】。ってかさ、【G】ってば実はお姫様だったのかよ! 確かに可愛いルックスではあったんだけど、あまりにクールだからそんな風に見えなかったよ!
俺が現実逃避気味にそんなことを考えていると、【魔王】はツインテールにした自らの髪をサラッと手でかき上げて俺のほうに向き直った。キラキラと、光り輝く粒子のようなものが彼女の髪の毛から飛び立っていく。その神秘的な光景に、俺は一瞬見惚れてしまう。
「さて、と。それじゃあ改めて自己紹介をさせてもらおうかな。私の名前は……そうだな、『ラー』とでも呼んでくれ。エルフィアーナも私のことをそう呼んでいるから。ところで【S】、君はもう女の子の体に慣れたかい?」
「くっ……慣れるかぃそんなもん!」
ラーと名乗った彼女に見惚れてしまったことがなんとなく気恥ずかしくて、バレないようにとつい強気な返事をしてしまう。いや、本音ではあるんだけどさ。
「そうかい? んー、残念だなぁ。女の子の体も慣れれば決して悪いもんじゃないと思うんだけどねぇ」
「そ、そんなことよりその【S】って呼び方はなんなんだよっ⁉︎ それが俺の本名だったりする?」
「いいや、違うよ。【S】ってのは君に便宜上付けられたコードネームみたいなものだ。君の本名については今は明かせないことになっている」
「それは……どうして?」
「予定外に、君が記憶を取り戻したら困るからだよ」
ラーは、意外にも包み隠すことなく正直に質問に答えてくれた。もしかしてこれは……聞けば教えてくれるのか? 試しに俺は別の質問をぶつけてみることにする。
「……このタイミングで出て来たってことは、あんたは俺のことを監視してたんだろう? なぜ監視していた?」
「その理由も同じさ。君が不慮の出来事で昔の記憶を取り戻してしまうような事態を避けるためだよ。そして今回は、これ以上先に進むと君が記憶を取り戻してしまう可能性があった。だから、仕方なく出てきたんだよ」
「それは……ここが、元の俺が生まれ育った場所だから?」
「うん、そうだよ」
またしてもラーは、あっさりと肯定する。
なんだこいつは? 若干拍子抜けしながらも、俺は質問を重ねていく。
「……【G】は、俺がこのあたりの地方の出身だって知らないようだった」
「ああ、あの子は知らないよ。知ってたら死にものぐるいで阻止してただろうね。まぁそもそもエルフィアーナにはそこまでの情報を開示してなかったしね」
「……なぁラー、もしかしてあんたは【G】よりも上の立場の者なのか?」
「そうだね、直属の上司に当たるのかな?」
「……そして、あんたは俺がこうなった背景を全て知っている?」
「うん、知っている。というよりも、私が君をそんな風にした張本人だよ」
はあぁぁぁああっ⁉︎
なんだってぇぇぇっ⁉︎
突如明かされた衝撃の事実に、俺はあんぐりと空いた口を閉じることができなかった。
ただならぬ気配とその語り口から、こいつが核心に近い人物だとは思ってた。だけど……よもや俺をこんな目に遭わせた張本人だったとはっ!
「あんたが……俺の記憶を奪って、アカルちゃんの体に憑依させた張本人だったのか! なんで、なんでまたそんなことを……」
「まぁ、いろいろあってね」
俺の問いかけに、今度は一転してはぐらかすように答えるラー。その態度に苛立ちが募り、俺は声を荒げる。
「なぁラーとやら、教えてくれよ! なんであんたらは俺をこんな目に合わせる⁉︎ なぜ記憶を取り戻すことを恐れてる? 俺に……一体何があるっていうんだよっ⁉︎」
「まぁまぁ、少し落ち着きなよ」
妙に落ち着いたラーの声に、俺は急に冷静さを取り戻す。まるでなにか精神を安定させる魔法でもかけられたみたいだ。
俺が落ち着いたことを確認したところで、ラーは満足げに一つ頷くと再び口を開く。
「私たちはね、別に君を監視していたわけじゃない。どちらかというと″見守ってた″って表現のほうが適切かな?」
「見守ってた? なんで……」
「その理由をこれからゆっくり説明するさ。そもそもそのために、私はわざわざこうやって君の目の前に姿を現したわけだしね。ついでに、さっき私が言った言葉の意味も、これから話すことを聞いてもらえたらきっも分かってもらえると思うよ」
そう言うとラーは、俺がこんな事態に陥ることになった理由について、ゆっくりと話し始めたんだ。
◇◇◇
ラーの説明は、まずは俺への問いかけから始まった。
「なぁ【S】、君は『異世界転生』っていうのを知ってるかい?」
「異世界転生? それってあの、トラックとかに轢かれて異世界に行っちゃうとか、そういうハチャメチャなやつ?」
「あはは、まぁそうだね。概ねそんな理解でいいよ」
「その、異世界転生になんの関係が……はっ! も、もしかして、俺ってば異世界転生に選ばれた人だったりするっ⁉︎」
だとしたら、わざわざラーたちが俺にちょっかいをかけて来たのも分からないでもない。ウッヒョー、ファンタジーな展開キタコレッ!
でもラーは苦笑いを浮かべると、軽く首を横に振って俺の考えを一蹴する。
「残念ながらそういうわけではないなぁ。でも当たらずとも遠からずってところかな」
「へっ?」
「……私たちの住む世界はね、君がいるこの世界から少しずれた場所にある。うまく表現できないけど、『並行世界』とか『別宇宙』とか、そんな言葉を聞いたことはあるかい? だいたいそんなものをイメージしてもらえればいいよ」
なんと、ラーや【G】はマジもんの異世界人でした! いやー、こいつらが起こす現実離れした超常現象的なものを見る限り、そんなことだろうなぁとは思ってたけど、こうやってハッキリと言われるとやっぱ驚くわ。
「それでまぁ、私たちの世界も御多分に洩れず色々あってね。この度めでたく異世界--つまりはこの世界から、『勇者』とかそんな感じの人を召喚することになったんだよ」
おおっと、さらにここでテンプレきたーーっ!
ってことは、やっぱり俺がその″選ばれた勇者″とかだったりするのかっ⁉︎
「だーかーら、違うって言ってるだろう。私たちが白羽の矢を立てたのはね、一人の少女だ。私たちが設定した召喚の前提条件を全てクリアしたその子の名は……″日野宮あかる″」
ここで出てきた予想外の名前に、俺は不意をつかれる。
日野宮あかる? それって、この身体の本来の持ち主である?
「そうだよ。それで私たちは、綿密に召喚のための準備を整えた。なにせ″異世界転生″には、対象の適性はもとより十分な準備と長い儀式なんかも必要でね。タイミング的にみて千年に一度くらいしかできなかった。だから、このタイミングを逃すと当面次のチャンスは訪れない。失敗は絶対に許されなかった」
千年に一度……それはまたずいぶんと気の遠くなるような話だな。″異世界転生″ってそんなにハードルが高いんだ。
「″異世界転生″には、なによりもタイミングが重要だ。絶妙のタイミングで対象者の身になにか致命的なイベントが発生する必要がある。たとえば……″トラックに轢かれる″とかね」
「……あっ!」
その瞬間、俺は分かってしまった。
これからラーの言わんとしていることが。
「ま、まさか……俺は……」
「ふふふっ、どうやら察しがいい君は気づいてくれたみたいだね?」
先日のミッションクリアの際に蘇った、俺の最期の瞬間の記憶。
かつての俺は、女の子--おそらくは″日野宮あかる″を助けるために、トラックの前に飛び出して轢かれていた。
ってことは、あのシーンってのは……もしや……。
「そう。君の最期の記憶にある瞬間ってのは、まさに″日野宮あかる″に異世界転生が施される瞬間のものだ。つまり……」
ラーは、とても優しげな色をその目に浮かべて、決定的な一言を告げた。
「君はね、″日野宮あかる″の【異世界転生】という『事故』に巻き込まれた、ただの一般人なんだよ」




