62.スランプ
パシャ。パシャ。
「あー、いい笑顔だねー! ふたりとも、もうちょっと近寄ってー」
撮影監督の指示に従って、俺とレーナは顔を近寄せる。レーナの柔らかい吐息が俺の髪をそっと撫でる。な、なんか照れるなあ。
「はいオッケー! いいの撮れたよー! じゃあちょっと休憩しようか!」
その声に合わせてレーナが少し距離を置いてくれたので、俺はホッと胸を撫で下ろす。よかったー、このまま続いてたらちょっとヤバかったかも。
俺の気持ちを察してか否か、レーナがフッと鼻で笑う。悔しいけど、いまの俺にはもはや睨み返す気力も無かった。
向こうでは『耽美堂』の担当者と広告代理店の担当者と、黒木マネージャーがなにやら大人の会話をしている。
「いやー、二人ともいいね! 黒木さんから最初この提案をもらったときはどうしようかと思ったんだけど、こりゃ本当にいいね。レーナちゃんのイメージがすごく変わったよ」
「それにもう一人の子--″AKARU″ちゃんも良いね! あんなすごい子の『初撮り』、うちがもらっちゃってもいいの?」
「ええ、もちろんですよ。なにより二人とも『スターリィ・プリンセス』を愛用してますからね」
「あはは、こりゃ黒木くんに一本取られたね」
「まったくだ、あはははっ」
さすが敏腕マネージャー、実におべっかが上手ですこと。もっとも朝日兄さんにもらった『スターリィ・プリンセス』を結果的に愛用してるのは事実なんだけどさ。
レーナが主演して俺がちょい役で出る『スターリィ・プリンセス』のCM撮影は、すごく順調に進んでいた。ここまではポスターや宣材用の静止画の撮影をしていたところだ。
「よーし、じゃあこの休憩が明けたらいよいよCMの本番撮影に入るからね。二人とも、よろしく!」
「はい、わかりました」
「は、はーい」
撮影現場から一旦解放され、俺は逃げるように控え室に駆け込んだ。安っぽいパイプ椅子にもたれかかった瞬間、思わず「はぁぁ」と大きな吐息が漏れる。
そんな俺にレーナの情け容赦ない激励が飛ぶ。
「あら、情けないわねアカル。まだ本番の撮影は始まってすらないのよ?」
「はー、レーナ。こりゃ思ってた以上に大変だね。いまの前撮りだけで二時間は撮ってなかった? この調子だと全部撮り終わるのにあとどれくらいかかるのやら……」
「そうねぇ、この調子だとあと十時間くらいかしらね」
「じゅ、十時間っ⁉︎」
げっ、マジかよ。どうりで朝早くから黒木マネージャーが迎えに来たわけだよ。トホホ……。
あまりに衝撃的な事実を知らされてゲンナリしていると、少し離れたところに座っていたレーナが、なにやら真剣な表情でスマホをピコピコいぢくり始めた。
「ん? レーナってばなにやってるの? ゲーム?」
「ゲームなんかするわけないでしょ。ブログを更新してるのよ」
「ブログ?」
まるで親の仇みたいに画面を睨みつけながら必死に画面を操作してるから、てっきりゲームでもやってるのかと思ってたよ。それにしても彼女のキャラに似合わないことやってんのな。
「レーナ、なんでまたそんな無茶なことを……」
「無茶って、あなた失礼ね。これは黒木さんに言われたから仕方なくやってるのよ。なんでも『レーナはお堅いイメージがあるから、それを崩すためにもブログとかをやって、世間のイメージを改善していかないとね』だそうよ」
「ぷっ」
予想外の理由に思わず吹き出してしまう。なんというか、黒木マネージャーの苦労が偲ばれるなぁ。
おっとっと、笑ってたらレーナに思いっきり睨まれてしまった。仕方ない、話題を変えるとするか。
「……それで、ブログにはどんなことを書いてるの?」
「もちろん、日常的なことよ」
日常的なこと、ねえ。とりあえず見せてもらうことにする。
どれどれ。『○月○日、今日は撮影でした。お昼ご飯は唐揚げ弁当でした。』『○月○日、今日は学校に行きました。お昼ご飯はサンドイッチでした。』『○月○日、今日は……以下略』。って、なんじゃこりゃ。その日やったことと昼飯のことしか書いてないじゃないか。しかも文字ばっかりで写真の一つも無いし。なんという″しょっぱい″ブログなんだ。
「ちょっとレーナ、いくらなんでもこれは無いんじゃないの?」
「だって、なに書いていいかわかんないんだもん」
「だもん、じゃないよ! 可愛くいえば許されると思ってないか⁉︎ 甘えんなコラッ!」
まったく、予想以上に酷いブログだ。こんなことしてるから、ファンから″塩対応″って言われるわけだよ。
「ったく、レーナは仕方ないなぁ。とりあえずどんなことをブログに書けばいいのか、参考までに私が手本を書いてあげるよ」
「あっ」
戸惑うレーナからスマホを奪い取ると、そのままサクサクとブログを打ち込み始める。適当に打ったところで、内容をチェックしてもらうためにレーナに携帯を戻した。
「さて、こんなんでどう?」
「……えーっと、『今日はなんとCM撮影です♪ 何のCMかはまだオフレコなんで、オンエアを楽しみにしててくださいね(=゜ω゜)ノ』……なかなかやるじゃない。見直したわ」
「レーナも女の子なんだからさ、せめて顔文字くらいは使いなよ。さ、仕上げに写真を撮って載せようかな。じゃあレーナ、撮ってあげるから可愛い顔して〜」
「あ、待って! アカル、一緒に映りましょう!」
そう言うとレーナは俺の手から携帯を奪い返して、そのままグイッと身体を寄せてきた。顔が密着するくらいに近付いてきたので、思わず身を引いてしまう。
「いくわよアカル、ハイチーズ!」
パシャ。
確認してみると、画面にはいたずらっ子みたいな笑顔のレーナと、ぎこちない表情のアカルちゃんが映し出さてれたんだ。
こうしてレーナに撮られた写真は、さきほど俺が代筆したブログにそのまま載ることになる。
ただ一言、ブログの最後に『今回一緒に撮影してる″親友″とのツーショットです!』というコメントが追加されて。
◇◇◇
短い休憩時間が終わりを告げたので、しぶしぶ控え室から出ると撮影スタジオにレーナと並んで歩きながら戻ることにする。
「あら、なんだかブログのアクセス数が増えたわ」
「へー、そりゃ良かったね」
「ねぇアカル、あなたあたしのブログのゴーストライターにならない?」
「……おいおい、せめてそれくらいは自分で書きなさいよ。そもそもそれってレーナのトレーニングのためなんでしょ?」
「あぁ、そうだったわね。困ったなぁ、こういうの書くのあたし苦手なのよねぇ」
などと話しながら歩いていると、通路の向こう側から歩いてくる一人の女の子の姿が目に入った。
燃える、じゃない、萌えるような白銀色の髪に抜群のスタイル、そして小さな顔に整った目鼻立ち。マジかよ、あの子は……。
「あれっ、レーナじゃない? おひさー!」
「……メル、どうしてここに」
「今日はね、ここでうちの事務所の宣材用の集合写真とかを撮影してるんだよ。だから全員集合してるんだ」
「あぁ、だからセイラやハルカたちがいたのね」
な、な、な、なんてこったい。
今俺の目の前にいるのは--万人が認めるスーパーアイドルグループ『トキメキシスターズ』の不動のセンター、見まごうことなきホンモノの超絶美少女アイドル″星空メルビーナ″ちゃんではないか!
星空メルビーナちゃんは、カナダ人とのハーフなだけあって、妖精のような美貌とスタイルを持ち合わせた超絶美少女だ。
現在のアイドル界の頂点に立つ大人気アイドルグループ『トキメキシスターズ』。そのメンバーである伝説の13人の中でも、デビュー以来不動のセンターを務める彼女は圧倒的なまでの人気を誇る存在だ。もちろん俺も彼女やトキメキシスターズの大ファンで、カラオケでは彼女のグループの歌ばっかり歌ってたりする。
まさかこんなところで憧れの星空メルビーナちゃんに会えるとは夢にも思わなかったよー! 興奮のあまり思わず身震いしてしまう。
しかもこの話しっぷり、どうやらレーナとメルビーナちゃんは知り合いのようだ。なんだよ、だったら早く教えてくれよ!
「そういうレーナこそ、どうしてここにいるの?」
「CM撮影よ。あたし今度『耽美堂』のお仕事を頂いたの」
「あっはー、よかったね! メルは『華后』と専属契約してるからライバルだねっ! ……それで、そっちの子は?」
「この子はあたしの友達の……」
「ひっ、ひっ、日野宮あかるです! メルビーナさん、お会いできて嬉しいですっ!」
俺は勢いよく前に飛び出すと、メルビーナに向かって手を差し伸べる。彼女は一瞬驚いた表情を浮かべたものの、すぐにニッコリと笑って手を握り締めてくれた。
「はじめまして、日野宮あかるさん」
「あのっ、わたっ、わたっ、私、メルビーナさんの大ファンなんですぅ!」
「あらホント? 嬉しいわぁ」
「CDも全部持ってますし、歌も大好きです!」
「あらあら、まぁまぁ」
まるで妖精さんのように可憐な笑みを浮かべるメルビーナ。いやー、まじフェアリーだよ。
ときおり横をチラチラ見てるので何だろうと思ってチラ見すると、横ではレーナが鬼のような形相を浮かべながら俺のことを睨みつけていた……ぎょっ。
だけどメルビーナはそれに動じた気配もなく、逆にさらに笑顔を浮かべて俺に話しかけてくる。
「えーっと、あかるちゃんだっけ。あなたすごくカワイイわね。よかったらさ、うちの事務所に来ない? あなたくらい可愛かったら『トキメキシスターズ』の次期メンバーに入れるかもよ?」
「えっ⁉︎ いいんですか⁉︎ だったらぜひ、はっ、はっ、はいらせていただき……「ダメよ、メル。アカルはもううちの事務所に入ってるの」」
俺が勢いのままに同意しかけたところで、レーナからすかさず横ヤリが入る。
「あらそうなんだ、ざーんねん。じゃあアカルちゃん、またね?」
「は、はぁい!」
「……レーナもね、ウフフッ」
「…………」
そう言い残すと星空メルビーナちゃんは、白銀色の髪を可憐になびかせながらゆっくりと立ち去っていった。
そんな彼女の後ろ姿を、俺は目をハートにしたまま眺めてたんだ。
「……コホン。アカル、なにデレデレしてるのよ?」
「はっ⁉︎」
いかんいかん、メルビーナちゃんに見惚れてレーナのこと完全に忘れてたよ。
そんな俺にちょっぴり怒ってるのか、レーナは頬をぷくーっと膨らませたまま、こちらをジト目でギロッと睨みつけてたんだ。
◇◇◇
そのあとの撮影は、午前中と同様に順調……とはいかなかった。なぜだか理由は分からないけど、どうにもレーナの調子が上がってこなかったのだ。
「レーナちゃん、ちょっと表情硬いよ〜。もっとリラックスして〜」
「あ、はい。申し訳ありません」
何度かリテイクで撮り直すものの、どうしてもイメージ通りの表情が作れないでいる。それがもどかしいのか、レーナは悔しそうに歯を噛み締めたりしていた。
そんなレーナを見かねてか、監督が気分転換にと少し早めの昼休みを取ることになった。
監督の宣言を聞いて、レーナは「ちょっと切り替えてきます」とだけ黒木マネージャーに伝えると、素早く撮影室から飛び出していった。やがて控え室にたどり着いた彼女はドアにカギをかけると、そのまま控え室に閉じ篭ってしまったんだ。




