55.美華月麗奈の決意
ここは、都内にある大きなテレビ局の控え室。その部屋の中に、二十代後半か三十代前半の外見の見目麗しき女性の姿があった。
圧倒的な美しさとオーラから、彼女が只者でないことはわかる。テレビ局という場所柄、おそらく女優なのであろう。
その彼女がいる部屋の扉が、トントントンとノックされた。
「いるわよ。どうぞ」
「失礼します」
入り口のドアを開けて入ってきたのは、高校生くらいに見える少女であった。彼女もまた極めて美しい美貌とすらりと伸びた肢体を持っている。
それもそのはず、彼女もまた世間では「アイドル」と呼ばれる存在なのだから。
「お久しぶりです、聖泉さん」
「レーナちゃん、よく来たわね。ずいぶんとおっきくなって驚いたわ。お母様は元気?」
「はい、母はとても元気です。聖泉さんに会ったらたまには遊びに来るようにって伝えるように言われてます」
「あらそうなの? 大女優の美華月 更紗さんにそう言われたら、行かないわけにはいかないわね」
そう言うと、女優--星原 聖泉は小さく笑った。まるで部屋の中に花が咲いたかのような、華やかな笑顔だった。幼い頃から目指していた存在を前にして、芸能界で美男美女には見慣れたはずの美華月 麗奈でさえ思わず見惚れてしまう。
「それにしてもレーナちゃん、まさかあなたが私の後輩になるとは思わなかったわ。マリアナ高校は楽しい?」
「はい、お仕事が忙しくてそんなに行けてるわけではなんですが……」
「あら、それはいけないわね。ちゃんと行ってお友達を作らないとね。学生時代に作る友達は、私たちみたいな芸能人にとっては世間とのつながりという意味でもとっても大切な存在なのよ」
「そう……ですね。肝に銘じておきます」
素直に頷くレーナの反応に満足げな笑みを浮かべると、星原聖泉はがらりと話題を変えてきた。
「ところでレーナちゃん、マリアナ高校に新しく【摩利亞那伝道師】が生まれたそうね。私以来だから20年ぶりくらいかしら?」
「は、はい。そうなんですよ。ずいぶんお詳しいですね、つい最近の話題ですのに」
「うふふ、女優たるもの情報網はたくさん持つものよ。ちなみに選ばれたのはあなた……じゃないわよね。どんな子なの?」
「はい、なかなかに強い子です」
「強い子?あははっ、面白い表現ね。会ってみたいわぁ、その子に。まぁエヴァンジェリストになったからには芸能界入りは確約されたようなものだから、そう遠くない未来だと思うけどね。この私みたいにね」
自身がエヴァンジェリストに選ばれて芸能界入りした経験からか、確信を持ってそう語る様子に、レーナはただ頷くことしかできなかった。
「ところで、その……今回新たに誕生したエヴァンジェリストの名前はなんていうの?」
「はい、日野宮あかる、といいます」
「日野宮あかる、ね。覚えておくわ」
◇◇◇
星原聖泉の部屋から自分の控え室に戻ってきたレーナは、置かれたイスにどかっと座ると大きく息を吐き出した。
「ふー、さすがに聖泉さんはすごいオーラ持ってるわね」
「ははっ、そりゃ相手は腐っても大女優だからな」
レーナの言葉に、側に控えていた彼女のマネージャーであるメガネを掛けた男性が頷き返す。
「そういやこの間、新○で凄くいい感じの子を見つけたんだよね。あの子だったら星原クラスとまではいかなくても、レーナの相方くらい務まると思ったんだけどなぁ」
「あら、口説き上手な黒木さんでもスカウトできなかったの?」
「そうなんだよ。『君ならレーナちゃんの相方になれるよっ!』って言ったんだけどね。あっという間に逃げられちゃったんだ」
「ふふっ、黒木さんナンパな格好に見えるから警戒されたんじゃない?」
「あらら、ひどいなぁレーナちゃん。僕はこんなにも仕事に真面目で忠実な人間だってなのにさ」
黒木と呼ばれたマネージャーはおどけた態度を見せた。いかにも芸能界の人のようにくだけた格好をしている彼であるが、大女優 美華月 更紗 に認められて彼女の愛娘を託されているだけあって、業界でも有名な人物であった。
その彼はひとしきり笑って見せたあと、表情を戻してレーナに向き合う。
「ところでレーナちゃん、新しいお仕事の話が来てるよ」
「ん~、どんなお仕事なの? 『激甘☆フルーティ』の仕事?」
「いや、ピンの仕事だ。しかもファッション誌の取材」
「あら、いいわね。受けるわ」
「えーっと、それがね。ちょっとした条件があってねぇ……」
「ふぇ?」
黒木マネージャーは少し言い淀んだあと、手元のメモ帳を見ながら仕事内容の説明を始めた。
「その条件っていうのが、『レーナがお友達とお買い物をしたりしているプライベートなショットを撮りたい』ってものなんだ」
「……げっ」
実はレーナには、普通の友達と呼べる存在がなかなか居なかった。もちろんアイドル仲間やモデルなどでそれなりに話す相手はいる。だが友達--とくに一般人の友達は皆無であった。
大女優の娘であり、幼い頃から子役としてもデビューしていた彼女は、生まれながらのアイドルだった。そのことから学校への登校も休みがちであり、普通の子たちと接する機会がとても少なかったので、なかなか同年代の友達ができなかったのだ。
そんな状況に加えて、彼女は極めて仕事にストイックだった。真面目であるがゆえに、融通が利かない。その意識の高さゆえに、ファンからは「塩対応」と揶揄され、彼女が所属するアイドルグループ『激甘☆フルーティ』のメンバーからも恐れられ距離を置かれていたくらいである。
だが彼女はそれでもいいと思っていた。芸能界は仕事であり、仕事とはストイックにこなすものだと考えていたからだ。
一方でマネージャーの黒木などは、そんなレーナの考えを心強いと思う反面、残念にも思っていた。仕事をする分には申し分ないのだが、ことアイドルという意味では致命的に愛嬌に欠けるのだ。
そのあたりの対応が変われば、レーナほどの器量であればナンバースリーなどに甘んじることないのにな。黒木マネージャーはそう思っていた。事実、これだけ塩対応をしていてもファンはついてきているのだ。
愛嬌さえ備われば、ピンでも活躍できる素質がある。
ただ残念なことに、レーナの魂に刻まれた芸能人としての魂はなかなか簡単には変わらなかった。こればっかりは敏腕マネージャーの黒木でも今のところ打つ手なしという状況である。
そんなレーナだったからこそ、黒木マネージャーはあえてこの仕事を持ってきた。もしかしたらレーナが変わるきっかけになるかもしれない、そう思ったからだ。
「えーっと『激甘☆フルーティ』の誰かじゃダメなのかしら? あたしが強く言えば一人くらいは……」
「今回の特集はアイドルのプライベートを追跡したいらしいからダメだね。あとアイドルのリア友はどんな子だってのもテーマに入ってるから、その友達にもスポットが当てたいみたいなんだ」
「ってことは、変な子じゃダメなのね」
レーナは顎に手を当てて必死に考える。とはいえ普通の友達がいないレーナにとって良いアイディアがあるわけではない。苦悶の表情を浮かべた挙句、ひねり出した言葉は……。
「男の娘……じゃダメよね?」
「お、男の子ぉ⁉︎ ダメに決まってるじゃないか! 君はアイドルなんだよ?」
「勘違いしてるわね、黒木さん。男の子じゃなくて、女装した女の子である″男の娘″よ」
「お、男の娘……か、それはそれで興味あるけど、今回は雑誌の取材だからなぁ。さすがにそれはマズイよ」
「うーん、そう……どうしようかな」
そのとき、レーナの脳裏にある人物の姿が浮かび上がった。
--そうか、彼女であれば適任かもしれない。
大女優 美華月 更紗の娘であり、生粋のアイドルであるレーナが思い浮かべた人物は……。
◆◆◆
「日野宮あかる。あたしとお買い物に行きましょう」
「……はぁ?」
レーナちゃんこと美華月 麗奈が突然俺のクラスにやってきたかと思うと、いきなり面と向かってそう言ってきた。一緒にやってきたいおりんが、あちゃーって感じで額に手を置いている。
「レーナちゃん、ダメだよ。いきなりそんなこと言ったらアカルちゃんが混乱するよ?」
ええ、十分混乱していますとも。いおりんの言葉に思わず心の中で同意を示した。
言われた方のレーナちゃんは少し小首を捻ると、閃いたとばかりに手を打ってこう言ってきた。
「日野宮あかる、あなたはエヴァンジェリストなんでしょう? エヴァンジェリストは困っている生徒を助けるものではないの?」
「えーっと……よくわからないんだけど、レーナちゃんは困ってるの?」
「ええ、とっても困ってるわ。だからあたしと買い物に付き合って」
だめだこりゃ、言ってることの意味がさっぱり分からない。横のいおりんもお手上げという感じで諸手を挙げている。
だけどすぐに気を取り直したいおりんが、すがるような目つきでこちらを見てきたので、仕方なくレーナちゃんに問いただすことにする。
「……事情はよくわからないんだけど、レーナちゃんは私に買い物に付き合ってほしいの?」
「ええ、そうよ」
「そうすれば、レーナちゃんは助かるの?」
「え、ええ、そうなのよ」
ったく、仕方ないなぁ。いおりんにはいつもお世話になってるしね。
「……わかったよ、付き合えばいいんでしょう?」
「本当っ⁉︎」
俺がしぶしぶ了解すると、レーナちゃんは心底嬉しそうな顔で満面の笑みを浮かべた。
あー、いつもこんな表情してたらホントに可愛いのにな。俺は現役アイドルのレーナちゃんの顔を間近で眺めながらそんなことを思ったんだ。




