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【番外編】初恋はメロン味

 生徒会選挙の余韻も冷めやらぬ、ある日のこと。

 ここ摩利亞那マリアナ高校の生徒会長室には、新たに会長に就任した天王寺てんのうじ 額賀がくかの姿があった。


 メガネをかけた彼は、机の上の書類をパラパラと捲っては、何かを書き込んだりハンコを押したりといったことを繰り返している。


 ……どれくらいそのような作業を行っていたであろうか。何かの気配に気づいた天王寺がふと顔を上げると、彼の目の前に--女性の顔があった。


「うわぁ⁉︎」

「そんなに驚かなくてもよかろう、ヒメの顔はそんなに変か?」


 そこに居たのは、星乃木ほしのき 姫妃ひめき--前・生徒会長であった。

 彼女の突然の登場に最初はうろたえたものの、すぐにメガネを手で直しながら冷静に戻る天王寺。


「……もうあなたは引退したんですよ? 生徒会長室ここに何の用なんです?」

「ガクカは相変わらずつれないのぅ。別にヒメが偉大なるOBとして、可愛い後輩を指導しに来ても良いだろうが」

「誰が偉大なるOBですか。普段はサボってばっかりだったくせに」

「それはなぁガクカ、君を含めて優秀な人材に恵まれたからだよ。おかげでヒメはポイントだけ出張ればよかったしな」


 そう言って微笑むヒメキに、天王寺はサッと顔を逸らした。その顔が朱に染まる様子に、ヒメキは気づかない。

 --そう、星乃木ほしのき 姫妃ひめきは、生徒会長を女性ながら務める傑物でありながら、致命的なほど鈍感・・だったのだ。彼女が天王寺の気持ちに気づくことは、まだ無い。


「……それにしても、それだけ堅物のガクカがよく日野宮あかるに膝を折ったな。ヒメにすら冷たいというのに」

「頬を膨らましても可愛くないですよ、ヒメキさん」

「か、可愛くないって言うな! ……って、やっとヒメの名前で呼んでくれたな。ヒメは嬉しいぞ」

「引退したあなたのことを、今更会長とは呼べませんからね」

「でも、どうせ姫プレイなんてするなら、日野宮あかるにじゃなくてヒメに対してやって欲しかったのぅ」

「……それができたら、こんなに拗らせてないですよ」

「ん? ガクカ、なんか言ったか?」

「いいえ、何も言ってませんよ」


 あえて聞こえないようにそう呟いた天王寺は、姿勢を正してメガネをクイっと指で持ち上げると、ヒメキに対して説明した。


「話を戻しますが、僕が日野宮あかるに膝を折ったのは、彼女に……結果的に酷く迷惑をかけてしまったからです。--だから彼女に対して、僕のできる精一杯の誠意を見せようと思った。ただそれだけですよ」

「ほっほぉー、惚れたか?」


 ニヤリと笑いながら問いかけるヒメキの質問に、天王寺は失笑で返す。


「ふっ、そんなわけないですよ。ただまぁ彼女のことを誤解してたのは認めますがね」

「誤解?」

「ええ、この学校を乱す異端児かと思ってたのですが、むしろ逆にだったみたいです。今や彼女の存在は、この学校では欠かすことのできないものとなってますしね」

「そうしたのはガクカ、お前だろう? まさかエヴァを復活させるとは思わなかったぞ」

「あぁ、あれは……」


 苦虫を噛み潰したかのような苦い表情を浮かべる天王寺。

 かつて休止された制度である『摩利亞那伝道師エヴァンジェリスト』の復活。今回のこの選択は、彼にとってもかなりの苦渋を伴うものだったのだ。


「でも、そうでもしないとレノンには勝てないと思いましたからね。勝てなければ、『誰もが楽しめる学校を作る』というあなたの政策ゆめは引き継げませんし、なによりあなたとの・・・・・賭けに・・・負けて・・・しまう」

「賭け? 賭けって……おいガクカ、まさかお前はそんなことのために、大衆の前で膝を折ったのか?」

「ええ、そうですよ。だって宣言したじゃないですか。僕はどんな手を使ってでも生徒会長になるってね」





 --それは、ほんの少し前の話。

 引退間近になった星乃木ほしのき 姫妃ひめきが、ここ生徒会長室でポツリと溢した弱気。誰にも言うことが出来なかった、エリートの弱音。


「……果たしてヒメが会長であった間、生徒たちは学校生活を楽しく謳歌できたのだろうか? 自由と束縛は常に付きまとう。だからこそ限られた範囲で、皆が等しく学校生活を楽しむことができる。そう思ってヒメがやってきたことは、果たして正しかったのかな? ただのヒメのエゴじゃなかったのかな?」


 その言葉を聞き逃さなかったのは、ヒメキ専属の書記兼会計係として側に控えていた天王寺てんのうじ 額賀がくか


「……あなたは正しかった、僕はそう思いますよ。なんなら証明してみせましょうか?」

「証明? ほほぅ、どうやって?」

「簡単ですよ。僕があなたと同じ政策を掲げて生徒会長に当選すれば良いのです」

「ぶっ!わわっ!」


 椅子に座ったまま机に足を乗せて、椅子を傾けてブラブラとバランスを保っていたヒメキが、思わず吹き出して後方に倒れそうになった。その背をサッと支える天王寺。ヒメキのパンツが丸見えになったのだが、顔色一つ変えない。


「ふー、あぶなかった。……しかしガクカ、面白いことを言うな。果たして上手くいくかな?」

「まずはスカートを戻してください。……大丈夫ですよ。あなたの政策は素晴らしいものだった。学校には秩序が産まれ、そのなかで生徒たちは楽しんでいる」

「じゃあ賭けようか? ガクカ、お前が生徒会長になれたらヒメはお前の言うことを何でも一つ聞いてやろう。だけどもし負けたら……ヒメの言うことを一つ聞くのだ」


 その言葉に、天王寺は動きを止めた。

 思わず椅子から手を離してしまい、またヒメキは床に倒れそうになる。


「うわわっ! コラッ、ガクカ!」

「……その言葉に、二言はありませんね?」


 再び椅子を受け止めた天王寺は、真剣な声で確認する。


「んあ? あー、今の話か? いいだろう。だけどもし落選したら……どんな目に遭わされるか楽しみにしときなよ」

「ええ、いいですよ。でも勝つのは僕ですから。絶対に、どんな手を使ってでも生徒会長になってみせます」


 そう言うと、天王寺は不敵に笑ったのだった。




 ----




 かつてのやり取りを思い出したヒメキは、呆れた顔で大きく一つため息をついた。


「はぁー。ガクカ、お前はほんとうにつまらないことのために意地を張るのだな」

「でもようやく……初めてあなたに勝ちましたよ。ずっと超えられない壁だったあなたにね」

「……まぁよかろう。誇るが良い、このヒメに勝ったことをな。それで、お前はヒメに何を望むのだ?」


 その問いに、天王寺の体がピクッと揺れた。まるで彫刻のように硬直し、定まらぬ目で中空を眺めている。


「……どうした? なんでもドーンと来い! あ、ヒメのこの豊満な胸を触りたいというなら」

「いやいや、そんなんじゃないですから!」

「ほう、ではなんだ? もしやヒメの下着を」

「あーもう、ヒメキ先輩は一応女性なんですから、そういう発言は控えてください!」

「なんだ、つまらんのう」


 だがこのやりとりで覚悟を決めたのか、天王寺は意を決したように口を開いた。


「じゃ、じゃあ……目を瞑ってください」

「ん? なんだそれは?」

「なんでも言うことを聞くんですよね?」

「ん? まぁいいが……」


 そう言うと、ヒメキは胸を張りながら目を瞑った。そんな彼女の顔に、ゆっくりとその顔を近づけていく天王寺てんのうじ 額賀がくか


 --だが、唇と唇に触れる寸前。

 彼の動きが止まった。


 どうしても最後の一歩が踏み出せない天王寺。その様子は、普段の彼からは想像もつかないほど弱々しい。


 --そんな状況に痺れを切らしたのか、ヒメキが目を開けた。


「……なんだ、これで終わりか?」

「…………」

「ふん、つまらん男よのう」


 そう言うと、ヒメキはため息をついて肩をクルクルと回した。そのまま天王寺の胸ぐらをつかみ、右手の拳を握り締める。


 --実はヒメキは格闘技の腕も優秀であった。空手を習っていた彼女は、並の男では太刀打ちできないほどの戦闘力を保持していたのだ。

 文武両道、才色兼備。それこそが星乃木ほしのき 姫妃ひめきの真髄なのである。


 ゆえに、そんな彼女が戦闘態勢に入った姿を見て、天王寺は思わず目を瞑った。殴られる、そう覚悟を決めたのだ。


 ぐいっと胸ぐらを引き寄せられる。次は頬に猛烈なパンチが放たれるはず、そう思っていた。


 だが……次の瞬間。

 天王寺に襲いかかったのは、予想外の感触だった。彼の口唇を、なにやら柔らかなものが包み込んだのだ。




 驚いて目を開ける天王寺額賀。その視界には、ヒメキの顔がどアップで映し出されていた。

 自分がヒメキと唇を重ね……キスをしているのだと気づいたのは、ようやくその時だったのだ。



 やがて、ゆっくりと離れていく唇と唇。

 その動きに合わせて、ヒメキは引き寄せる手を緩めていった。


「な、なぜ……」


 なんとかそれだけを口にした天王寺に、ヒメキはニヤリと笑いかけた。


「ん? お前はヒメとキスしたかったのだろう? ヒメのファーストキスだ。感謝するがいい」

「ヒメキさん……あなたって人は……」


 だがヒメキはそれ以上なにも言わせず、さっと彼から距離を置いた。その顔に浮かぶのは、大胆不敵な笑み。


「さて、罰ゲームも済んだことだし、帰るとするかね。そうそう、これは会長就任祝いだ」


 そう言うと、ヒメキはなにか緑色の物体をポイっと投げ渡してきた。慌てて受け取った天王寺が一体なんなのかと確認すると、彼女が放り投げてきたのは……なんとメロンだった。


「なぜにメロン……」

「ん? 美味いからに決まっておるだろう。感謝して喰えよ、かっかっか」


 そうして不敵な笑い声だけを残して、ヒメキは来た時と同じように颯爽と立ち去っていったのだった。


 最後に一言。


「そうだ。日野宮あかるには感謝しとくのだぞ。あやつが居なければ、今のお主はなかったのだからな。……それにしても、お主もずいぶんとキャラが変わったな。たが今の垢抜けたガクカのほうが、ヒメは好みだぞ?」


 と言う、ありがたい言葉を残して。




 ◇◇◇





 ヒメキが立ち去ったあと、一人残された天王寺てんのうじ 額賀がくかは呆然としたまま手の中にあるメロンを眺めていた。


「……まったく、あの人は。本当に存在自体が嵐みたいな人だな」


 図らずとも、たったいま、彼の夢がまた一つ叶った。

 それは本来、歓喜の瞬間であるはずなのに、なぜこうも自分は呆然自失しているのか。

 そう思いながらも、同時に「まぁ相手はあのヒメキさんだからな」と考えて苦笑を浮かべる。


 破天荒なあの人の行動が、凡人たる自分ごときに理解できるわけがないのだ。そう思うと、なんだかスッキリして彼はひとり微笑んだ。



 それにしても、と天王寺は考える。

 よもやここまで夢のような展開になるとは思っていなかった。彼が星乃木ほしのき 姫妃ひめきに憧れて、やがてその想いが恋に変わっていってから、ずっと願ってきたことが実現したのだから。



 それもこれも、ある一人の人物の登場がきっかけだったのだと気づく。

 日野宮あかる。20年ぶりに誕生した、史上四人目の『摩利亞那伝道師エヴァンジェリスト』。

 ヒメキとはまた違うタイプの、それでいて果ての見えないほどの存在感を持つあの少女。


 彼女の前に膝を折った瞬間、天王寺額賀の中にあった「姫様ヒメキに犬のように忠誠を誓いたい」という願望が、音を立てて崩れ去っていった。吹っ切れたと言ってもいい。

 彼の中で……表にできない想いを拗らせた果てに生まれた歪んだ”欲望”は、日野宮あかるという”太陽”によって、綺麗に浄化されたのだ。


 その結果訪れた、夢のような瞬間キス



 ゆえに、天王寺額賀は感謝していた。

 新たに生まれたヒロインである彼女--日野宮あかるに。


「……まぁ、僕に出来る限りは彼女の力になってあげるかな」


 そんな独り言を、誰にとなく呟くのであった。




 --ガチャリ。

 そのとき、ふいに生徒会室の扉が音を立てて開いた。我に返った天王寺額賀は、すぐに視線を入り口のほうへと向ける。


「やっほー、ガッくん。あ、あれー? それってばもしかしてメロン?」

「おおー、美味そうじゃん! どしたのそれ?」

「んなこたぁどーでもいいじゃんか! 早速食おうぜ!」


 現れたのは、天王寺の親友である三人の人物--うしお 伊織いおり火村ひむら 修司しゅうじ冥林めいばやし 美加得みかえるであった。

 問答無用にやかましく近寄ってくる三人に、天王寺は思わず苦笑を浮かべる。だがその表情の中には、これまでの彼にはあまり見られなかったものが含まれていた。


 それは--微笑。



「ったく、お前たちは。まぁいいか、食べよう。ヒメキさんからの差し入れだよ」

「あー、ガッくんが笑った! なんかキモーい!」

「なっ……こら汐、なんてことを」

「ガクカが泣こうが笑おうが、んなこたぁどうでもいいんだよ! それよりメロン食おうぜ、丸かじりすっか?」

「アホかミカエル、せめて包丁で切るだろう? 誰か包丁持ってないか?」

「おいこらシュウ、そんなもの持ってたら校則違反で即停学だ!」

「ガッくん固い固い! それよりメーローン!」


 まるで小学生くらいの子供のように明るくはしゃぐ四人。その姿は、この摩利亞那マリアナ高校でも有名なキングダムカルテットと呼ばれる四人組であるとは到底思えないほど無邪気な笑いに満ちていた。




 こうして、生徒会室で校内中の女生徒たちがあこがれるイケメン四人の楽しげな宴--祝勝会が、ここ生徒会長室において、メロンを肴に繰り広げられたのだった。



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