51.伝説の幕開け
摩利亞那高校の講堂。ここで、一つの伝説が新たに生まれようとしていた。
全生徒が集った講堂。その中心を割るようにして歩むのは、一人の美少女。その胸には咲き誇る赤いバラを模したピンバッジが取り付けられている。
このバッジを付けることが許された人間は、百年近くあるマリアナ高校の歴史の中でもわずか四人しか存在しない。
すなわち……マリアナ高校の生ける伝説、【摩利亞那伝道師】にだけ付けることが許されたバッジだった。
そのバッジを身につけて生徒たちの間を歩む少女の姿に、生徒たちは携帯で写真を撮ったり歓声をあげたり、もしくはウットリとした視線を向けていた。
全生徒が注目するくらい、その少女は美しかった。
彼女の名は【日野宮あかる】。
第四代目……20年ぶりの【摩利亞那伝道師】に、これから就任しようとしていた。
……もちろん、場の空気が作り上げた錯覚的なものはあるのかもしれない。だが、切れ長の大きな瞳、ギリシャの女神像のように整った顔立ち、瑞々しく潤う唇、すらっとして均整の取れた高身長、そして堂々と歩くその姿は、鳥肌が立つほど美しかった。
この場にいた生徒たちには「天使」や「妖精」というよりは「女王」もしくは「女帝」のように見えたことだろう。
事実、彼女は名実ともにこの学校の【女王】と言えた。
エヴァンジェリストが生徒会に匹敵する権限を持つ、というだけでなく、もう片方の権力者である生徒会長その人が彼女に膝を折る姿を万人が目撃した。
それは事実上、彼女がこの学校で圧倒的な権力を持つことの証明であった。
……本人がどう思っているかは別として。
日野宮あかるが壇上に上がると、そこには剣と盾を模したピンバッジ--生徒会長であることを表すそれを胸につけた、メガネをかけた美青年が待ち構えていた。
つい一週間前に生徒会長に就任した天王寺 額賀である。
彼の頬には、まるでハンマーで殴られたかのように赤いアザができていた。それが日野宮あかるにハイキックされて出来たものであることを、この場にいる何人が知るであろうか。
彼は壇上に上がってきた日野宮あかるの前に立つと、軽く頭を下げ、その頭にティアラを模した髪飾りを付けた。二十年ぶりに新たな主人を手に入れたティアラは、美少女・日野宮あかるの頭上でスポットライトの光を浴びて煌びやかに輝いていた。
「いまここに、生徒会長 天王寺 額賀の名において、日野宮あかるを第四代目【摩利亞那伝道師】として選出したことを宣言する!」
うわぁあぁぁぁあっ!
巻き上がる大歓声は、もはや誰も止めることができない。全生徒たちが、熱狂という名の熱病に冒されていた。
この場に立ち会った生徒たちは感じたことだろう。自分たちはいま、伝説の幕開けに立ち会っているのだと。
そして、新たな伝説を今後も紡ぎ出していくであろう我らの″英雄″に対して惜しみない賞賛と歓声、拍手を送る。
新たな生ける伝説……のちに『薔薇の女神』、『女帝』、『摩利亞那の薔薇姫』などと呼ばれることになる一人の少女に。
その少女の名は、【日野宮あかる】!
◆◆◆
その日の放課後。
俺は呆然としたまま屋上に一人登っていた。眼下には帰宅する人や部活に励む人たちの姿が見える。
だけど俺は家に帰る気が湧かなかった。誰にも会いたくない。誰とも話したくない。そんな気分でいっぱいだった。
はあぁぁぁ。
どうしてこうなったんだ?
ため息とともに漏れるのは、そんな呪詛のような言葉だけ。俺はどうしても今の状況を受け入れられないまま、胸の赤い薔薇のバッジを指で弄んだ。
予想もしてない事態には慣れっこなつもりだった。だけどさ……さすがにこいつは無いんじゃないの?
新たに俺に付けられた肩書き--【摩利亞那伝道師】という名の重さ、というより面倒くささを思うと、頭痛とため息しか出ない。
「おっかしいなー。こんなつもりは全然なかったんだけどなー」
「……二十年ぶりのエヴァンジェリストともあろうものが、こんなところで黄昏ておるのか? 屋上に登るのは校則違反だぞ?」
独り言を呟いていると、ふいに後ろから声をかけられる。
ゆっくりと振り返ってみると、そこにはちっこいの……もとい、元・生徒会長の星乃木 姫妃が立っていた。
「かいちょ……星乃木先輩」
「やぁやぁ日野宮あかる。ヒメのことは親しみを込めて『ヒメキ先輩』と呼んでくれて良いぞ?」
相変わらずブレない人だなぁ。逆らうのもめんどくさいので、ため息を吐きながらもとりあえず言う通りにする。
「はぁ。それで、ヒメキ先輩こそこんなところに何の用なんです? 元生徒会長ともあろうひとが校則違反なんて……」
「なーに、もう会長は引退したんだ。これくらいの道楽は許されようて」
そう言ってカラカラと笑うと、ヒメキ先輩は俺の横に立って一緒に景色を眺め始めた。アカルちゃんが背が高いから、並ぶと余計ちっこく感じる。もしかしてマヨちゃん以下じゃね?
「日野宮あかる、うちの妹がすっかり世話になったな」
「へ? あー、レノンちゃん?」
あまりに外見が違いすぎるから、その設定すっかり忘れてたよ。
「うむ。実はヒメとレノンはずっと仲が悪くてな。高校に上がってからほとんど口も聞いてなかったのだ」
「おやおや、それはそれは……」
「ところが、今回の選挙が終わってからなぜか仲直りしてのぅ。聞けばおぬしのおかげだという」
「うぇっ? わ、私の?」
俺が何をしたって言うのだろうか?
強いて言うと選挙の手伝いはしたけど、結果的にレノンちゃんが落ちたのは俺のせいみたいなもんだったのに、ねぇ。
「さぁ、詳しくは分からん。だがおぬしのおかげだと言うなら礼を言っておこうと思ってな。世話になったぞ、日野宮あかる。いつかこの礼はさせてもらおう」
「……だったらエヴァンジェリスト制度を速攻廃止してください」
「それは無理なのだ。そんなことしたら暴動が起こるわ」
はー、やっぱ無理か。この人くらいカリスマ持った人が言ったら出来るかもって思ったんだけどなぁ。あーあ、めんどくさいことになったもんだ。
「……それにしても、ヒメの予言通りになったなぁ?」
「ふぇ?」
「前に会ったとき言ったであろう? おぬしが台風の目になるとな」
あー、そういやそんなこと言ってたな。台風の目どころか、爆心地みたいになっちまったけど。
「そうイヤそうな顔をするな。頂点に立つというのもあんがい良いものだぞ?」
「……それはどういう意味で?」
「かっかっか、好き勝手やっても誰にも文句言われない!」
そう言うと、ヒメキ先輩はいたずらっ子のように笑った。
「ま、そんなわけだ。これから色々あるだろうが、がんばるのだぞ! あと……ガクカのことをよろしくな。できればカタブツのあいつを、支えてやってほしい」
うーん、そいつはどうしようかな。ハイキック一発かましてやったとはいえ、俺はまだ天王寺のことを許してないんだけどな。
……でも、まいっかな。結果的には一つ、いや二つ、良いことがあったし。ヒメキ先輩の顔を立てて許してやるとしよう。
「……はぁ、わかりました」
思いっきり嫌そうな表情を浮かべながらそう言うと、ヒメキ先輩はケタケタ笑いながら手をフリフリして、振り向くことなく立ち去っていったんだ。
あとには、夕焼けに染まる屋上の光景だけが残されていた。
--
第一ミッション:【アカルを可愛くすること】
(ボーナス/困っている生徒を助ける)
第二ミッション:【アカルの学力を落とさずに過ごす】
(ボーナス/学校のために協力する)
……100%complete‼︎
二つのミッションクリアを確認しました。
--
第3章、おしまい。
◆◆◆
場所は変わって、校舎裏。
校舎の陰に隠れるようにして、壁に背をつけて座り込む一人の男性の姿があった。
彼の名は、恵里巣 啓介。ここ摩利亞那高校の一年生であり、一部の生徒たちからは『解放者』エリスと呼ばれ慕われる存在であった。
「はぁ……まいったな。思った以上にショックだったよ」
ところが……そんな彼は今、深く落ち込んでいた。
彼はもともとプロデュースや映像撮影に才能があり、将来その道に進みたいと思っていた。そのための布石としてダイヤの原石--レノンと組み、彼女を一躍有名にすることに成功していた。
このまま彼女を生徒会長にして一気にブレイクさせ、自身の名も売り込んでいくつもりだった。
だが、彼は負けた。
日野宮あかるという、たった一人の特出した存在に敗れたのだ。
これまで失敗したことなく、つねに思い通りにことを運ばせてきた彼にとっては大きな挫折であった。
「これが負けるってことかぁ、悔しいなー。でも相手は『女帝』、仕方ないかぁ」
天才少年の、初めての挫折。ところが落ち込んではいたものの、彼の精神状態はそれほど酷いというわけではなかった。負けるべくして負けた、むしろ彼女をプロデュースしたい。そう思うくらいだった。
それだけの魅力を持つ日野宮あかる、彼女に負けたのだから仕方ないと思っている自分に気付いて苦笑いする。
「さっ、てと。また一から頑張ろうかな」
そう気持ちを切り替えて、エリスがその場から立ち上がろうとした、そのとき。校舎の向こう側から出てくる人物の姿があった。マリアナ高校の制服に身を包んだ、切りそろえられた髪の少女。
「あ、恵里巣くん、探したんだよ」
「神田さん……」
現れたのは同じ生徒会のメンバーである神田 律子。個性派ぞろいのメンバーの中でもあまり目立たないタイプの地味な少女だった。
そんな彼女が現れたことを意外に思いながらも、にこやかに笑みを返す恵里巣。おとなしい好青年というイメージを崩さないように意識しての態度だった。
「どうしたの、神田さん? 何か用?」
「ええ、あなたに話があるんだ。大事な話がね……」
大事な話? 小首をひねる恵里巣の目の前に立つ神田律子は、なにやらいつもと違って見えた。
オドオドとした小動物のような彼女の普段のありさまと異なり、今はなにか堂々として見える。
「えーっと、ぼくに話?」
「いやー、しっかし残念だったなぁ。なかなか良い作戦だったと思うんだけど、まさかあんな形で邪魔が入るとはねぇ」
「神田……さん?」
「まぁそこまであいつ……今は『日野宮あかる』だっけ? 力をつけてるとは思わなかった。あの結果は爆笑もんだけどな」
これまで知る神田律子とは別人のような受け答えに、エリスの背筋にぞくりと冷たいものが走る。声が震えそうになるのを必死に抑えながら、エリスは声を荒げた。
「き、君は何者だっ⁉︎ 神田さんじゃないな⁉︎」
「おやおや、バレちゃった? つい浮かれ過ぎてキャラを変え過ぎちまったかな。すまないねぇ、シャバは久しぶりなもんではしゃいじまったよ」
チャリ……。メガネを外して頭を軽く振る彼女の仕草は、これまでのドンくささを感じさせない妖艶なものだった。
エリスは戦慄するのを隠しきれなかった。全身が小刻みに震えだす。
「そんなに怖がらなくていい、エリスくんだっけ? 君に危害を加えるつもりはないよ。なにより君の名前はすごく良い。エリスって音がとっても気に入ってるんだ、この国では珍しい……だけど私が好きな名だ」
「な、なんなんだあんたは……」
「私の名は、そうだな……【ラー】とでも呼んでくれ。あ、こっちの世界にはそんな名の太陽神かなにかがいたっけ? それとは別物だから安心してくれよ」
自らを【ラー】と名乗った存在は、ゆっくりとエリスへと近づいていく。エリスは必死に逃げようとするが、体が動かない。
「な、う、うごかない……うわっ⁉︎」
気がつくと、エリスの顔の目の前に神田律子……いやラーの顔があった。まさに吐息もかかる距離。
「な、なにを……するっ⁉︎」
「なーに、心配しなさんな。変なことはしないから。今度は君の身体のなかにいさせてもらおうと思ってね」
「なん……だと⁉︎」
「大丈夫。痛くないし、この記憶も消えて無くなるからさ。さぁいくぞ……」
神田律子--のなかにある者が、小さな声でなにかを呟いた。そしてそのまま……エリスの唇に、そっと口付けした。
「んんっ⁉︎」
エリスの目が、カッと開かれる。だがやがて力なく閉じていく。
しばらく、二人の身体は重なり合っていた。
ぐらり。
異変が起こったのは、仕掛けた方……神田律子の身体だった。完全に力を失ったかのように、その場に崩れ落ちていく。
だが、その身体をすぐに支えるものがいた。
--恵里巣 啓介だった。
「おっとっと!」
素早く彼女の身体を抱きかかえると、そのままゆっくりと校舎の壁を支えにして座らせる。無事寝かしつけることに成功してふぅと大きく息を吐くと、恵里巣--だったものは、感覚を確かめるかのように手をグーパーすると、ニヤリと笑った。
「ふふふっ、男の身体は久しぶりだな。やっぱり女の子のよりも動きがいい。こっちにきて渡り歩いてきた身体も女の子ばっかりだったからなぁ」
今度はストレッチを始めるそいつは、一通り身体を試し終わると最後にピョンとジャンプする。
「さて、じゃあ行くかね。この子はそのうち起きるだろうから放っておいても平気だろうし。まったく、バレないように動き回るのも大変だよ。ゲートキー……えっとコードネームで呼ばなきゃいけないんだっけ。【G】にバレたら色々煩そうだしなぁ、あーめんどくさい。あの子も【F】くらい適度に脱力してりゃあ可愛いんだけどなぁ」
そして、ゆっくりと大地を踏みしめるかのように歩き出す。その顔に浮かぶのは、満面の笑み。
「くくく、それじゃあ【S】……いや、いまは″日野宮あかる″だったかな。もっとそばで、君の活躍を愉しませてもらおうかね。私はそのために、そのためだけに、またここに来たんだから」
つづく。
これにて三章はおしまいです!
このあとは間章を経て、第4章に入ります(≧∇≦)




