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『まほう』

 僕はミノタウロスの彼に、きっと彼が望むだろう言葉を返した後、寝床に逃げ込んだ。


 ――今更、そんな醜態を晒すとは思いませんでした――


 ティア様は黙っててよ。

 僕、今、あんまり機嫌が良くないんだ。


 ――やっぱり所詮は人間の身。

 自分の器に合わない事をして、今更ながら恐ろしくなりましたか――?


 僕がチキンなのは分かってるよ。

 いいから静かにしてってば!


 ――自覚があるのならば、私に聞こえると分かっているのに弱音を口にするものではありません。

 貴方は私の契約者なのですよ?

 元々貴方の目的は途方もないものなのですから。もしここで諦めるというのであれば――

 

 …………。

 

 ――私がこの場で、食らって差し上げましょう――

 

 ……ティア様。僕は……。

 

 ――魔王クリステラ。

 直接見たのは……初めてですが、確かにアレは怪物ですね。

 アレと直接やり合って無事で済む者は、この世に一人とていないでしょう――


 …………。


 ――その怪物を、無力で矮小な貴方は仇と定めた。

 倒せない者を仇としたならば、貴方のとれる道はごく限られたものとなる。

 初めから分かっていたことではないですか――


 …………。


 ――今諦めるのであればまだ、貴方がただの人間としてこの世から消え去るだけ。

 誰も傷つかず、あるいはかの勇者共が万に一つ、クリステラを滅しうるやも――


 口を閉じろよ、ティア様。

 それ以上はいい。


 ――……覚悟が足りないと、そう言っているのです。

 たかが千人にも届かない人間の命を奪うだけでこのザマでは、全然足りません――


 貴女は人間じゃないから分からないのさ。


 ティア様は命の尊さってモノが理解できていないんだよ。


 僕らは所詮、吹けば飛ぶような小さい存在なんだ。

 いつ彼らと同じになってもおかしくはないんだよ……だって僕は、人間だから。


 人間ごときが神様に近付いたって、ろくな事にはならない。


 人の命を弄ぶなんて、そんなこと、誰が許すって言うんだ……。


 ――私が許しました。

 クリステラも許した。

 他の魔族達も許すでしょう。

 つまり、ここで暮らすと言う事は、そういうことなのよ――


 ――この上なく今更な事を言う貴方、ふふ、素敵。

 滑稽ね――


 ――あの時、ティアマリアで言ったでしょう。

 もう取り返しはつかない。貴方の地獄は、とっくに始まっているのだから――

 

 ……いい加減にしてくださいよ。


 僕が壊れたって、貴女に都合のいい事はないでしょうに。


 ――そんな事を未だ言っているから、貴方は駄目なのよ。

 私のこんな言葉ごときで揺らぐようじゃ、全然駄目――

 

 ――本当の貴方は、そんなにも弱い。

 道化の仮面も、一つ事を終えただけで簡単に剥がれてしまう。

 貴方は、脆弱な貴方自身を名前と一緒にあの村に捨ててきたんじゃなかったの――? 


 ――今の貴方は、まるで藁のよう――


 ねえ、これ以上僕を怒らせないでくれませんか、ティア様。


 貴女が、僕にそれを言えた義理ですか……?


 ――怒るの?

 プライドなんか捨てたんじゃなかったかしら――?


 ――貴方の言うとおり、私は貴方を責める権利などないかもしれない。

 でも、貴方だって、貴方だって私を……いえ、良いわ。

 それはいい――


 ――でも、思い出して。

 今の貴方は、もうナインという存在なのよ。

 怒りも……それ以外の感傷も捨てて、笑いなさい――


 ――ほら、思い出して。

 私が貴方に教えた、唯一の『まほう』――


 ……分かっている。

 ティア様はきっと、僕の為を思ってこんな事を言っているんだ。

 この人は、酷く優しいから。  しい程に優しすぎる人だから、自分を棚に上げてでも、僕のことを心配してくれているんだろう。


 でも、今の僕は駄目なんだ。  しいんだ。

 人が僕の所為で死ぬのは、  しい。

 耐え難いほどに、  しい。

 でも、僕はその気持ちを捨ててきたんだ。

 ティア様は怒るなと言うけれど、クリステラ、あの女に踏まれた屈辱が、腹の底で煮えたぎっている。

 だって、あいつさえいなければ、あいつさえいなければ僕は、僕はまだ、あの村で笑って、畑を耕して、もしかしたらお嫁さんも貰って、幸せに暮らして……


 ……?

 あれ?

 幸せ?

 僕、は、確か今、幸せだよね?

 クリス様の奴に椅子にしてもらえるなんて、なんて幸せなんだろうってさっき思ったばかりじゃないか。


 なんで僕、こんなに怒ってたんだろ。

 意味わかんない。


 そうだ、そうそう、愛してるんだもの。

 僕は魔王様を一番に愛してる。

 他の魔族の皆も愛してる。


 そもそも、なんでクリステラの奴を恨む必要があったんだよ。


 僕の家族はまだ生きてるよ? 


 僕の母さんはガロンさんじゃないか。

 ティア様だっているし、ピュリアさんもその内お母さんにするのに。


 沢山いるじゃん。

 父さんやペットもその内作れるだろうし、恨む必要性なんか一つも無いっての。


 バカか僕は。


 愛しているんだ。

 僕は、愛している限り、幸せなんだ。

 そう、ティア様が教えてくれたんだから。


 ね、ティア様?


 ――……そうよ、ナイン。よくできました――


 ――貴方の王様は貴方自身。

 貴方が自分は幸せだと信じる限り、貴方は幸せ――


 ――貴方が誰かを愛していると信じるなら、それこそ疑いもない真の愛情――


 ――愛を捧げ続けなさい。

 それだけが、貴方の夢に繋がる道――


 分かってますよ、ティア様。


『愛って言うのは、自分の手で作り出すモノ』。


 貴女のくれたこの『まほう』は、僕の支えなんですから。


 ひひひひひひ。

 

      あっはははは。

  

  んふ。くひひ。






 ……後ろで足音がした。



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