表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
140/201

人間に立ち返るための前提条件

 ぞく、と走った背中の寒気を、身じろぎして紛らわせる。

 いやいや。なんで僕がうろたえる必要があるんだ。そんな必要は無い筈だ。

 少々予定が前倒しになるだけだ。そもそも僕には時間が無いってのは分かっていたこと。

 ティア様が仰るには、あと長くて一年程度(・・・・・・・)しか正気を保てる時間は残ってないってんだから、都合が良いとも考えられようさ。


 ……ただ、どうしても、彼女らのこういう表情は怖い。

 単純な笑顔であれば別にいい。その目の光に潜む色が怖い。

 依存されるのは。瞳の奥にある依存欲を直接ぶつけられるのは、恐ろしい。

 彼女らをこんな風にしてしまったのは、彼女らの素質が半分、僕が手を加えた所為が半分だ。

 責任を取るべきだとも思っている。彼女らが僕の仇であれど、そこの道理を踏み外すつもりは無い……と、そう思っていたんだけれど。


 レヴィアタンから帰ってきてこっち、そういう意識が薄れている。

 少し前までは、彼女らを最優先に考えることが出来ていた。恐ろしさすら、愛情にすり替えることが出来ていた。

 少なくとも、そう努力することは出来ていた。


 だけど、今の僕は少しおかしい。目の前のアロマさんに対して、恐怖の感情がより強く現れている。前の僕なら、この恐ろしさが愛しさにすぐ変わっていただろう。

 何が原因だ? まさか、僕の彼女らへの執着が薄れてきている……?


 おかしいよ。彼女らが僕の贄になるんだったら、僕にとって彼女らが他の何より価値のあるものになっていなきゃいけないのに。そうしなきゃいけないのに。


 ……まさか。

 僕、もしかして、無意識に保身に走ってるんじゃなかろうか。

 自分の身を、優先しはじめているのか?


 ティア様に捧げるための贄は、僕にとって何より大切なものであることが条件なのに。僕自身より大切な存在になっていないといけないのに。

 こんなことじゃあ困る。


 なんでこんな気持ちになっている?

 愛さなきゃ。彼女らを、愛さなきゃいけないのに……。



 ……でも、あの狂おしいほどの熱情が弱まってきている。



 人道を外れた後ろめたさを、自虐の快楽に。

 自虐の快楽を、行動の原動力に。

 僕の過去を、彼女らへの怨恨に練り上げて。

 彼女らへの怨恨を、仲間として行動を共にすることで、彼女らへの愛情にすり替える。


 そして彼女らへの愛情を、クリステラを滅するための供物とする。


 僕はこの回路を、破綻させずに回してきたはずなのに。

 どこで狂った?

 何が狂った?

 誰が狂わせた……?


 疑うべきは僕自身だろうか。

 まさかとは思うけど、恨みが風化してきた? ありえない。だってティア様に、あのときの気持ちを永遠に忘れないようにしてもらったんだ。


 僕の恨みは、永遠に消えないはずじゃなかったのか。

 なら、今僕が感じている怖気は一体なんだろう。


 僕は、彼女らを一番に考えてこそ、僕で居られる。彼女らがひたすら憎く、その憎悪を愛情にすり替えることで、はじめて復讐者としての僕でいられる。

 彼女らを失えば心が空っぽになるくらい、彼女らを愛して愛して愛し尽くせば。

 それを糧に、ティア様の『まほう』で、クリステラをこの世から退場せしめることが出来るはずなのに。



 今更何も手元に残っていない、名前も捨てた僕が、保身に走っているのか? そんなこと、ありえない……いや。

 もしかして。


 もしかしてティア様。貴女、僕に何かしましたか?


 いや待て、ティア様を疑ってどうする?

 彼女が今更約束をたがえる理由なんかあるか?

 それにティア様を疑うんだとしたら、最初の最初、一番最初から疑わなければならない。


 初めて出会ったときのことも。

 ナイル村が滅ぼされたときの気持ちを忘れないようにしてもらったことも。

 ティア様が涙を流したことも。

 僕と与えずの森で過ごした時間も。

 誰かを愛するための『まほう』も。

 そもそも僕が復讐のために来たという前提も。

 魔族を愛して、彼女らを僕にとって価値あるものとして、クリスを滅ぼすための生贄にするという計画も。

 全て……ティア様にとって都合のいい何かの為であったとしたら?


 ……何か、彼女が後ろめたいことをしていたのは知っていた。だけど、それは小心なところのある彼女が勝手に後ろめたく思ってる程度の、くだらない事だと思ってたのに。まさかそもそも全部が全部僕をはじめっから騙してたなんて、そんなこと……。


 全部が茶番で、彼女の掌の上だったとしたら、ティア様……。



「僕のこと、騙したんですか……?」

「え、どうしましたの?」

「あ、いえ」


 僕の独り言は、幸いアロマさんに聞こえていなかったようなので、なんでも、とだけ呟いて、僕は彼女から視線を外した。

 随分思索に耽ってしまった気がしたが、ほんの十秒ほどのことだった。

 しかしアロマさんは、先ほどのイスタ攻めについて何か僕から言葉を欲しがっているようだった。

 モジモジしている。指先弄りながら。

 可愛い。


 ……ああ、まだ、彼女を可愛いと思うことは出来る。

 それに少し、安心した。

 僕はまだ、魔族らを愛情の対象に出来ている。



「随分仕事が早いんですね」

「それが取り柄ですので」


 ……たおやかに微笑む彼女は、それでももう少し言葉が欲しい、と言った媚びた目でこっちを見てくる。


 今さらながら、この娘も気の毒だ。


 くどいようだが、前の僕であれば頭の一つでも撫でてやっていただろう。

 だけど、今の僕はそれほどの精神的余裕が無い。自分の足元がぐらついている。この調子で復讐が達成できるか、疑わしく思ってしまっている。

 そもそも、今まで僕が生き延びているって時点で奇跡の産物だ、それが保身の欲を生み出したのだろうか。


 くだらない。守るべきものが無い僕が、今更になって保身だって?

 保する身など無いだろうが。何を守れってんだ。僕はやるべきことを外道なりにやるって決めたんだ。

 脆弱な僕よ、とっとと消えちまえ。



「ねえ、お父様・・・


 そうやって自分を鼓舞していたが、彼女の声でまたもや鳥肌が立つ。

 ねっとりと、媚と艶が入り混じった甘やかな声で、アロマさんはこちらを上目遣いで見てくる。


「アロマ、頑張りましたの。なのに、褒めてくださらないの?」

「え、えっとね」


 今はそれどころじゃないんだ。

 ああ、もう。起き抜けで頭がまだ働いてないときに、こんな色々考えさせないでくれ。

 僕の地盤が崩れるか崩れないかの瀬戸際なんだ。今は君にかまっている余裕はあんまりないんだよぅ。


「……ええ、分かりましたわ。私に何か落ち度があったと、そういうことですわね」

「そんなことないですぅ」

「なら、なんで褒めていただけないのかしら」


 言葉に詰まる。頭の整理がついていない段階で、こう矢継ぎ早に言われると困る。



 ……僕が何もいわずにいると、アロマさんは悲しげに眉根を下げた。


「知らないところで、私はお父様に粗相を働いてしまったようですわね」


 そんなことないってば。結論を急ぎすぎですよう。

 一旦仕切りなおしさせて欲しいなあ。今はもう建設的な考え方が出来ない。



 と、急にアロマさんはすっくと椅子から立ち上がった。


「……ど、どうしたんです急に」

「ねえパパ。アロマ、悪い子なんでしょ?」


 おい、また幼児退行か。またか。

 これ以上アクション起こさないでくれよ。僕のキャパシティ超えてんだよ。


 そんな僕の気持ちなど知らずに。

 一歩、二歩、三歩と僕の方に近付いてきた彼女は、何を思ったか。


「うんしょ」


 僕の膝の上に豊満な胸を当てつつ、覆いかぶさってきた。


 太股にじんわり伝わる、アロマさんの体温。

 人と全くおんなじに暖かい彼女の体。服の上からでも明らかに大きいと分かる、ふにっとした柔らかな双球。

 それらが、自分の両脚に、それも彼女自身の意思で押し当てられていた。


「な……んの、つもりで?」


 みっともなくも、一瞬言葉が詰まる。

 けれど、彼女はそんな僕の無様さを気にもしないで、体をくねらせて、身をすり寄せる。


「お父様、アロマは悪い子ですわ。悪い子にはどうなさるの?」

「アロマさんは……貴女は、悪い子なんかじゃありません」

「お父様が誉めてくれないなら、悪い子です」


 なんぞこれ、と思わず呆けた。


 ……身動きの取れない僕に対して、彼女がさらなる攻撃を加えてくるのは、息を吸い込んだその僅かな挙動からあからさまに見て取れた。


「お父様のために頑張ったのに、何も言ってくれないのですから。だったらアロマは悪い子ですわ」

「……」

「だからあ……ねえパパぁ……」


 ――悪い子なアロマのお尻を叩いて……?


「…………」


 ……悪い子。

 悪い子だと、彼女は自分のことを、そう言う。

 アロマさんは、なんでこんなことしてるのだろうか。

 彼女の言葉通り、僕の言葉足らずか?


 ……正直、不可解に過ぎる。

 不可解。嫌な言葉だ。最近僕自身が苛まれているのが、まさにそれだ。

 単純こそが至上なのだ。事物の整理が出来ていないから、僕は今、自分がどうすればいいのかも、どう感じているのかも曖昧になってしまっている。



 言葉にするのも恐ろしいが、認めなければならないかもしれない。


 僕の一番大事だった、復讐という目的。その大前提が崩れかかっている。


 だからこんなに足元がおぼつかないのだ。



 魔族らは、愛らしい。

 魔族らは、可愛い。

 魔族らを、愛してみた。


 そんな彼女らを、地獄に落とす。


 ……このパラドックスに、僕の精神はそろそろ耐え難いのだろう。最近、思考のまとまりが悪いのは認めざるを得ない。

 所詮僕は人間だ。自分の精神を自分の意思で弄繰り回すのは、客観的に見て、まさしく狂気の沙汰である。


 だからといって、もうやめられないところまで来てしまった。

 だって、復讐をやめたくない僕がいたから。そこだけは裏切れない。

 そこを忘れてしまったら、あまりにも。余りにもナイル村の皆が……そして、過去の自分が哀れ極まる。



 ……もう、いい。

 このところ、難しく考えすぎたから僕は弱くなってしまったのだ。

 だったら最初のころに立ち返ればいい。初心忘れず、これだ。これでいこう。


 僕は魔族を愛する。

 その愛をもって、クリスを、魔族らを滅する。

 その為には、ティア様の力が必要だ。

 だから、ティア様を信じていたほうがいい。

 ティア様は、僕を育ててくれた恩人だ。

 僕の人生で、最も信じるに値する方だ。彼女が僕を裏切るだなんて考えられない。

 そもそもティア様が復讐への道を指し示してくれたんだ。

 ティア様を信じなければ、そもそも今の僕そのものの前提が崩れる。


 シンプルに行こう。

 僕は魔族を愛する。


 なら、たった今やるべきことは?






「アロマさん。ちょっとこっち向いて頂戴」

「……なあに、お父様」




 彼女の中身を、覗いてみる。



 ……ああ、少しばかり後ろめたいことがあるのか。

 自覚があるからこんなことしてんのか。

 その解消に僕を利用しようとしているのか。

 相変わらず狡猾な娘っこだ。


 叱られるにあたって思い当たることがあるんだね。どうせクリス関係だろ?

 あれかな、ガロンさんの退職願のことでもクリスにチクったかな。


 いいけどさ、別に。

 君の精神的なオナニーに付き合ってやるのも、いいさ。僕は君を愛しているんだからね。


 ……今思えば、彼女は一番心根が弱っちい。事務処理能力、美貌、そういったものでは覆い隠せないほど、彼女は愛に飢えている。

 アリスさんを拾って、母親じみたことをしていたのも、その心の隙間を表している。彼女は寂しがりにすぎる。


 本当に、彼女は、付け込まれる隙が大きすぎた。


 だって、そもそも僕、アロマさんとは契約していないもん。


 契約の必要条件たる己の体液を、僕は一度も彼女に塗りたくっていない。

 僕は一度たりとも、彼女に口づけをしていない。粘膜による接触を行っていない。


 簡単な、それこそ本当にイヤなら拒める程度の催眠しかかけていない。


 賢く、そして父殺しの後ろめたさを背負う彼女は、望んでそれを受け入れたんだ。ずっと罰が欲しかったんだろう?


「ね、お父様。ほら……早くアロマのお尻を叩いてくださらない? この姿勢、恥ずかしいんですのよ?」

「……誰から聞きました? この……なんだ、その、コレ。予想はつきますけれど」

「ピュリアから聞きましたわ。悪い子にはこうするって、お父様が言っていたって」

「……」


 ……あの小鳥には再度の躾が必要かもしれない。

 まあいいや。



 ――僕は、そっと彼女の背中に手のひらを乗せた。


「……お尻ペンペンだなんて、そんなことしやしないよ」

「なんでですか?」

「悪い子にはするが、良い子にはしない。アロマ。君は良い子じゃないか」

「でも……」

「でもじゃないよ。君はとっても良い子だ。僕の言うこともきっちり聞いて、仕事も早い。言うことなしさ」

「だって」

「だってでもない」


 軽く撫ぜる。

 太股に感じる、色という意味で暴力的なその感触を忘れさせるほど、実際にこちらから触れた彼女の体は、華奢だった。


「こんな細い体で、頑張ってるじゃないか。誰も君を責めやしないよ」

「……」

「もし君が何か悪いことをしたとして、良い子の君のできる悪いことなんて、大したこっちゃない。例えば、クリスにしたってガロンさんにしたって、もし君がしたことなら許してくれるさ」


 保険として、言外に、ガロンさんの件に関するクリスへの告発行為にもフォローを入れてみる。

 ぴくり、と反応したことから、やはり僕の予想は当たっていたらしい。


「……本当に?」

「本当さ。それに、万が一何か許されないことをしたって大丈夫。言ったろう、『ゆるす』ってさ」

「本当に? 本当の本当に? ……アロマのこと、許してくださるの?」

「許すさ。他の誰が許さなかろうと、僕だけは君を許すよ」


 そう言った瞬間、彼女の体から、一気に力が抜けた。


「……お父様ぁ」



 彼女は子供のように無邪気に、外聞もなく身も世もなく、めそめそ。

 僕のお腹に頭を擦り付けて泣き出し始めた。


 そんな彼女の背中なり頭なりを撫で繰り回しながら感じたのは。


 自分が弱っているときに他人が弱っているのを見ると、そしてそれを慰めていると、存外救われてしまうものだな、ということだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ