37_元聖女と罪と償い
「――というわけで、最優秀賞&留年回避おめでとう。私!」
ウィンターは王宮地下牢でクラッカーを鳴らした。鉄棒子の前のテーブルには、ホールケーキにぶどうジュースが入ったグラスも用意した。
エリアノとウィンターの発表は最優秀賞を受賞した。学園祭最終日の今日は後夜祭でレビンと一緒に踊る予定だったが、すっぽかしてこの地下牢に来た。
ひとりですっかり浮かれているウィンターを見て、ステラが半眼を浮かべる。
「鉄格子の前でお祝いパーティーするなんてどういう神経しているんです? わたくしを煽っていらっしゃるの?」
「ステラも祝ってよ」
「誰が祝いますか! さっさとお帰りになって」
ステラはこちらをきつく睨みつけながら叫んだ。ウィンターはへらへらと笑いながら、彼女をさりげなく観察する。
(よかった、前より顔色が良いみたい)
見た範囲では傷もないので、もう看守から暴力を振るわれていないのだろう。時々地下牢に足を運んでは、ステラが不当な扱いを受けていないか確かめてきたが、レビンが手を回したと言っていたので、牢屋の環境は改善されたのだろう。
ウィンターはホールケーキを切り分けて、ステラに差し出す。
「はい。甘いもの、あまり食べられてないでしょ? あげる」
「……本当にあなたは、余計な気ばかり回すんですね」
彼女は呆れまじりにそう言いながらも、皿を受け取った。ケーキを口に運び、少しだけ頬が緩める。「美味しい?」とにこにこ笑顔で尋ねるが、「別に」とつんとした表情で流されてしまった。
「最優秀賞といっても、ほとんどペアの手柄みたいなものでは? 遅刻して失格寸前だったのでしょう」
「私だって頑張ったんだから。隠し部屋に閉じ込められたり、火事に巻き込まれたり、土砂の下敷きになったり」
「そのような作り話をわたくしが信じるとでも?」
「本当なんだって」
どの世界に、研究発表のためにここまでの災難にあった学生がいるだろうか。あの発表は文字通り、ウィンターの血と涙と汗の結晶なのだ。
「それはともかく、治癒魔法のやり方……教えてくれてありがとう。エリアノも喜んでたよ」
「そう……ですか」
ステラはケーキを食べ終わった皿にフォークを置く。
するとそのとき、地下牢にみすぼらしい格好をした人が数名訪れて、声をかけてきた。
「あのぅ……今、よろしいですかね」
「は、はい。どうかしましたか?」
「ステラ様にお礼をさせていただきたく……」
ひとりの男性は杖をついていて、別の女性は子どもを抱き、夫らしい男性に支えられている。そして、レビンも一緒にいた。それから彼の近くに、黒いカラスが飛んでいる。黒いカラスを見て、ウィンターはギノを思い出した。
「レ、レビン様……ごきげんよう」
「ごきげんよう、じゃないだろう。後夜祭をサボってパーティーとは、私も舐められたものだな」
「あーええと……はは」
一方、地下牢を訪ねた人たちがステラに話しかける。
「腰痛を治していただいたお礼に野菜を持ってきました」
「先日は階段から落ちて怪我をした娘を救ってくださって……。このご恩は決して忘れません。――聖女様」
聖女、という言葉にウィンターとステラはそれぞれ反応する。
ステラは多くの怪我人や病人の治癒を快く引き受け、惜しみなく力を使ってきた。だから、牢屋には色んな差し入れが山積みになっている。
レビン以外の人たちが帰っていったあと、ステラはぽつりと呟いた。
「わたくしなんかが、聖女と呼ばれてしまっていいのかしら」
「……ステラが困ってる人の力になろうとしてたことも、意地悪なだけじゃないってことも、私は知ってるよ。ステラはあの人たちにとって、本物の聖女だよ」
「………っ」
困った人たちが頼ったのは、本物の聖女ではなくステラだった。
ウィンターがふがいなさも悔しさをぐっと堪えて微笑みかけると、ステラは瞳の奥を揺らした。
彼女は、ウィンターを蹴落とそうとしなくても、光魔法の天才で唯一のヒロインだった。それなのに、一時の衝動に任せて全てを失った彼女が、痛々しくて、愚かで、気の毒に思われた。
ふいに、レビンが漏らす。
「ステラにも、神の救いはないのだろうか。このような暗闇で一生など……あまりにも酷すぎる」
「――ある」
そう答えたのは、黒いカラスだった。白い鳥はネストロフィアネの象徴だが、黒いカラスは闇の神を示すと言われている。
「過ちを犯したら罪を償わなくてはならない。だが、希望まで失う必要はない」
終身刑を言い渡されたステラは、神界に見放されたようなものだ。その先の人生を諦め、償うためにだけに生きていけと言われたも同然で。
「わたくしは、この力をどなたかのために役立てたいです。そう願うことを許していただけますか?」
「未来を決めるのは神ではなく、お前自身だ。俺は自由意志を尊重する」
節制と規律を謳い、教義を犯したものは厳しく罰する最高神と違って、ギノは許しを与えようとしていた。
すると、それまで黙っていたレビンが口を挟む。
「あなたは、第二神様ですね。お聞かせください。我々が信じてきた神界の教義は……間違っているのでしょうか」
「ようやく気づいたか」
「……! 一体、どう正せば良いのですか」
「正しいかどうかは、大きな問題ではない。ただ、神界の教義ばかりに囚われていては、本当に大切なものを見失うぞ。最後には、神ではなく自分の心に従え。神がもたらすものをなんでもありがたがる必要はない。神が予言した運命も、選択次第で変わる。確約された未来はない」
ギノはそう伝えてから、羽ばたいて宙に浮んだ。そして、ステラが言う。
「許して……くださるんですか。わたくしはあなたの聖女を陥れようとしたのに」
「それを決めるのはウィンターだ。だが……底を味わってからが、人生の本番ってやつじゃないか?」
ステラに向けられた言葉だったが、ウィンターにも響くものだった。
地下牢を出て階段を上っていくカラスを、ウィンターを思わず追いかけた。
「あ、待って……」
「ウィンター様」
「何?」
追いかけていくウィンターに、ステラが問いかける。
「わたくしを、許してくれますか?」
「…………」
ウィンターは少し間を置いたあと、にっと笑った。
「許さない。でも、尊敬はしてる」
ウィンターが許さなくたって、ステラはずっと先に進んでいくのだろう。「じゃあね」と伝えて、今度こそギノを追いかけていく。
地下牢に残されたステラとレビン。
「いつの間にウィンターと仲良くなったのだ?」
「やめてください。ただの腐れ縁です」
ステラは彼に言った。
「レビン様も行ってください。もう、ここには来なくて結構です。噂を立てられれば、あなたの名誉に傷がついてしまいますから。王族が罪人に気をかけてはなりません」
「――いや、明日も来る」
「え……?」
「明日も、明後日も、その次も。ここに来る。そなたを放っておけないと思ったのだ。それに、第二神のおっしゃった希望を信じてみたくなった」
「……はい。お待ちしております」
婚約者だったころはステラを聖女としてしか見ていなかったレビンが、今はステラ自身を見てくれている気がした。
ステラはレビンに、乙女らしい笑顔を返すのだった。
◇◇◇
ウィンターは階段を駆け上がり、黒いカラスを追いかけた。息を切らせながら、叫ぶように彼の名前を何度も呼ぶ。
「待ってください、ギノ様! ギノ様……!」
「そう何度も呼ばなくても、聞こえている」
はっとして振り向くと、目の前に人の姿のギノが立っていた。
ウィンターは彼に歩み寄りながら言う。
「ギノ様、来てたんですね」
「こそこそ地下牢に通って、ステラに気をかけていたんだな。人がいい奴だ」
ギノはウィンターの額をつん、と弾く。
「私が気にかけなくたって、みんながステラをほっとくはずありません。あんな状況でも、誰かのことを思っていて……それに、覚醒した聖女の力もないのに、治癒魔法もすごくて」
ウィンターは顔をしかめて拳を握り締める。
悔しい。
ウィンターだって、一生懸命頑張ってるのに、覚醒してるのに、全然ステラに追いつけない。どんなに頑張っても、追いつける気がしない。躓いてばかりだ。
(ステラはこの世界のヒロインなんだ。私はヒロインには……なれない)
ステラの元に通うたくさんの人々と差し入れの山を思い浮かべる。
「ステラはすごいなぁ。私はなんの取り柄もないし、すぐ人と比べちゃうし、不器用で不格好で、私なんて……私に、価値なんて……」
「価値のないお前を好きになった俺は、もっと無価値か?」
ウィンターがはっと顔を上げると、ギノはまっすぐこちらを見下ろしていた。
「お前はそうやって、劣等感でいっぱいで自信もなくて、このままじゃだめだって自分に鞭を打ち続けてきたんだな。なのにいつもへらへら笑って、隠す」
「…………っ」
「周りの人間の感情には敏感なのに、お前は、一番近くにいる自分のことは鈍感なんだ」
彼はウィンターの頭を撫でながら、続ける。
「お前は暗闇の中で、小さな希望を絶対に離さなかった。どれだけすごいことか分かるか? 根性のある人間だってこともよく知っている。ステラになろうとしなくていい。お前は十分すぎるくらい、俺にとってはすごい奴だ。かわいくて仕方がない」
強がりなくせに、本当は繊細で弱くて、すぐに拗らせるし、前向きなふりをして誤魔化してみたり。ウィンターの心には色んな矛盾が詰まっている。
けれど、そんな情けないところ、ギノにだけは見せられる。むしろ、全部見透かして、分かっていてほしいと思ってしまう。
不器用でひしゃげたウィンターを、そのまま受け入れて愛してほしいと――。
「不安になったら、俺の手を握っていろ。また立ち上がって歩けるようになるまで、傍にいてやるから」
「はい……っ」
繋いだ手が温かくて優しい。
ここにいていいのだと、息をするのが楽になった。
(ギノ様の言葉は魔法みたいに、私の心を温めてくれる)




