34_遅刻は減点対象です
(まさか、崖が崩れるなんて)
占いで頭上注意と言われていたが、本当に現実になってしまうとは。
ウィンターは頭を抱え、絶望をあらわにする。研究発表に間に合わせる方法はないものかと、ぐるぐる思案するが、何も思いつかなかった。
(私ってほんと、とことんついてないなぁ)
崖崩れの被害から人々を守ることができ、聖女の役目は果たせたはず。
けれど、自分の大切な予定を守れなかった。これまでの努力が水の泡になっていく感覚に、身体の力が抜けてしまう。
もうとっくに昼は過ぎてしまったし、ウィンターとエリアノの発表の番が来てしまったかもしれない。
だが、ため息をひとつ零したとき、ウィンターの視界が、左手の薬指についた特大の幸運を捉えた。
偉大な神にもらった指輪の石が、『ここにいるよ』と主張するかのようにきらりと輝いたような気がする。
(甘えても、いいですか? ギノ様)
助けられてばかりの自分では、ギノにふさわしくない気がして、できれば頼りたくなかった。
それにずっとひとりぼっちだったウィンターは、誰かを助けたいという気持ちはあっても誰かを頼るのが苦手で、甘え方もよく分からない。誰の重荷にもなりたくない。
それでもウィンターは吸い寄せられるように指輪に手を伸ばし、縋る思いで神力を注いだ。
それからまもなく、結界の上に乗っていた土砂がゆっくりと浮いていき、青空が見えた。差し込む太陽の光に目を細めていると、聞き馴染みのある声がした。
「また派手にやらかしたな。火の中にいたと思えば今度は土の下。次は水か?」
彼は魔術師たちが少しずつ浮かせていた土砂を一瞬にして完全に退け、結界の上からこちらを見下ろしていた。
「迎えに来た」
「ギノ様……っ!」
ウィンターが結界を解くと、彼はウィンターの目の前に着地する。
「全く。お前は一体どれだけの災難に巻き込まれたら気が済むんだ」
「す、すみません……」
「ここまで来るともう一瞬も目を離せないな?」
ギノの顔を見て、ウィンターは安心しつつ駆け寄った。騎士たちは、突然現れたギノに言う。
「あなたは一体……何者なんです? それほど卓越した聖魔法は見たことがありません」
「王立学園の教師をしている。担任として生徒を迎えに来た」
「き、教師……?」
「遅刻は、成績の減点対象だからな」
ギノのほどの実力があるのに、教師に留めておくのは惜しい、という顔を魔術師がした気がする。
ウィンターはギノを見上げながら、袖をちょこんと摘み、慌てて言う。
「私、早く学園に行かなくちゃいけなくて。その……送ってくれませんか?」
するとギノは、ウィンターの頭をぽんと軽く叩く。
「ああ、任せろ」
「……!」
「そうして素直に頼られるのも悪くないな。甘え下手なお前もかわいかったが」
その漆黒の瞳に、何もかも見透かされている気分だ。
ウィンターは意志が弱そうに見えて、実際は頑固で強がりで、自分の弱い部分を見せるの苦手だ。でも本当は、それすら全部見抜かれて不器用な自分ごと甘やかしてほしくて……。
ウィンターは結界修復に来ていた一向に挨拶した。
「すみません。今から学園に戻るので、後は任せてもいいですか?」
「構いませんが、この街から学園まではかなり距離がありますよ? 今から向かっても夜になってしまうのでは」
魔術師が懸念するが、ウィンターをそっと引き寄せたギノが「その心配はない」と言って、転移魔法を発動させた。
それは、人間が使うことができない上位魔法だ。残された人々は、ふたりが消えたことに驚く。
「消えた?」
「まさか、伝説の瞬間転移を……?」
◇◇◇
一瞬にして景色が変わり、王立学園の門の前に立っていた。ギノはウィンターを腕からそっと解放し、「着いたぞ」と囁く。
「ほら、急げ」
「は、はい! 本当にありがとうございました。それじゃ――」
背を向けかけたウィンターの腕を、彼が掴んで引き止める。ウィンターが顔を上げると、背を丸めたギノに、一瞬にして唇を奪われてしまった。
彼は顔を離したあと、不敵に口角を持ち上げる。
「お代はもらっておく」
「…………!?」
突然の口づけに頭が真っ白になり、はくはくと唇を動かし、声にならない声を漏らす。
ウィンターが口を手で抑えながら、一歩、二歩と後退すると、ギノは楽しそうに喉の奥をくっと鳴らして「間に合わなくなるぞ」と急かした。
しかし、走り出す前にウィンターは、掠れた声を絞り出すように言った。
「お、お代……後でもう一回、やり直しさせてください」
ウィンターは真っ赤になりながら、そう言い残し、今度こそ講堂に向かって走り出した。
一方、残されたギノはどこか呆然とした様子で立ち尽くし、目元を片手で押さえた。
「……参ったな」
するとそのとき、ザッ……と地面を踏む音と、人ではない者の気配がして、顔を上げる。
「生徒にキスするなんて、これは懲戒処分ものだね?」
そこには、子どもの姿のルークが立っていた。
神である彼には現在、アンヴィル王国の第二王子という仮の肩書きがあるが、護衛をひとりもつけていない。
「ふふ、なんてね。今回は特別に学園長には内緒にしておいてあげよう」
「どうしてここに来た? ルクティアヌス」
本当の名で呼ばれた彼の唇がゆるりと扇の弧を描いたあと、淡い光が離散する。そして彼は、本来の成年の姿になった。
「かわいい聖女の保護者として、学校参観にね」
「いつから保護者になったんだ」
ルクティアヌスは掴みどころのない笑顔を浮かべたまま、踵を返し、瞬間転移で消えた。
一方、発表会場に向かうウィンターは、疲れた足を叱咤して必死に廊下を走った。
「はっ、……はぁ、は……」
(遅くなってごめんね、エリアノ。ごめん……っ)
もうウィンターとエリアノの発表時間は過ぎている。
それでも、ウィンターはひたすら走った。




