別れの時
メリーからの報を受けて、俺は超特急で病院へと駆けつけた。まさか、そんな、そんなことがあってたまるものか!
病院に到着し、取るものも取り合わずに、俺は一目散に病室へと走る。
『朝美! 朝美! 大丈夫か!?』
『旦那様!』
病室には、メイドのメリーと主治医。そして、ベッドに力なく横たわる妻の姿があった。妻の顔からは血の気が引き、真っ白な顔をしている。
『朝美!!』
嘘だ、そんな、俺の、誰よりも、大事な、朝美。
『ハァ……ハァ……義之さん、御免なさい。私……』
『あぁ……朝美……』
『義之さん、見てやってください。貴方に目元がそっくりな元気な男の子ですよ……』
『もう喋らなくていい! 先生! 妻は助かりますよね!?』
息も絶え絶えな妻の傍では、主治医が目を閉じ顔を伏せている。
『いいの、私、解ってますから。もう、駄目だって。本当に、御免なさい、貴方』
『そんな……朝美……朝美ぃ……』
『奥様……』
『義之さん、私、貴方の元気なお世継を生むことが出来て、本当に良かった……私、お役目を果たせましたよ……』
『そんなことは今はいい! 頼む! 朝美! 俺を置いていかないでくれよぉ……』
『ふふっ……貴方はいつまでたっても変わりませんね。いつもは仏頂面で素っ気ないのに、本当は人一倍寂しがり。私の可愛い、旦那様』
そうだ、俺は朝美無しでは何も出来ない。いつも一緒にいてくれる、いつまでも一緒にいてくれると思っていた。
だが、今まさに妻との別れの時が刻一刻と近付いてきている。その事実に俺はただ膝を折って泣くことしか出来ないでいた。
『メリー、こっちにいらっしゃい』
『はいっ……奥様……!』
『御免なさい。うちの旦那はこんなだから、これから忙しくなるだろうけど、旦那と赤ちゃんのこと、お願いしますね……』
『はいっ……! はいっ……!』
ふと俺が顔を上げると、妻は掛けていた眼鏡を外し、メリーにそのまま眼鏡を差し出していた。
『もう私は赤ちゃんのことを見てあげられないけど、この眼鏡を通して、貴女に赤ちゃんの成長を見守って欲しいの。そうすれば、私も赤ちゃんの成長を見守っているような気がするじゃない?』
妻はメリーに向かって手を伸ばす。その手は目に見えて震え、妻の命の火が消えかけていることを示していた。
『奥様……! このメリー、確かにご命令を仰せつかりました……!』
『ありがとう。これでもう心配事は無いわ。ああ、眼鏡を外したものだから、目の前がぼやけてきたわ……それに安心したらなんだか眠くなってきて……』
妻が眼鏡をメリーに手渡し終えると、妻の手が力なくダラリと下がる。待ってくれ、まだ俺は心の準備が出来ていないんだ!
『朝美! 逝くな! 逝かないでくれ!』
俺は妻の手を両手で力一杯握る。折れそうなくらい、しっかりと。
『ああ……義之さん……まだ、近くに、いますか?』
『ああ! これからもずっと、傍にいる! 傍にいさせてくれよ……!』
『ありがとう……義之さん……私は……貴方と結婚出来て……幸せ……でし……た……』
そう言い残した妻の手から、力が抜けるのを感じた。まだ暖かいのに、その手からはもう妻の脈動を感じることはなかった。
程なくして、主治医が妻の瞳孔が開いているのをライトで確認し、俺の方を向き、頭を下げた。
『……御臨終です』
『あ……ああ……朝美ぃー!!!』
…………
こうして、妻はあっさりとこの世を去ってしまった。
もともと心臓が弱く、今回の出産も耐えきれるかどうか解らないと言われていたが、妻のたっての願いで出産を容認した。
長年の夢だったという、俺との間に子宝をもうけること。それ事態はありふれた願いだった。
しかし、妻の体はやはり出産に耐えることが出来なかった。俺が体を張って妻を説得し、子供は諦めるよう説得するべきだったのだろうか。
そこで俺はふと思ってしまった。もしかしたら俺は妻に世継を生まないといけないというプレッシャーを与えていたのではないか。
しかし、今となってはそれも解らない。俺はそのことに気づくのが遅かったのではないか。
『ゴメンな……朝美……! 本当に、ゴメン……!』
俺は取り返しのつかないことをしてしまったんだ。そうだ、俺がもっと妻に寄り添って接していればこのようなことにはならなかったのではないか。
いつもそうだ、俺は失って初めて、大切なことに気づくんだ。ゴメン、ゴメンよ、朝美。
そして俺に残されたのは、妻が命と引き換えに残してくれた我が子。妻の傍で寝息をたてている我が子だ。
これからは天国の妻のためにも、息子を立派に育て上げなくては。
『旦那様、私も全力で旦那様のために尽力致しますので、どうか顔をおあげくださいな』
『あぁ、メリー……』
そうだ、俺にはまだメリーという頼りになるメイドだっているじゃないか。大丈夫、これからはメリーと二人三脚で息子を立派に育て上げるんだ!
『済まないな、こんな情けない姿を見せてしまって。これからは息子の母親代わりとして、改めてよろしくな、メリー』
俺がそう言うと、メリーは暖かい笑みを浮かべて答えた。
『はい! 私も奥様から息子様の成長を見守るよう仰せつかりましたから、これまで以上に頑張りますよぉ~!』
『あぁ……!』
失われた命は戻らない。それなら、新しく生まれた命を育むことに専念しよう。とはいえ、すぐに妻のことを忘れることなんか出来やしない。
俺にはこれから自分がどうなってしまうかなんて解らないけど、メリーがいてくれるなら大丈夫。
このときはそう思っていた。しかし、俺は自分が思いの外弱い人間であることを思い知ることになった。
そのせいで、俺はメリーにまで苦渋の決断をさせることになってしまったんだ。
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