涙の理由
思わぬ紫崎の反応に、周囲の空気が変わった。確かにキッカさんのハンバーグは美味しかったけど、この反応はちょっと行きすぎだ。
そして、その空気を破ったのもまた紫崎だった。紫崎は慌てて目元をぬぐい、しどろもどろに弁解する。
「いえ! ちょっと急に眠気が来てですね! いや、食事中にあくびを我慢するハメになるなんて、いけませんね、本当に!」
これは苦しい弁解だ、それは紫崎だって解っているだろう。俺には紫崎の涙の理由が何となく解ってしまった。
ハンバーグを食べ終えた紫崎の口からも、それをほのめかすような言葉が淡々と語られた。
「しかし、キッカさんのハンバーグなんですけど、クルミはともかくとして、食感や肉汁の量なんかは昔、母が作ってくれたハンバーグにそっくりで……こんな年してですが、感動的でした……」
これで皆にもさっきの紫崎の涙の理由が解ったことだろう。紫崎に対して、皆が紫崎に暖かい視線を向ける。今更だけど、やっぱり俺の友人は皆いい奴らだ。
「さて、それでは聞かせて戴きましょうか。どちらのハンバーグが紫崎様のお好みかを」
いち早く気を取り直したキッカさんが紫崎に判定を促す。しかし、それを遮ったのは他ならぬジュリさんだった。
「いや、聞くまでもねぇだろ、オレの負け、負けだよキッカ。正直、オレも自分でそう思っちまってるんだ」
負けを認めるジュリさんの顔は、悔しそうというより何だか清々しさすら感じる穏やかな顔だった。
そして、更に驚くべきことに、ジュリさんはキッカさんに向けて頭を下げ、キッカさんに教えを乞うた。
「頼む、キッカ! オレにもお前のハンバーグのジューシーさの秘密を教えてくれ! 自分では何度やってもダメだったんだ!」
「やはりそうでしたか。それで貴方はチーズで肉汁を補う方向に工夫をしていたのですね。まぁ、やることそのものは難しいことではないので、お教えしましょう。紫崎様もこちらへいらしてください」
そう言って、ジュリさんと紫崎を肉だねをこねていたボウルの前まで連れてきて、レクチャーを始めた。
どうやら、キッカさんにもジュリさんの熱意が伝わったみたいだな。キッカさんはそんな相手を無下にするようなことはしない性格だということはよく解っている。
「こちらに準備をしたボウルですが、肉だねの脂が揮発しないようキンキンに冷やしてあります。試しに触ってごらんなさいな」
そう言われて、ジュリさんがボウルを触ると、すぐに手を引っ込めた。
「冷たっ! 何だこりゃ!? ただ氷で冷やしただけじゃこうはならないだろ!」
「塩です。塩を氷に加えることでボウルの温度が氷点下まで下がります。このボウルの中で肉だねをこね続けることで、脂が外に揮発することを防いでいたのです」
そこですかさず紫崎からも質問が飛んだ。
「でも、それじゃあ肉だねも凍ってしまうんじゃないですか?」
紫崎の質問に、キッカさんは目付きを少し鋭くし、ハッキリとした口調で真剣に答えた。
「そうならないために、肉だねを力一杯こね続けるのです。それこそ、全身全霊、力を込めてです。彼女の言う通り、これが最も辛い作業なのですよ」
「いや、辛いっつったって、そこまでやらないとダメなのかよ……旨いハンバーグを作るためにゃあ……」
「許されるのであれば、ひき肉につきましても、熱を加えぬよう冷やしたグラインダーで肉を挽きたいくらいです。まぁ、そこは今回の条件が条件でしたので妥協しましたが」
「まぁ、ちょっと手間だが、確かにオレにもこれなら出来そうだ! ありがとうな! キッカ!」
ジュリさんはそう言ってキッカさんにお礼を言った。それを聞いてか聞かずか、キッカさんは紫崎に向き直る。
「問題は貴方の場合です、紫崎様」
「問題……といいますと?」
キッカさんはこれまで以上に真剣みを帯びた表情で紫崎に向かって言葉を投げ掛ける。
「私達アンドロイドは、自ら手先の感覚を遮断し、温度を周囲と同じにすることが出来ますが、貴方の場合はそうはいかない。体温もある、体力の限界もある、その上で、氷点下で肉だねを素手でこね続ける必要があるのですよ」
確かに、家事用のアンドロイドならそれくらいは出来るかもしれないな。後でアミィにも色々聞いてみようかな。
「辛いですよ? それこそ、私達以上に。まぁ、紫崎様も彼女と同じように何かしらの工夫をもって脂肪分を補うのもよいでしょう。しかし、先程の紫崎様の反応からしたならば、その選択肢を選ぶとは私には思えませんがね」
キッカさんからの言葉を受けて、紫崎の表情も俄然真剣みを帯びる。
「まぁ、一応もう一言付け加えるなら、他の方法によって工夫することは決して悪いことではございません。やり方は千者万別、そこに貴賤は存在しませんので」
この一言、これはジュリさんに対してのフォローだろうか。それを聞いたジュリさんと進君は少しの間顔を見合わせた。
「最後に、仮にハンバーグを弁当に入れるのであれば、チーズを入れるのはあまりお薦めは出来ませんね。冷えて固まったチーズは脂肪分を補うにはいささかくどいかと」
そう言って、キッカさんはチラリとアミィに視線を向け微笑んだ。まさかのアミィに対するアドバイス、アミィもいきなりのアドバイスに反応ができなかったみたいだ。
それにしても、キッカさんは俺達の関係をどこまで察しているんだか。もしかしたらもう完全にバレているのかもしれないな。
「さて、紫崎様。これで私からお教えできることは以上でございます。私のやり方であれば特別な調理器具がなくても問題なく調理できることでしょう」
ああ、そうか。それでキッカさんはオーブンを使わなかったのか。全く、キッカさんの指導は全ての方面で完璧だ。これぞメイドアンドロイドがあるべき姿といえるだろう。
「はい、今日はわざわざ僕のためにここまでしてもらってありがとうございました! これでメリーに最高のハンバーグを食べさせてやれそうです!」
「いえ、これくらいでしたら。とはいえ、私としても何かメリットが欲しいものですね……」
そう言うと、キッカさんは紫崎に何やら耳打ちをした。すると、紫崎は一瞬驚愕し、諦めたかのようにキッカさんへ耳打ちをし返した。
こうして、紫崎への料理講習会は幕を閉じた。俺も昌也も最後のキッカさんの耳打ちが気になって、キッカさんに尋ねてはみたけど案の定はぐらかされた。
さて、これで我が家の料理のレパートリーが増えたわけだ。忘れないうちに今日の夕食で試してみるのもいいかもな。
俺達はそれぞれの家路についた。紫崎の奴、上手くいくといいんだけどな。
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