15年越しの小さな想い
響さんとアミィちゃんが出掛けてから少し経った頃、私はいつものように客間の掃除をする。
15年の間毎日のように行ってきた作業は、私をこの旅館の一部として錯覚させるようだった。
それこそ、まるで一定の命令を反復し続ける機械のように。いや、私はアンドロイド、機械であることに間違いはないのだけれど。
私は今日までそのことに疑問を持つことはなかった。
でも、今日は違う。私は今日、初めて自分の思いを旦那様に伝えようと決心した。
私はあくまで旦那様の所有物、場合によってはここに居られなくなるかもしれない。
それでも、私はこの胸の中に沸き上がった気持ちを今すぐに言葉にせずにはいられなくなってしまった。
それほどまでにアミィちゃんが私に話してくれた話の内容は私を焚き付けた。
私の今の気持ちに宿っているこの感覚を心というのだろうか。それすらも私にはよく解らない。
それでも、初めて感じたこの感覚には嘘はつけない、私の足は自然と旦那様が夕食の仕込みをしている台所へと向かっていた。
…………
私が台所の入口に立つと、中から魚の血の臭いがした。ここ最近は客足も遠退いて、この台所が使われる頻度も週に一度あるかないかになってしまったけれど、台所は常に綺麗に整備されている。
私がこの台所に入るのは数年ぶりだ。旦那様は職人気質な人で、仕込中は人を台所に入れるのを好まないことはよく知っている。それでも、今日だけは、私の話を聞いてほしい。
私の気配を感じた旦那様の魚の鱗を削ぎ落とす手が止まった。そして、旦那様は包丁をまな板の上にコトリと置き、流しで手を洗い、ゆっくりとこちらの方を向いた。
「……仕込み中は台所に入ってくるなと言っているだろう」
旦那様の声には抑揚がない、これは旦那様と出会って今日まで変わらない。いや、遠い昔に奥方様とお話する旦那様はもう少し感情を表に出していたような気もする。
長年時間を共にしているとはいえ、正直私には旦那様が私をどう思っているか解らないでいた。でも、それも今日で終わり。私が言葉にしてしまえば全てがハッキリする。
「申し訳ありません、旦那様。仕込み中に台所に入るなというお言いつけを破ってしまって。しかし、今日は旦那様に聞いてほしいお話があって、このようなことを致しました」
私の顔を見た旦那様の表情がピクリと動いた。それはそうかもしれない、私が旦那様にこんな話をするのは初めてなのだから。今日の今日まで私は旦那様の言うことを守り続けてきた。主人に対して意見をするなんて考えたこともなかった。
「……どうした、カグラ」
「旦那様、今から私がするお話は、あきらかに私の分を越えるお話なのですが、宜しいでしょうか?」
「……話してみろ」
旦那様は私の方をジッと見据えながら、立ったままで私の話に耳を傾けた。そして、私はそんな旦那様に今自分が感じている気持ちを、正直に話した。
「私がこの旅館に来てから15年ほど経って、それまでに旦那様と奥方様には大変お世話になりました。私が今日まで過ごしてきて、どうしても旦那様に伝えたいことがあるのです」
旦那様は、私の方を何か珍しいものがあるかのような目で見ている。さぁ、これからが本題、私の気持ちはどんどん昂っていく。
「旦那様、旦那様は奥方様がご病気で亡くなられた後、私を買い取ってまでお側に置いてくれました。私は旦那様のその気持ちが嬉しくて、今日まで旦那様に遣えてきました。私はアンドロイドである以上、主人に遣えるのは当たり前のことなのですが、どうしても言葉にしたくて、このような時間を戴きました」
旦那様はあきらかに困惑している。旦那様は口を開けて、目を見開いている。
いきなりこのような話をされているのだから当然だと思う。それでも、私はそんな旦那様に向かって話を続けた。
「旦那様、私は旦那様のことも奥方様のこともずっとお慕いしております。そのことはこれから先も、ずっと変わりません。ですから、これからも末永く宜しくお願い致します」
私は旦那様に向かって深々と頭を下げた。これが私が胸に秘めていた言葉の全て。
本当にこれだけ、言葉にしてみれば何と単純なことだろうか。
でも、それは互いが人間であればの話。私はアンドロイド、主人に逆らうなどもっての他だ。
私は旦那様の言いつけを破った。これで旦那様との関係も終わってしまうかもしれない。でも、今はそれよりも旦那様が私のことをどう思っているかを聞かせてくれるかの方が気になってしょうがなかった。
解らない、でも、私の口からはそこまでは言えなかった。私は今になって聞いてしまうのが怖くなってしまったのかもしれない。
それでも私にできることはすべてやった、後悔はない。そう思いながら私は顔を上げた。
そこには、体を小刻みに震わせながら立っている旦那様の姿があった。その目には涙を浮かべて、だだ私の方をただ見つめていた。
こんな旦那様は初めて見た。奥方様を亡くされたときでさえ旦那様が泣くところを見たことがなかったのに。
「カグラ……お前……」
旦那様は手を前に出し、ヨロヨロと私の方へと歩いてくる。その表情は、何だか救いを求めるような、いつもの旦那様とはかけ離れたものだった。
やがて、旦那様と私の距離がゼロになる。そして、旦那様は今まで私が感じたことがないほど熱くなった手を私の背中に回し、私のことを、強く、強く、抱き締めた。
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