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35話 伊藤さん その3

「実はね専務が家を訪ねてきたの」


 は?


「退職されてからの話ですよね?」


「そう、セラルンダにきてから半年くらいの時かな」


 ちょうど人手不足の騒ぎが大きくなった辺りだな。


「それで専務はなんと?」


「職場にもどってくれないかってさ」


 案の定か。


「それでどうされたんですか?」


「勿論断ったわ」


「でしょうね」


 しっかりと稼げて、生活が安定している状況で、散々無下に扱って、その上自分達の都合で捨てた会社に戻りたいなんて人は早々いないだろうな。


「しかもね提示してくれた条件が凄いのよ」


「凄いとは?」


「正社員待遇で以前よりも月の給与が下がってるの」


「は?」


「その代わり、交通費と賞与を支払ってくれるんだって」


「はあ」


「しかもね、賞与と毎月の給与をあわせると、なんと以前の年収と一緒なのよ」


 ……。


「凄いでしょ? しかもその条件を、さも受け入れるのが当然みたいな態度で出してきたのよ」


 もう、言葉もでないな。

 遥かに好条件の中にいる人にそんな話をして、どうするつもりだったんだ?

 あの会社は現状が見えていないのか?


 いや、見えていないのか。


「流石に呆れて物も言えなかったわ」


「その場で断りをいれたんですよね?」


「ええ。そしたら今度は凄い形相になってね、いきなり腕を掴もうとしてきたの」


 下に見ていた相手に無下にされたら、逆上か。最悪だな。


「そしたらね、何が起こったと思う?」


 ?


「急に目の前に、制限解除の文字が現れてね」


「制限解除?」


「うん、私達って結構な力を手にいれているでしょう?」


 確かに。ヤカンに竜にその他もろもろ、結構どころかかなりの力だ。


「頑丈さとか素早さは問題ないみたいなんだけど。攻撃、というか他人に危害を加えるようなことは、制限されているてしょ」


 そうだったか?

 まあ、仮に茂吉に銀行強盗させりしたら、対抗手段なんざ無さそうだしな。

 そう考えれば何らかの制限は必要だ。自称神もやることはやってるようだな。


「どうやらあの神様のシステムが正当防衛と判断すると、その制限がはずれるみたいなの」


「それはなんとも……」


 ただのおっさん程度じゃ相手にもならないな。


「ですが、下手するとこちらが暴行で訴えられそうですが」


「まあね。それを見越してなのか、一緒に動画撮影機能と配信機能も作動するみたいなの」


 は?


「私視点の動画がね。その場で全世界配信、しかもご丁寧に配信映像には顔に暈し、音声変更までついてるのよ」


 それはまたなんとも。自称神め、そこまで見通してるってことか? いや、ただそっちの方が面白いと判断しただけか。


「勿論、私の手元には、暈しも音声変更もない動画が残っているんだけどね」


 確かに、それだけあれば正当防衛も主張できるか。

 それ以上に生の映像が配信されてるんだ、世間っていう承認まで確保されているしな。

 嫌らしいというかなんというか。


「それで専務は?」


「色々大声で怒鳴りながら暴れるから、申し訳ないけど気絶してもらって、後は警察にお任せしたわ」


「それだと、伊藤さんも警察につれていかれたのでは?」


「勿論」


「映像だけで納得してもらえましたか?」


「ええ」


 そんな珍しい話があるのか?


「だって、聴取の状況も配信されてしまってたんだの」


 は?


「不謹慎だけど、楽しかったわよ。聴取する側の方がはるかに緊張してるんだから」


 ああ、それはなんとも。


「でも、たまたまなのかわからないけど、警察の人達もみな紳士的な人達だったし。あの映像で、もしかしたら好感度があがってるかもしれないわね」


 それはまあ、相手に配慮しない姿があれば、一瞬で世界中にその姿が配信されるんだ細心の注意を払うしかないよな。結果紳士的にならざるを得ないよな。

 配信停止をさせようにも、普段のように自分達の権力が全く効かないしな。担当した警察関係者の人は本当にご苦労様だな。


「それでどうなったんですか?」


「勿論私は無罪放免。専務は捕まっちゃったみたい」


 まあ、証人が山ほどいるからな。言い逃れもできないだろ。


「それとね、あの会社も大変みたい」


 まあ、専務が捕まってるしな。


「なんかね、あれは社長の命令でしかたなくって。自分も脅されてたんだって専務が言い出したらしくて」


 苦し紛れの責任逃れか、泥沼だな。


「それでゴタゴタしている間に、取引先とかもはなれていっちゃったらしくて」


 世界に配信された暴行未遂に、泥沼の責任の擦り付けあい。まあそうなるか。


「そこら辺までは話が聞こえてきてたけど、今はどうなってるのかな?」


「まあ、無理に関わる必要もないですしね」


「そうね。とまあそういう事件があったのよ」


「なるほど制限解除に配信。面白い話を聞かせていただきました」


 なんというか、自称神が色々と先手を打っているのが良くわかった。

 こりゃ、多分他にも色々と仕込みがありそうだ。


「そう? 佗坐君が楽しんでくれたのなら幸いだわ」


「本当に色々と勉強になりましたよ、ありがとうございます」


「ふふ。それじゃあ、私はもう行くわね」


「ええ、また何処かでお会いできるのを楽しみにしています」

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