蝶の羽ばたきは、
十六時前。
二度と着ることのないだろうと思っていた制服に身を包んで、カバンの中には手紙と筆箱と、あとは、必要になるかもしれない何たらかんたらを詰め込む。
学校に着いて、職員室へとやってきた。
まだ授業をやっているようだった。職員室はがらんと空いている。
そこの中の一人の先生に、母は話しかけに行く。
私はそれを職員室の外から見守る。
ペコペコと頭を下げた母は、やがて先生から鍵を受け取ってこっちに来た。
「これでいいのよね。言っていた鍵って」
「うん。ありがとう」
ちゃんと『相談部』と書いてある。
「私これで帰るけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
私はこのまま四階へと直行した。
一旦ドアを開けて、この鍵は戻した方がいいのかなって思った。
私は職員室に戻り、先生とは話さずにその鍵をかけられていた場所に戻した。
母と一緒に来た意味なんだよって思うけど、まぁ人が少ないからよかった。
※
再び部室のドアを開けて。
窓の方へともたれかかり。
まだかなーと、伊奈ちゃんが来るのを待つ。
窓から見下ろせば、見えるのは一年校舎。
私に悪口を言った奴らは今頃どうしているだろうか。
私のことなんか、もうどうでもいいんじゃないかって思うけど。
ま。もうどーせ関わることもない。
伊奈ちゃんにすることをしたら、もうこの学校と関わることもない。
振られる可能性だなんて全くもって考えていなかった。
私が渡す手紙の最後には『振られたら死ぬ』みたいなことを書いた。
これで振られるってなったら、伊奈ちゃんは相当薄情なこととなる。
いや。そんなことをしている私が相当な外道なのだけど。
八月から再燃した伊奈ちゃんへの想いは、それほどのものだということだ。
これで試しにでいいから付き合ってみて、それでお互いを好きになっていけばいい。
私がしようとしているのは、こういうことだった。
チャイムが鳴る。
授業が終わったのだろう。
そわそわが止まらない。
若干緊張もしてしまっている。
数分経過。
部屋の前を人のガヤガヤが通過した。
おそらくだけど、音楽室を使用する部活なのだろう。
四階には音楽室があると楓花が言っていたので、それは知っていた。
私は自然を装うために、窓の外を眺めた。
階段を上る小さい音が聞こえ、これは伊奈ちゃんかな? って思いながら。
それがより近づいた時。
「疲れた〜〜」
聞き慣れた声が、私の耳を刺激した。
ノブに鍵を差し込む音、そして回す音が聞こえる。
だけど、私がもう鍵を開けていたので、鍵は空回る。
窓の外を眺めているのでその光景は見えないが、ドアが開かれた。
私は自然に、その方を振り返る。こう口にする。
「あ! 伊奈ちゃん先輩!」
こう呼んでいたことを思い出しながら、伊奈ちゃんにそう告げた。
「美結ちゃん! 今日はどうしたの?」
「恋愛相談! 前回の続き! ……やってもいいよね?」
言ったと同時に、私は違和感を覚えた。
違和感というより、目に見えるものだった。
伊奈ちゃんの手が、誰かと繋がっていた。
伊奈ちゃんしか私には見えていなかった。
その存在が私の前に現出して、その美しさに私は思わず唾を飲んだ。
『誰?』出てくる疑問を抑えながら、平静を装い。
「手紙をさ。……実は、まだ渡せていなくて」
私の顔。落ち込んでいないよね。
この人は誰。伊奈ちゃんの彼女?
いや。え? いや、なんで手を繋いでいるの?
訳がわからない。どういうことなの。
そんな私の気持ちも伊奈ちゃんには伝わっていないのだろう。
けど。私が学校に来ていなかったとは思っていなかったようで、そのことにはホッとした。やはり学校を選んで正解だと思った。
「よし! 伊奈ちゃん先輩たちが、相談に乗ってやりますよ!」
快活に、そう言い放たれる。
『たち』ってことは、どうやらこの人は部員らしい。
けど、手を繋いでいるのは意味がわからなかった。
※
その後も、私は頑張って明るく話したが、暗い気持ちには変わりなかった。
私の書いた手紙を伊奈ちゃんと書き直したいという体で、手紙を読んで貰おうとした。
さすがに『これがラブレターです』と言って渡すのは恥ずかしいから。
口ではラブレターとは言わなかったが、内容が伊奈ちゃんとの日々の内容だったので、きっと伝わるはずだと思ったからだ。
これで気づいてくれなかったら、口で伝えるつもりだった。
けれど、伊奈ちゃんは私が手紙を読ませようとしたその前に、美人さんに連れられて、どこかへ行ってしまった。
すぐ戻ってくるって言ってたのに。なんでだろう。何をしているんだろう。
やっぱり、付き合ってるのかなって思った。
その前に、横にいた美人が彼女かどうか問うたが、それは否定された。
まぁ。安心していいと思うんだけど、どうも怖かった。
私は顔にはそこそこ自信があるけど、そんなのと比べるのおこがましいほどに、その人は美しかった。
伊奈ちゃんによると、その人は学校でもそこそこの有名人らしい。
私がなぜこの人を知らないのか驚いていたようだ。そりゃもちろん知らない。
そして、今ほどよく観察してみれば、その人は補聴器を付けていた。
耳が悪いらしい。
それなら、さっき伊奈ちゃんが手を繋いでいたというのにも納得できる。
要するに、耳が聞こえないこの人の先導をしていたのだろう。
それでも。怖かった。
一度疑い始めると、どうもその考えは頭から抜けださなかった。
私はポツンと一人、取り残されて伊奈ちゃんが来るのを待った。
さすがに遅すぎる。何をしているんだ。
不安に不安が募り。恐怖も募っていく。
不安なこの気持ちで、胃がもたなかった。
私はもう、帰ろうと思った。明日また来ればいいと思った。
手紙を置いて、私は書置きをした。
『遅いので帰るね! それと、この封筒は私が好きな人宛に書いた手紙なんだけど、よければ読んで! 悪いところが無ければ私に教えて欲しい!』
よし。と。その書置きの上に、封筒を置いた。
中身を取り出して、多分大丈夫と自分に言い聞かせる。
今一度、その内容を見返してみた。
『急にこんなお手紙を出してごめんね。それで、急なお願いがあるんだけどね。私と付き合って欲しいの。何でって言われても仕方がないと思うけど、前々からあなたのことは好きで、ずっと付き合いたいなって思っていて。女同士って変? じゃなかったら付き合って欲しい、お願い』
うん。恥ずかしい。
『私さ。あなたのことがずっと好きで。途中で会えなくなったじゃん? それでも私、ずっとこの思いを冷まさないでいたの。高校になって、同じ学校でさ、運命だと思った。というか運命なんだよこれって。……もうちょっと遡るけどさ、小学生の頃、私ずっとあなたのことが好きだった。あなただってずっと私に優しくしてくれた。優しくしてくれたから、私はあなたが好きだった。友達が少ない私と仲良くしてくれて嬉しかった。それでね。私、中学の頃、転校しちゃったじゃん。親の都合でさ。でもさ、高校でまた会えた時。あなたは私のことを一目見ただけで思い出してくれた。こんな優しい人を、好きになるなって方がおかしいと思わない? 想いを伝えるのが遅くなっちゃってごめん。やっと伝えれたよ。だいすき』
『振られたら、私。死ぬかも。それくらいの想いなの。だから、この想いを受け取ってくれるなら、私のところまで持ってきて』
読み終わったその便箋を、封筒にしまった。
顔が熱いな。
伊奈という名前は出していないけど、伝わるよね。
うん。伝わる。きっと、伝わる。
「……うん。大丈夫」
自分に言い聞かせるように頷いた。
その時。なぜか私は泣き出しそうになってしまった。
と、思った次の瞬間には涙がボロボロ溢れてくる。
「え……? あれ……?」
意味が分からなくて、私は疑問の声を口にした。
その涙が出る理由を探る。
やっぱり。不安だからだ。
あの女が。伊奈ちゃんと一緒にいたあの女が怖いからだ。
私は、荒れ狂う心臓を抑えて。いや、抑えきれずに。
涙を床にポタポタと零しながら、廊下を歩いた。
あの手紙が、怖い。
あんな抽象的に伝えようとしたのは間違いだったかもしれない。
ちゃんと想い人の名前を書けばよかったかもしれない。
あの女に、伊奈ちゃんが取られるかもしれない。
だって。帰ってくるの遅すぎだよ。
一緒に、どこかで行為をしているんじゃないかって。怖い。
怖いしか、出てこない。
確かめたい。
あの女と、伊奈ちゃんがどういう関係なのか。
私は帰ってすぐ、親に懇願した。
買いたいものがあるからクレカを貸してくれと。
自分のお年玉を全てあげるからと言ったら、渋々だが了解してくれた。
私はネットを漁った。
ようやく、私の求めていたものを見つけた。
お急ぎ便で頼んだ。明日必要だから。
十数万も使ってしまった。馬鹿だ。
本当に伊奈ちゃんのことしか見えていなかった。
私は盗聴器を購入した。
高性能であまり出回っていない、割と危ないやつだ。
盗聴器は市場に出回っているものだと、100mが限度らしいです。
美結ちゃんが買ったのは、結構遠くまで聞こえる危ないやつです()




