初登校をした日
私は伊奈ちゃんを発見したその日の夜。
晩御飯を食べている時。
「私。明日から学校いこうかな。午後から」
そう言うと、父母は固まった。
何拍か後に、二人は凄く良い顔になった。
「そっかぁ。無理はすんなよ!」
父が言う。
「これから慣れていきましょう!」
母が言う。
「うん!」
こんなに元気に頷いたのは自分だ。
この選択がこれからの人生の大きな転換点となる事を、彼女はまだ知らなかった──。
という感じで、悲しい選択を私はそこでしてしまったのだ。
その日。
というか日は跨いでいるのだから次の日。
私は早めに朝五時に寝ることができた。
そして起きたのは十二時ぽっきり。
緊張しながらも、私は制服を着た。
朝ご飯には食パンを食べた。
母と一緒に徒歩で学校に向かった。
久しぶりに浴びた日差しは眩しかったけど、伊奈ちゃんに会えるかもしれないという考えだけで私はあの時行動していたんだと思う。
まず職員室だ。
担任のふくよかな感じの先生は、私の登校を大いに喜んでくれた。
その日は水曜だったので、六時間目までしかないらしく、五六時間目で使う教科書を貸してくれた。
書店に注文をしないといけないらしく、それまでは先生の教科書をと言ってくれた。
ちなみに教科は数学と英語。
得意科目だった。
得意科目『だった』。
母と手を振って別れ、私は先生と共に教室に向かった。
昼休み中のクラスで先生が軽く私の紹介をしてくれた。
恥ずかしかった。
私の席は一番後ろの左端。
隣の生徒は真面目そうな人だった。
「これからよろしくね。白河さん」
丁寧な人だった。
私は心底からホッとした。
隣の人が怖い人じゃなくて、だ。
名前は飯塚朱里と言った。
「よ、よろしくお願いします」
久しぶりの歳が近い子とのコミュニケーションに緊張しつつも私は挨拶をした。
その後の授業は割とついていけた。
多分私に配慮して、ゆっくり進めてくれたのかなと思う。
先生もいい感じだった。みんな優しそうだった。
やがて授業が終わり。帰りの会が終わった。
初登校の結果は満足。
残すところは伊奈ちゃんと会うだけとなった。
しかし、どこにいるのか分からない。
悩んでいた時、私の肩が誰かに叩かれる。
その方を見れば飯塚さんだった。
「あのさ。スマホ持ってきた? ラインやってる?」
笑いながらそんなことを言ってくる。
スマホは本来は禁止らしいが、親との連絡用に持ってきている。
もちろん連絡手段はラインだ。むしろそれ以外あるのだろうか。
飯塚さんには真面目な印象を抱いたが、意外にも不良である。
まぁ。ほとんどがスマホを持ってきているとは思うけど。
「うん。持ってきてるし、ラインもやってるよ」
念のため小声で私は言った。
「じゃあ。それを持って、トイレに来て。ライン交換しよ」
彼女もまた小声だった。
※
トイレは意外にもいい香り。
奥の方の個室で、私たちは二人密着。
QRコードを読み取るやつで連絡先を交換した。
スマホに同級生の連絡先が入るのは初めてのことだった。
初めては伊奈ちゃんがいいなと思ったけど、贅沢なことは求めないことにした。
「白河さんって、ライン本名使わないんだ」
「え。うん。なんか抵抗があるんだ。適当に『れもん』って名前にしてる」
「そうなんだね。あ。せっかくだしクラスのグループ入りなよ。みんな優しくしてくれると思うよ……って、私も今日の朝入ったばかりだったんだけど」
苦笑されて、私も苦笑を返す。
「じゃあお願い」
頼み、私はクラスのグループラインに参加した。
それで個室から出た。
幸いトイレの中に誰もいない。
胸を撫で下ろしながら、二人歩く。
トイレ用のスリッパから学校のスリッパに履き替え。
ちょうど、誰か生徒がまた二人、トイレに行こうとしていた。
私たちが個室から出るタイミングと重ならなくてよかったと。
またまた胸を撫で下ろして、私たちは教室に戻ろうとした。
その時。
「あれ? 美結ちゃん?」
聞き覚えのある声が、私の耳に侵入した。
見れば、そこには楓花がいた。横には美人の女子生徒。
昨日見た楓花そのままだった。だからすぐに思い出せた。
「楓花? ……久しぶり」
「おひさおひさ! こっち帰ってきてたんだ! というかこの学校なんだ!」
「うん。親がね。色々あって」
「なるほど。もっと話したいけど、ちょっとトイレにちょっこーさせて。……さぁ行くわよ桃杏ちゃん!」
足をジタバタさせながら、横の美人に手を差し伸べ、トイレに消えていきそうになり。そこに私は慌てながらも声をかけた。
「あのさ! 伊奈ちゃんって、どこにいる?」
「え、お姉? お姉なら、んー。まぁ四階の相談部とかいうクソっぽそうな部活の部長やからそこにいると思う。音楽室の近く! じゃ、漏れるのでまた!」
はしたない言葉を置き、楓花はトイレへと消えていった。
ちなみに私は『お手洗い』ではなく『トイレ』と言う派だ。
『花畑』という表現もあるらしいが、花畑でトイレしないでください。
「友達いたの?」
横の飯塚さんが問うた。
「小学生の頃の。今、偶然すぎる再会を果たしました」
「おめでとうございます?」
「ありがとうございます?」
「ふふ。難しいですね」
ちょっとだけ笑いあって教室に戻る。
その後、学校の説明をしてもらった。
時間割。授業中寝ていても許してくれて、尚且つ減点をしない先生。
音楽室の場所も教えてもらった。そこに行けばその相談部があるらしいし。
結構話して、時計を見れば五時を回っていた。
「それじゃあ私は帰るから。また明日ね。……あ、それとグループラインで、白河さんの紹介をしておくね」
「うん。なんか至れり尽くせりで悪いね」
「いいよいいよ。私、隣の席が空いてて寂しかったの。これからも仲良くしてくれると嬉しいです」
「うん。こちらこそ」
ここで私たちはさようならをした。
※
私は教えてくれたその場所へと向かう。
私はEクラスで、なぜかEクラスだけ二階にあるらしかった。
なんでも今年は例年よりも多かったらしくEクラスが急遽追加されたらしい。
AからDは一階にあるというのに。
音楽室にはまず一階に降り、そこから渡り廊下を経由し、二年の校舎からじゃないと行けないらしい。
すごくめんどくさい気がする。
気がするじゃない。面倒くさいのだ。
私の気分はめっちゃ上がっていた。
何せ、ずっと会いたかった初恋の伊奈ちゃんに会えるのだから。
伊奈ちゃんに抱くこの気持ち、数年経ったが決して冷めてはいなかった。
と言っても、これを語っているのは未来の私。
この道はこれ以来一度しか通らない。
悲しい現実だ。
「……ふー」
私は目的地へと歩いて。
心の内から湧き上がるドキドキを抑えていた。
息を吐いて、動悸を落ち着かせる。
やがて相談部室っぽい場所に辿り着き、私は今一度深呼吸をした。
そしてドアをノックした。
──コンコン。
ノック二回はトイレの時だったろうか。
やらかしたと思ったが「はいはい」と、懐かしい声がドアの向こう側から飛んできて、そんな不安は一気に吹き飛んだ。
ドアが開き。
いつぶりかに見る伊奈ちゃんのその顔に感動を覚えた。
昨日見たけれど、遠くから見るのと、こんな近くで見るのは全く違う。
私は震える唇をゆっくり動かして、
「伊奈ちゃん。久しぶり!」
その喜びを声に表した。
私の顔を見た伊奈ちゃんは少し固まった。
やがてハッとしたように、
「あ。あー! 美結ちゃん⁉︎」
その私の名前を呼ぶ伊奈ちゃんに、私は大きく頷いた。
「帰ってきたんだ!」
嬉しそうにそう言う伊奈ちゃん。
私も嬉しい。
「うん! まぁ、おばあちゃん家に一時的に行っていただけなんだけど。……まぁ、お父さんの仕事の都合でね。それで帰ってきて、この学校に入学したってわけ!」
「おー。嬉しいねー。とりあえず、入って入って」
手をちょいちょいと動かして、私を部屋に招く伊奈ちゃん。
右手を差し出し、置かれていた椅子に座らせてくれた。
それに「ありがとー」と返し、そこに座る。
伊奈ちゃんも正面の椅子へと座り、対面となった。
「まぁ。おめでたいことだけど……どうしてここに?」
伊奈ちゃんは聞いてくる。
「えっとね。楓花もこの学校にいるということに今更ながら今日気づいてね。そして伊奈ちゃんが、四階のこの部屋にいるーって言ってたから来たの!」
本当は昨日気付いたのだけど。そこは言わないでおいた。
「ふむふむ。……あ、あの、伊奈ちゃんってちょっと恥ずかしいかも。私、一応先輩だし……」
……。恥ずかしいのか。
小学校の頃は普通にこう呼んでいたのに。
どこか悲しい気持ちになってしまった。
まぁいいか、と。
「じゃあ、伊奈ちゃん先輩!」
そんな、取ってつけたネーミングをする。
久しぶりの会話だというのに、なんだか自然体で会話ができた。
「……それで許してあげよう」
伊奈ちゃんは渋々首を縦に振った。
やはり少し不満らしいが、何をそんな気にする必要があるというのか。
私たちは友達だというのに。
それにも、まぁいいか、と。
ともかく、私はこの時、伊奈ちゃんに会えて高揚していたのだろう。
何か話すきっかけが欲しくて、これからも仲良くするきっかけが欲しくて。
何より。伊奈ちゃんと付き合いたくて。
私はきっと、こういう考えがあったから。
次の言葉を言ったんだと思う。
「んで。私、相談があるんだ! ここって恋愛相談する場所なんでしょ?」
『相談がある』なんて言葉は、一瞬で思いつき口にしたものだ。
「えーっと。まぁ、なんか生徒たちの暗黙の了解的な感じで、勝手に恋愛相談をする場所だと思われてるってだけなんだけどねー」
「まぁ。それはどうでもいいけど。えと……相談っていうのはね……」
私はここで一つ、息を吸った。
「好きな人への、手紙の書き方! を、教えて!」
我ながら、これは良いきっかけを作れたと思った。
きっと教えてくれる内容は、伊奈ちゃんがいいと思う手紙の書き方。
伊奈ちゃん自身が貰って嬉しい手紙の書き方。そういうものだろう。
だから、教えてくれたその内容に沿った内容を書けばきっと伝わると思った。
この後。伊奈ちゃんは色々なことを教えてくれた。
けど、なんというか恋愛に不慣れ感が出ていて可愛かった。
私はそれ通りに手紙を書こうと決めた。
けど伊奈ちゃんは最後に『ちぐはぐだけどその人の想いが伝わる手紙も嬉しいかなー!』と言っていた。
よし。とこれも脳内メモ帳に記載した。
これを踏まえて、今日の夜に手紙を書こうと思った。
私は、伊奈ちゃんより一足先に家に帰った。
なんでも伊奈ちゃんは楓花と一緒に帰るらしい。
残念ではあったが、私は喜びの方が勝った。
明日、ラブレターを届けようと思ったから。
それを届けた時、伊奈ちゃんはきっと受け入れてくれると思ったから。
夜。
晩御飯を食べながら。
「今日はどうだった」
母にそう問われた。
「楽しかった! これなら午後からでも通えそう!」
本音を伝えた。実際そうだった。
伊奈ちゃんがいるなら、私は毎日通えそうだった。
父母は互いに凄く安心したような表情になった。
親孝行というわけでは全くないのだが、安心させれて良かったと思った。
私は部屋に戻った。
早速、いい感じの便箋を取り出し。
カバンから筆箱を取り出し。
机に向かって、手紙を書き始めようとした。
スマホが鳴ったことにより、それが遮られる。
あまりにも久しぶりすぎるその振動に、私は少し驚いて。
スマホを取り出し、それを開く。
ラインだった。クラスのグループラインだった。
『今日は、白河さんが来ましたが。みなさん、共に仲良くしていきましょう!』
飯塚さんが送ったそれを見て、笑みが零れる。
そのあと、続けるように三個のスタンプが送られた。
これも飯塚さんのものだ。
可愛い三つのスタンプ。
クラスのみんなの反応が少し怖い。
私はどう思われているのかなと、緊張と期待が入り混じった複雑な気持ちだ。
まだ飯塚さんしか私のことを話していないけど、他の人は何か言わないのかと。
そわそわして、手紙を書くのも忘れ、意識をスマホに向けた。
やがて。一つのメッセージが出てきた。飯塚さんのものではなかった。
『白河さんって誰だっけ?』
そういうメッセージ。
ようやく来たか! と思いながら。
慣れない手つきで『私ですよ』と打ち込む。
入力は難しい。ちょっと誤字っちゃって私はまた入力し直した。
『せんせーに紹介されてた、なんかめっちゃおどおどしてるヤツ笑』
とその間に別の人がそれに返信をした。
ちょっと言葉が強いけど、まぁ距離感が近いくらいがいいのだろう。
私がクラスラインに参加したと表示されている筈だし、このラインを私が見ていることも、メッセージを発信している人物は理解しているのだろう。
だからこその発言だと思い、私は納得ができた。
自分はどうも入力には向いていないらしいので、ただ見つめることにした。
『あーそれな爆笑』
三人目が出てきた。
笑っているということは、私に抱くのは好印象だということが窺えた。
……だが。
『くそキョドッてて、めっちゃきしょかった笑』
急に突拍子も無い気がして、ハンマーで頭を叩かれたような衝撃が走った。
思わず「え。」と言葉が漏れた。
私のラインの名前が『れもん』だったということを思い出す。
『髪もすげー張り切っててマジきしょい笑 小学生かっつーの爆笑』
『ガチそれ笑 自分が特別だと思ってんのかね』
『病気もってるらしいよ笑 特別だとは思ってそう笑』
『なんていう病名? 発達障害?笑』
『あ、それだわ完全に笑』
『もうガチ学校こんで欲しい。鬱なるて笑』
『ほんそれ笑』
『ブスのくせにな』
『整形してもあれは治らんわ笑』
『それおもろすぎ爆笑』
もう目も当てられなかった。
目を開けていても、滲んでいて前は見えなかった。
目をゴシゴシして。
前を見た時、スマホが震えた。
別の人からのライン。飯塚さんからだった。
私は。何をすればいいのか分からず、それを見た。飯塚さんに助けを求めたのかもしれない。
『ごめん。まさかこんなことになるなんて……。この人たち、自分たちの権力を示すためにこんなことを言ってると思うんだ』
読みかけだったが、電源を落とす。
読みたくなかったから。飯塚さんは役に立たない。酷いけど。
ピロリン、ピロリン。と。
鳴り続けるスマホの音が、とても怖かった。
耳に刺さって、ずっと身体中で響き回って。
それがグサリと心臓に刺さって。
痛かった。精神的にも。もはや物理的にも痛かった。
スマホが怖い。
私は、スマホを部屋の壁に投げつけた。
ゴンと鈍い音を立てる。
そして追い打ちをかけるように。私は自分の拳で、そのスマホを叩き殺した。
画面の向こう側で私を嘲笑っている連中を殺すつもりで殴り続けた。
割れた破片が私の手に刺さりまくって痛いけど、胸の痛さに比べてマシだった。
「死ね! 死ね! 死ねよ‼︎ なんで学校に行ってなかっただけでこんなことにならなきゃなんねぇんだよ! 私が可愛いことに対する嫉妬のくせに! 死んじまえ! てめーらの方がよっぽど障害だ!」
喚いた。
思い返せばかなり馬鹿なことをやったと思うけど、果たしてこの時の私にこれ以外の事が出来たかと言えば、まずそんなことは有り得なかった。
ドタドタを五月蝿い二つの足音が、一階から聞こえてきた。
その足音の主二人は、私の部屋を突き破るの様に無遠慮に入ってきた。
それとほぼ同時に私を母が抱きしめた。
「ごめんね。ごめんね」
ただ何度も呟かれた。泣いていた。
父も泣いていた。
私は瞬きもせずに泣いていた。
「学校生活に対するプレッシャーだよ。ごめんね」
心配をかけまいと、震えながらも告げる。
「もう学校行かないでいいから。家にいていいから。……ごめんね」
また謝られた。
私は親不孝ものだ。酷すぎる。
どうしてこうなったのか考えた。
もうグループラインに入った時点で終わりだった?
いや、学校に行った時点で終わりだった?
いや、昨日窓を開けた時点で終わりだった?
いや、入学式に出れなかった時点で終わりだった?
いや、病気を発症した時点で終わりだった?
いや。私が伊奈ちゃんに恋をした時点で終わりだった?
なんて。考え始めた時点で終わりだった。
その時の私の心は、すっかり荒れきっていた。
たったこれだけの事でと思うかもしれないけど、『これだけ』というものは大きさは小さく見えても、中に詰まっているものは絶大だった。
私はそれから、学校に行くことは無くなった。
九月になるまで一度もだ。




