31番目の妃*32
フェリアは、例の侍女を引き連れて邸に戻る。侍女は心ここにあらずのようだ。ゆらゆら揺れながら、『紫色の小瓶』を持つフェリアに着いていく。
邸に戻ったフェリアは、侍女を下がらせて小瓶を野営箱の中に隠した。それから、おもむろにドレスをたくしあげる。足首のレースベルトに忍ばせていた毒消草と、太ももの鞭ベルトにさしていた偽の『紫色の小瓶』やら、銀の匙、丸薬、粉薬……蛇の脱け殻等を取り出して、夜営箱に入れる。ガロンが運んできた、フェリア専用の野営箱である。荷物の箱はまだ開かれることなく、サロンに山積みだ。仮設から本邸に移る際に、また荷造りするのを嫌い、洋服以外の荷物は開けていない。
「結局、使わずじまいだったわ。残念……うふふ、簡単に倒れてしまうんですものね」
どんなお茶会になろうと対処できるようにと仕込んだ物は使われなかった。いや、使う前にサブリナが倒れたことに乗じて、一芝居演じたことで無用になってしまったのだ。
「さて、女官長か」
フェリアははぁっと息を吐き出した。女官長は今か今かと、フェリアの訃報を待っているだろう。フェリアが毒で亡くなる。その犯人はキュリー。手を下したのは、キュリーの元で教育を受けていた侍女。キュリーの指示を受けて侍女が犯行した。これがサブリナのシナリオだ。そのシナリオは、女官長からキュリーに伝えられ、さらにシナリオを変える提案もなされていた。女官長のシナリオは、フェリアが毒で亡くなる。その犯人はサブリナ。手を下したのはサブリナに脅され密通していた侍女。キュリーがそれを暴くというものであった。
しかし、どちらのシナリオもキュリーからフェリアに伝えられ、さらに『自身の手腕で何とかしてみなさい』と、フェリアはキュリーから課題が出されていた。予定通りではなかったものの、今のところサブリナに膝を折らすことは成功した。さて、女官長だ。キュリーがこちら側だと知られぬように対処しなければならない。
薬草茶の棚から六つ袋を取り出すと、フェリアは外に出て、虚ろな瞳の侍女を呼ぶ。
「これらを、今日のお茶会に参加した妃の皆さんに配ってくれるかしら? お茶会で振る舞った薬草茶よ。……安心なさい。どのみち、あなたは実行犯にされるところだったのよ。大丈夫、私が女官長からあなたを守ってみせますわ」
虚ろな瞳が見開かれた。女官長から守ってみせるとの言葉を聞いたからだ。この王城では、長らく続いた女主人の不在により、女官長が権力を持ってしまった。王マクロンが、後宮や侍女らの仕事に、その権力の集中に、無関心であった弊害である。王城の侍女らは、女官長に絶対服従であったのだ。先代の王妃の侍女であった女官長に。早くに急逝した王妃に代わり、後宮を統括していた女官長に。先代の王がマクロンとマクロンの弟君の出生により、側室らを下賜したことも、姫君の出生がなかったことも、それにより後宮の主を不在にし、女官長をのさばらせることに拍車をかけたのだ。だからこそ、侍女は女官長の言いなりになり、実行犯を引き受けざるをえなかった。
「配り終えてから、女官長のところに行きなさい。失敗したと、小瓶も奪われたと、……公爵令嬢は、私に膝を折ったと伝えるのです。そして、最後にこの薬草茶を渡すのです。……薬草茶には『紫色の小瓶』が使われたかもしれないと、伝えてくれる?」
侍女は、小さく震えフェリアを見つめる。『紫色の小瓶』に反応したのだろう。
「安心して。あの小瓶は使っていないわ。女官長には、さらにこう言ってくれる? 『薬草が特産のカロディアの娘が、毒がわからないわけないのにね』と、邸から高笑いと一緒にそう聞こえてきたとね」
侍女はコクンと頷いた。侍女自体も、フェリアがそれで毒だとわかったと思ったはずだ。実際はキュリーからであるが。女官長は、この侍女の報告に何と言うだろうか? どう動くであろうか? フェリアはそんなことを思いながら、侍女を見送った。
***
キュリーの報告に、マクロンはクックックと腹をおさえながら笑った。あのサブリナが、ミミズに悲鳴を上げ、気を失いかけ、さらには自身が放っていた毒を、飲まされそうになり、取り巻きに見捨てられ、鬼のような顔になったとの報告にである。フェリアの立ち回りにも笑いが止まらない。その場で、フェリアの演技を見てみたかったほどに。気つけをテーブルの中央に置いた、お茶会も見てみたかったとマクロンは思う。さぞ、痛快で楽しい喜劇であったろうとマクロンはまたも笑った。
「王様」
それをいさめるように、ビンズは呼びかけ、じとりとマクロンを見た。マクロンは軽く手を上げ、すまぬなと口にした。
「全く、毒を盛られるやもしれぬお茶会に、フェリア様を行かせるなど、王様はどうかしちゃったのですか?」
「その程度のことを処理できぬようでは、我の横には立てまい。フェリアなら、華麗に毒のお茶会を覆すだろうと思っていたが、本当に素晴らしいことよ」
王マクロンは思っている。どこぞのおとぎ話のように、王に溺愛され守られるだけの妃など、何の魅力も感じないと。芯は強いが、か弱い妃などいらぬ。か弱さを愛でるなど虫酸が走る。侯爵、公爵令嬢に対し、芯の強さで反論し正論を掲げるわりに、か弱さをひけらかし王に助けられる……そんな間抜けな話があろうか?
何でもかんでも守ってやらねばならぬ妃など、面倒な存在だ。ままごと姫は、甘いおとぎ話をマクロンに聴かせていた。清廉な妃が、悪い妃らに蔑まれ、真っ向から立ち向かう。自身に何の力もないのに。窮地に追いやられた妃は、それでも正論をぶちまける。まさに、素晴らしきかな妃である。お涙ちょうだいものの展開だ。そして、王が颯爽と現れ妃を助ける。その後の鳥肌ものの溺愛は、吐き気がするほどだった。夢見る幼女なら許されようが、現実的ではない。妃は力を持たねばならぬのだ。心身ともに強く、王の力と肩を並べるほどの強さを。
マクロンが求めるのは、マクロンに守られる妃でなく、同じ視界に立つ妃だ。マクロンと同等の牙を持つ妃だ。背後の権力によって牙を持つ妃でなく、妃自身が牙を持っていなければならない。フェリアのように。
「失礼します、王様」
開け放たれた扉から、長老が入ってくる。
「どうした?」
マクロンは、用件が想像できたが問う。
「18番目と25番目とお妃様から、退城の知らせが届きました」
思った通りだと、マクロンはフンッと鼻息を上げた。サブリナから急ぎ逃げるのだろう。親元にすがり、公爵への根回しをするのだろう。報復を恐れているのだ。
「受理せよ。これで残った妃は十五か……内、辞退は十。わからず屋が、四か」
フェリアを除くと、四名の妃が辞退していない。つまり、妃の座に未練があるということだ。
「王様、妃は王妃だけにありません。側室も必要なのです。ご理解ください」
長老はチクリとマクロンに苦言を呈し下がっていった。マクロンはフンッと鼻息を出す。マクロンには、たった一人の妃でいいとの思いがある。長老の苦言を覆す何か妙案はないかと、頭を回転させるマクロンであった。
***
ガロンは、王都を満喫している。薬屋を幾つか回り、薬草種屋も幾つか回り、ついでにと診療所にも顔をだし、必要な薬草は何かと現地調査をしていた。王都は広い。一週間かけてやっと全ての薬屋、薬草種屋、診療所を回りきるところだ。最後の診療所に顔を出す。ここは、唯一カロディアと直の取引先である。入り口は、昼間にも関わらず診療終了の札がかかっていた。ガロンは不思議に思いながら、診療所の扉を開く。
「こんにちは」
受付には誰も居ず、奥の方でバタバタとしている音が聴こえる。
「……斑……! タロ……生、時期が悪……、薬草が……ない!!」
ガロンは受付を飛び越え、声の方に向かった。薬草がないと聴けば、勝手に体が動くのだ。
「おいっ! 何があった?!」
白い布でグルグル巻きにされた三体の人と、診療所の老齢の医師と、奥に震えるように立つ看護人は、突如現れたガロンに目を見開いた。医師は、ガロンだと確認すると緊急事態だと放つ。
「死斑病だ! タロの生葉はあるか?!」
ガロンはすぐに状況を判断した。伝染病である死斑病の患者三名。特効薬はタロの生葉。だが、タロの生葉は時期ではない。医師がカロディア領のガロンに咄嗟に訊いたのは、そういうわけだ。
死斑病は死に至る病ではないが、身体中に紫の斑点が広がり全身が痛む皮膚病である。感染力が強く、一気に広がる病と見た目から、この死斑病が発生した地域は敬遠されやすく、国としては大打撃を被る。
さらに悪いことに、この死斑病は痛みは完治しても痕が残る病である。患ってしまった令嬢にとって、死に値する病である。紫の斑点が全身にある令嬢をめとる者はいないからだ。もちろん、町の娘らも同じだ。娘のみならず、面立ちの良い令息らも。
「今は時期じゃねえ!」
ガロンも声が大きくなった。
「クソッ、とりあえず王城に報告に行ってくれ! ここは封鎖する。王都で広がらぬよう、急ぎ王様に伝えてくれ!」
ガロンは走り出した。死に至らなくとも、死の町と呼ばれてしまう恐ろしい伝染病だ。ダナンが麻痺をしてしまう。
ガロンは王城に向かって駆け抜けた。
次話7/15(土)明日更新予定です。
たくさんの感想ありがとうございます。
明日まで多忙なため、日曜日に返信いたします。




