黒猫と黒羽の冒険者
「……リガル」
村の道を歩み、項垂れたまま動かない猫少年へと近付きながら、ファリスは小さくその名を呼ぶ。
「汝よ、その顔の星に陰りあるは何故か?
吾には、見分けが付かぬが……生は真に喪われておるのか?」
その横に控える龍少女は、ぱっと見案外平和そうに人々が何故か行き来する道を共に歩みながら、頭二つは高い夫(仮)へと問い掛ける。
「エーミャ、鼻は良くないのかい?」
「香りなど、気にしたことも無いがの?」
「なら仕方ないね。ぱっと見では彼等は普段と変わらないように見えているけど……この匂い、腐り始めているよ、皆。あれは内部に巣食った何かに動かされている死骸でしかない」
その証拠に、とファリスはおはようございますと語りながら……
一瞬だけ指先にオーラを纏うと話し掛けた老婦人の手に触れ、その左手の薬指……指輪を嵌めた指の第二関節から先を捩り切った。
「あら、おはよう。剣聖様、ニアちゃんは何処かしら」
だのに、だ。老婦人は今正に喪った指の事など気にも止めずにファリスの挨拶にそれっぽい挨拶を返す。その反応は、どう考えても普通では有り得ず……彼等の末路を雄弁に語っていた。
「……ほら、ね?」
循環が止まり鬱屈とした色に変わった血を抜き取った生身の指からぽたぽたと地面に落としつつ、ファリスは悲しげに顔を伏せ、龍少女を諭す。
「何と。されど汝よ。なれば、あの猫めも同じでは?」
「いや、リガルは何故か無事だよ。ある程度は分かる」
「ふむ。吾は汝と後は勇者の剣に、雪色の半神くらいしか見分けが付かぬが故、屍も生者も解せぬか」
困ったものよな、とその背の翼を折り畳む紅の龍。だがそれは、ある種興味が無ければ脅威と感じることが欠片もなく気に止める必要がない故の余裕の現れでもある。
それを理解するファリスは、流石に頼りになりすぎると苦笑して……
「リガル」
佇む猫魔術師の少年に声をかけた。
それを受け、小さく目線を上げるリガル。が、その顔は何処か暗く……
「ニアは?」
「ニアがどうして、まず出てくるのかな?」
少しの警戒と共に、ファリスは問いを返す。
無事で良かっただとか、助けてくれだとか……本来、もっと先に返すべき言葉は数多く存在する。
だのに、彼は最初に姿の見えないこの地を故郷とする幼馴染の事を問い掛けた。それは彼女に幼い恋心を抱いている事実を考慮すればある種普通かもしれないが……極限状態に近いだろうと理解できる今、普通の対応なんてまずそれが可笑しいのだ。
そう思ったファリスは、少年を見据える。
「ニア、お前に連れ去られてからどうなったか心配で……」
「自分達の心配は良いのかい、リガル?」
「何だよそれ……心配されるようなことなんて」
「沢山あるように見えるけれど?」
周囲を見渡しながら、ファリスは苦笑する。
「何があるんだよ!この村は平和なのに、いきなりお前が帰ってきて話し掛けてきたんだろ!」
「じゃあ、何故黄昏ていたのかな、リガル?」
「お前が!お前がニアを拐っていったから!」
吠えるリガル少年。その尻尾と耳がふしゃーっ!と逆立ち、本当に怒り狂っているようで……
「残念だけど、リガル」
ファリスは答えを理解して、静かに首を横に降った。
「それは通らないよ」
「何が!」
「楽園の鐘が壊れ、音色は響かず、瘴気を払うことは出来ずにこの村は呑み込まれるしかない。ぱっと見ただけでそれは分かるというのに……何が平和だと?」
そう、鐘が壊れている事は一目瞭然。鐘を破壊されて故郷が滅びる様を見たファリスに、それでも平和なんて言葉が信じられる筈も無かったのだ。
「え、あ、そ、そうで……」
目を白黒させる黒猫亜人。本気の困惑が伝わってきて、ファリスは推測が本当に100%正しかったわけでは無いことを理解する。
完全に終末論を唱える彼等の一員となり果てていたと理解していたが、少し誘導され騙されていた可能性もある。
が、結局のところ……故郷の滅びを招いたのが彼であるということは、疑う余地もない。
ならば、ファリスのやることは一つだ。反省を促すこと。生きているならば、フェロニアの為にも殺したくはないのだから。
そうして、静かに体内で力を練ろうとファリスは息を整え……
「随分な挨拶よな?」
刹那の後、ボウ!と燃え上がる龍少女の吐息の前に、降り注ぐ無数の黒羽が炎上する。
「あ、冒険者様!」
リガルの目が輝き、降り立とうとする青年を歓迎的に迎えた。
が、冒険者と呼ばれた青年をファリスは深く知っている。
「……久し振りだね。二度とお目にかかりたくなかったよ、大司教エスカ」
「屍の君と会いたかったよ、剣聖ファリス」




