人質とチーズ
「それにしても意外だ」
夜の闇を待つ間、暇だ。ファリスが修繕した龍神の神殿擬きの中で、ぽつりと壁に寄り掛かるロウウェンが呟いた。
急いで向かうことは幾らでも出来る。けれども、ファリス達はそれをしないことを選んだ。
見張っている者達は居るのだから、彼らに伝えられたものの勇者惜しさに動かなかった……と見せ掛ける。そうして、夜の闇に乗じてこそこそと抜け出し、向かう。
本来は一刻を争う事態としては、あまりに悠長だが……ファリスには勝算があった。
「ほんとーにだいじょぶなんでしょうか、おとーさん……」
不安に耳を丸めて、敷かれた布クッションの上に体育座りで待つスミンテウス種の少女は師を見上げる。
「大丈夫だよ、ニア。心配しなくて良い」
「ふ、ふあんで心臓ばくばくです……」
「じゃ、ボクがぎゅーってしてあげようか?」
からからと無邪気なのはエルフの姉弟子。
ほらおいで、と自分の膝にニコニコ手招きし、その薄い胸に震えるネズミ勇者を抱き締める。
「はい、ぎゅーっ。
少し前の弟くんにも良くやってたから、結構自信あるよ」
「……ネージュ、10年近く前の話だと思うんだけど?」
「うん。両親が死んじゃって良く眠れなくなってたの、たった10年前じゃん。1週間前も10年前も割と最近だよね?」
エルフ特有の時間感覚で、一件勇者と年格好の変わらない少女は、しかし長命種としての感覚で間違ってないじゃんと微笑う。
頭を何処にそんな馬鹿みたいな力があるのか分からない白い細腕によしよしされながら、気持ち良さげに眼を細めて、けれども不安は消えずに小さな勇者の少女は小刻みに手指を握り不安を露にする。
「で、でも……」
「汝よ。疑惑など蒼空に雷雲を見いだすがごときが……」
遠回しな言い方をするのは、どこかご機嫌に龍神像に一見罰当たりにも寄り掛かる龍少女ヴリエーミア。
何て事を……とはならない。彼女は紅の皇龍。龍の神と呼ばれる星の龍の娘なのだから、彼女的にはお父さんや自分のフィギュアか飾られてるくらいの感覚なのだろう。
「言の葉にせねば、無き雲を幻視せずにはいられぬ者もおろう。
吾とて……」
その言葉にファリスは頷く。
先代勇者ディランも、そしと姉弟子のネージュも聡く、ファリスの言いたいことは即座に理解してくれていた。だからこそ、口数少なくても問題なく話が通じていたのだが……
眼前で震える幼いネズミ勇者はそうではない。
その事を肝に命じて、ファリスは安心だという理由を告げた。
「だってね、ニア。
彼等は君の幼馴染やお父さんを殺す理由なんて無いんだ」
「え?さっきあるって言いましたよししょー?」
不思議そうにその大きな丸耳がぴくりと動く。
「私は、君をおびきだす為に彼等を使うとは言ったけど、ね。
逆にそういう理由で狙うからこそ、安全安心なんだよ」
「わ、分からないです……」
うーんと悩んで、少し不謹慎かなと思いつつ、ファリスは例を考える。
「じゃあニア、チーズで考えよう」
「おとーさんが大変なのに、ちーずはちょっと……
だいすきなのに美味しく感じられなくてやです……」
しょぼんと足を抱き寄せる少女。無防備に震える少女の白い足は覆うもの無くさらけ出されて、それを気にもとめない。
「大丈夫だよ、ニア。私を信じてちょっとだけ、考えよう。
きっとニアも、急がなきゃいけないけど、焦る必要はないって分かるから」
こくりと、小さく頷かれるのを見て、ファリスは続ける。
「ニア、此所からちょっと離れた建物にとっても美味しいチーズがあるって考えて?
其処に行けば、そのチーズが貰えるんだ。君はどうする?」
「貰いに行くですよ?」
「うん。そうだね。
じゃあ……途中で、そのチーズが他の人に配って無くなっちゃったら?
その事をもし知ったら、ニアはどうする」
少し悩んでから、少女はぽつりと元気無く告げる。
「ちーずが無いなら帰るで……」
びしっ!と伸びるハゲ尻尾。
「気が付いた?」
「ニアが居ないのに、おとーさんを傷付けても、意味がない?」
「そうだよ、ニア。君を来させたいのに、君が来る原因を先に潰しちゃ意味がない。
助けられる可能性がまだあるなら兎も角、もう駄目だってなった時には私は君を無理矢理にでも連れ帰るからね」
「です?」
「復讐するにしても、強くなるべきだからね。お父さんの仇を討ちたいと言われたとしても、また此所に連れ帰って強くなるまで出さない。
それじゃあ、何より彼等が困るんだ」
真剣な話で笑うわけにもいかず、小さく唇だけ吊り上げてファリスは告げる。
「そう。今更行っても彼等は先に村に着いてしまう。急いでも間に合わない。
だからこそ、焦らなくて良いんだ。君や私が行くまで……彼等は下手にニアの大事な人達を傷つけられない」
「ま、心はボクよりちっちゃかった頃の弟くんみたいに泣いちゃうだろうから、ならずーっと彼らに守ってて貰おうよって言うのは無理があるんだけどね」
「時間を掛けすぎたら彼等を自前の教団に連れ帰って晒すとかやりかねないしね。
でも、大事な人質を無闇に傷付けるなんて……彼等自身の首が絞まるから出来ないんだよ」
蒼白だった少女の顔に朱色が少し戻る。
「だからね、ニア。
お父さん達を助けるために、今はゆっくりしよう?」
と、男はいやーと罰が悪そうに頬を掻く。
「単純に、女っ気が無いのが特徴な癖に女に囲まれてるのが意外過ぎてどんな風の吹き回しだって話題だったんだがな、剣聖?」
「「え、そっち?」」
エルフと人間、姉弟弟子のすっとんきょうな声が重なりあった。




