龍と呪い
「それで……なんだけど、エーミャ」
ファリスはずっと気になっていたことを、少しの躊躇と共に問い掛けた。
勝算はある。最初は巨龍がいきなり少女の姿に変わるわ、夫婦と呟くわ、そのまま抱き着いてきたかと思えば寝るわで面食らってはいたが、仮にもファリスは剣聖と呼ばれた冒険者である。想定外の事が起きる事そのものについては、幾度もダンジョンを……つまり、瘴気が造り出した異界法則の世界を勇者ディラン達と乗り越えてきた経験から慣れっこだ。
幾らでも面食らう事なんて経験してきた。想定外の事が起きる事は想定内。後はその想定出来なかった事態に如何に手遅れになる前に対応出来るか、そんな世界を生きてきたのだから。
ある程度最初は混乱するのは避けられないが、切り替えや割り切りは一般的な人類より相応に早い。
「その姿は?」
龍が人の姿を取る話は聞いたことがない。
人の……龍人種と呼ばれる種族の中には、血の力を解放して一時的に龍の姿を取ることが出来る者も居る、それはファリスとて知っている。何なら、Bランクの冒険者である彼とは一度共に魔王軍と戦った仲だ。
だがしかし、それは人類が龍に変化する種族の特異魔法を使っているだけ。絶対的強者であるドラゴンそのものが、わざわざ自分より弱い姿を取るなど不合理極まる。
「汝よ。この吾が姿、異な点が有りや?
吾が心には、佳き完成を視たと感じるが、何分孤独なる皇龍。人の機微は分からぬ故な」
だというのに、紅の龍少女はその背の大きな紅の翼を無邪気な小鳥のようにぱたぱたと羽ばたかせながらどこかピントのズレた言葉を返す。
「……そもそも、人間の姿を取っている点が可笑しい気がする」
「ボクもそう思うよ。ボク達が魚のフリしてるような違和感っていうか……
あ、人魚とかじゃなくて、本当に単なる魚ね」
人魚さんは人類だからねー、とエルフの少女に言われ、ふむふむと龍は頷いた。
「結論、吾の姿に可笑しさは無きや?
汝よ、汝の眼に、吾は如何映る?看過しきれぬ異形の部位は在らぬか?」
「うーん、翼や角は……どうだっけ弟くん?」
「龍人族は生えてる人も多いね。私の知り合いは、地竜系だったから翼は無かったけど、代わりに背に棘が生えてたけれど、翼が生えてる種も居るらしいよ」
あれは仰向けに寝られなくて少し大変そうだった、と、余計な情報をファリスは付け加える。
「うん、つまりそういうことかな。
龍人姿としては良くできてるけど、重要なのはそこじゃないかな」
「……ふむ。なれば問題は……」
ふと思い付いたように、龍は裂けた瞳でファリスを見上げた。
「この歳格好は汝に合わせてみた吾なりのふぁっしょんなれど、好みとは異なる哉?」
「変えられるの、その姿」
「雑作無し、と勇壮な言の葉を紡げれば佳きなれど、事実には非ぬ。
なれど、変えられぬ訳でも無し。今のこの体が、汝の横に立つには快き姿と思うたが」
「……つまり、私に合わせて人間っぽい姿をしている?」
その言葉に、嬉しそうに龍の少女は頷いた。
「赦せ、汝よ。
この姿はかつての魔王の呪いをこの身に巡らせた拘束具。本来であれば、汝の望むようにすべきなれど……本来の吾とあまり歳は変えられぬ」
「……問題はそこじゃ無かったんだけど……」
とりあえず、理解は出来たとファリスは一息ついた。
呪いの行方も、龍が人の姿をした理由も理解した。
自分で告げた夫婦の言葉を、かなり本気でこのファリスの目の前の伝説は実践しようとしている。その一貫として、自分の力を呪いで抑え込んで、人の姿を取ることにしたのだ。
「私達に配慮してくれる為に、混乱させないために、普通に交流するために。色んな理由から、その姿を取ってくれる……で良いのかな?」
「然り、然り。
吾本来の姿では……汝も勘違いからか、吾に命を懸けて挑むようなれば
しかして汝よ。今の吾は如何思う?」
なにかを期待するように、皇龍は少しだけ首を傾げて、膝の上でファリスを見上げる。
「……可愛い姿だとは思うけど、私に合わせた結果が本当にその姿なの?」
眼前の少女姿は、人間で言えば12歳前後。フェロニアとほぼ変わらないくらいの年齢だ。
ファリスは今19。その横に12~3の少女というのは、兄妹であれば兎も角、そうでなければなかなかに凸凹なのではなかろうか。
ファリスはそう思うも……
「自信はあったのだがな?」
「ん?」
「そうだね、うん。やっぱりそうなるよね」
しかし、姉弟子エルフすらも龍に同意する。
その意図を、一瞬ファリスは測りかね姉弟子を見て……
漸く納得した。
「確かにそう思われるしかないか……」
そう。13前後の姿というのは、姉弟子であるネージュの外見年齢と同じ。弟子の勇者フェロニアの実年齢もだ。
それ以外の女性との縁は、ファリスにはあまり無い。
つまり、交友関係からファリスの横の女性の良さげな外見年齢を考えた時、13歳前後以外の答えは出ないのだ。
「吾に挑む汝、その横に立つはそこな霊神の似姿。
心に稲妻を落とした、吾が脳裏に焼き付くあの日の光景が、この姿を産んだのだが……間違っておったろうか?」
何処か不安そうな龍の頭に優しく触れ、ファリスは大丈夫と呟く。
「いや、大丈夫。
……ところで、戻れるの、その姿から本来の姿に」
「出来ぬとは言わぬ。なれど、それは呪いを破壊するにも同じ事。さすればこの身は……汝が可愛いと紡いだ姿を、呪いを編み直すは星が巡る遠き月日の果ての事。
あまり言うてくれるな」
ちょっと分かりにくいが、つまり……
呪いで龍人姿に押し込められているのが今の姿であり呪いを解除すれば皇龍に戻れるが、その場合残骸から一年くらいかけてまた呪われ直さないと龍人になれないからやりたくない、ということなのだろう。
「一年かかるんだ」
「かつての魔王の呪いが弱き故にな」
「……いや、魔王……って先代だから私の知るあの黒龍じゃなく10000年前の伝説かな」
一度だけ偵察の折に影を見たあの化け物の姿を思い出しながら、ファリスはその言葉を噛み締める。
「弱いというか、私一人では勝てる気も全くしないレベルなんだけどね?」
「吾、皇龍なれば」
「そんなに強いなら、出来れば魔王の脅威くらい払って欲しかったよ」
少しだけ、辛い言葉。
言いすぎかなと思うファリスだったが、龍少女は怒るでもなく、眼を伏せた。
「吾は皇龍。星の龍。
霊神ならざる神に類する孤独な龍。何かに祈られねば、霊神の地に来ることすら憚られる」
「そう、あんまり言いすぎちゃ駄目だよ弟くん。多分ボク達みたいに、そもそもダンジョンに入れないとかそういう神様に近い存在だからさ、凄すぎて世界のルール側で破綻しないように制限あるんだよ」
「……御免、言いすぎたねエーミャ」
「構わぬよ、汝。
吾は何をするでもなく、何が出来るでも無く、祈りもなく、ただかの星に孤独。
故に、汝の光に焦がれたのだから」




