聖地へ
「ふんふんふーん」
あれから数日後。すっかり元気を取り戻した勇者フェロニアは、何の武力も無ければ流石に無謀だがある程度の心得があればあまり危険の無いアルフェリカ王国の土地を上機嫌に歩いていた。
それを眺めつつ、剣聖ファリスは後ろから危険がないかどうかを見つつ、歩みを進める。
「あ、ししょー!村が見えましたよ村が!」
と、谷合に建物の影を見付け、ぴくりと耳を動かして少女は言う。
「ちーず売ってますかね、ししょー?」
あまり長く滞在するわけにはいかないものの、買い物くらいは出来る。勇者は己の好物があれば良いなと思い、そう無邪気に言うが……
「絶対に置いてないよ、ニア」
返ってきたのは、苦々しげな師の言葉。
終末論者絡みでなければあまり負の感情を表に出さない師の珍しい言葉に、少しあぶなっかしく後ろ向きに歩いていた少女は首を傾げて、
「あうっ!」
前方不注意で石にけっ躓いた。
「大丈夫かい、ニア?」
「だいじょぶです……」
師に腕を掴まれて、少女は少しだけ照れを含ませつつ呟く。
「……でも、なんでそれわかるですか?」
「……あそこに人は住んでないからだよ、ニア」
その言葉に、幼い勇者は目をぱちくりさせる。
「でも、建物あるですよ?
なんでわかるです?」
「……分かるよ。私とディランは、あそこの出だったから」
「ししょーの、こきょー?」
「そう。故郷」
「なら、ごあいさつとか……」
というところで、少女は思い出す。
己の師は、元々殺された両親の仇討ちで剣を習い始めたという事を。
「ごめんなさいです」
耳をしょんぼりさせて、勇者は言う。
「大丈夫。気にしてないから。ニアが何か悪いわけじゃない。
でも、あそこには本当にもう何もないよ。終末論者が鐘を破壊し、既に滅んだかつて人が住んでいた場所。ニアが見たのは、昔私の両親が働いていた、街壁の一部。もう、役に立たない単なる石造りの障害物だよ」
それで話を切り、青年は此方だよ、と弟子を先導する。
昔を思い出すあの場所を避けるような、平坦な少しだけの回り道を。
「あ、待ってくださいよししょー!」
それに気が付かず、弟子は師を追った。
そうして、辿り着いたのは……
「ししししししししししょー!」
「震えすぎだよ、ニア」
「でででもっ!ここ、ここって……」
少女の眼前に広がるのは、紅と白亜の門。その上に輝く紋章は、『群青』『萌葱』『紅蓮』『純白』『黄金』『紫紺』の6色に彩られた6枚の天使の翼の意匠。
「ここって、せーちですよ、聖地!」
「そうだよ。聖地だ」
聖地とは、かつてこの世界を6人の天使が護った際に降臨し、最後の戦いの舞台ともなったとされる場所の事である。
今では神に近しいと言われあまり定住しないエルフ達が珍しく集まり暮らすそこが、ファリスの目指した場所。
「ここが、聖地……って、ニア入っちゃっていいんですか!?」
そんな事を愕然とした表情で告げる弟子に、師は苦笑する。
「ニア。君が入れなかったら、私が入れるわけないよ」
「……そうですか?」
「そうだよ」
言って、師は指を立てる。
「6つの色の翼。群青色は、君の聖剣ティル・ナ・ノーグを示す。正確には、この聖剣を人々に与えたという同名の天使だけどね。
そんな聖剣を持つ君は、誰より聖地に居る資格があるさ」
「あ!」
「だろう、ニア?だから、気にせず入って良いよ」
そんな言葉に頬を綻ばせる少女は、はたと気が付いたように師を見上げた。
「ししょーも入れるですか?」
「別に破門はされてないしね。今も入れるよ」
「それは分かるですけど、昔どうして入れたです?」
荘厳な門は、閉ざされていて特別な者以外は入れないとされることくらい、世間知らずなネズミでも知っていた。
それなのに、師は昔から入れたという。入れなければ、中のエルフ等による修業も何もないのだから。
「ああ、それ?
一応私も信仰はあったからね。今では……少しどうかと思うところはあるけれど」
「神さましんじなくなったです?」
「私達の故郷は、龍神信仰だったからね。大分廃れていたけど、私は……埃被っていた祠を掃除したり、強い龍の神に憧れていたよ。
でも、実際の龍は……どうにも、恐ろしくてね」
「聖地を襲った……ん、でしたっけ?」
その言葉に、剣聖は頷く。
「何しに来たのかは分からないけど、焔を纏い、伝説の紅龍は降り立った。
傷付いて逃げ去る辺り、どこまで本気だったかは分からないけれど……あの時、身のすくむ想いをしてから、龍の神に祈るのは少しやりにくくてね」
「ニアも同じならそーなっちゃうですよ?」
なんて、変な励ましかたをしてくれる弟子の頭をわしゃわしゃして。
「まあ、その辺りは良いかな。
龍神信仰と、あとは単純に面白そうだからボクが面倒見るよ!いーでしょ?してくれたネージュのお陰。信仰心だけじゃ入れなかったからね」
言いつつ、そろそろ良いかと思い、ファリスは門を押す。
重い筈の石の門は、まるで重さを感じさせずに軽い押す力に合わせて開いていって……
「聖地へようこそ、ニア」




