雨の中のネズミ
今日の更新はサボると言ったな
あれは明日だ
「……うぅっ」
背後から近寄ってくる骨の馬に騎乗したゴブリンに向けて剣を振るいながら、フェロニアはうめく。
聖剣の力は、全く使いこなせていないとしか言い様の無い少女勇者にとっては身に余る程。
乱雑に振るった剣は、少女の予想より遥かに軽い衝撃だけを手に残して、馬の首を跳ねる。
からん……と首だけが転がり、けれども骨だけの馬は元々死んでいるような魔物。首がなくとも滅びることはなく、何事もなかったかのようにその場を駆け抜けて。
「きゃぁっ!」
馬上のゴブリンに、乱暴に上着のフードを握られ、勇者は悲鳴をあげる。
「おっと。遅れてごめんね、ニア
……それで?私の弟子を拐おうと言うのは、君かな?」
刹那。青い闘気が、馬ごとゴブリンを縦に両断した。
「けほっ」
「……大丈夫、ニア?」
ダンジョンだという街に入った瞬間から一度たりとも淡い青のオーラを纏う状態を解除していない師は、聖剣を放り出してけほけほとえずく少女の背を優しく擦り、そう問い掛ける。
「だ、だいじょぶ、です……」
「少しだけ、全滅させるのが遅すぎたね。反省するよ」
「ししょーの、せいじゃ、ないです……」
背負われながら力なく、ネズミの少女は首を振った。
実際そうです、とフェロニアは自答する。
師一人ならば今頃ずんずんと先に進んでいた事は、いくらフェロニアでも分かる。
コアを何とかしなければいけないと言っている以上、たぶん周囲のゴブリンに構う必要はない。それでも100は居そうだったゴブリンを全滅させたのは、ひとえに着いてきたいと言ったフェロニア自身の安全のため。
そんなことが、はっきりと分かってしまって。
放っておけないですしておいて、完全に足手まとい。この短い時間でその事実を突きつけられて、ネズミの勇者はしょんぼりと耳と尻尾を垂らす。
「急ぐ必要があるね。暫くこうしてる?
それとも、自分の足で頑張る?」
何時ものようにフェロニアの為に聞いてくれる言葉にも、何時もならがんばりますと返すものの今はそんな気力が起きずに、師に小柄な体を預ける。
そんな弟子の心を組んでか何も言わず、剣聖たる青年は一息入れ、オーラを膨らます。
「……ドロップ、持ってかないんですかししょー?」
「嵩張るし、値はそんなでもないしね
邪魔だから置いていくよ」
「でもししょー、食べ物とかふくろから出してるですよ?」
何度も食事時に小さな袋から大好物のチーズが出てくるのを見てきた弟子はふとそんな疑問を投げた。
「ああ、あれはかなり良い霊気珠を使った収納袋だからね。
といっても、あれはかさばるものを小さく仕舞えるだけで重さはあるし、時間が止まったりしないから腐るし、何より袋の中は小分けに出来ない」
「ダメになっちゃうですか?」
「そう。ゴブリンの角だとかは結構汚れてるからね。下手に袋に混ぜると食料が腐る。だから、置いていくしかないよ」
こくりと頷く弟子の重さを背に感じて、ファリスは駆け出し……
「ししょー!」
それにしがみつくネズミの耳が、小さな声を捉えた。
それは、小さな子供の声。
「ししょー!人の声がするですよ!」
「……人の声?」
その言葉に、通りの最中を駆け抜け、中心だろう冒険者ギルドがある方向へと向かう風が止まる。
「あっちです!」
少女が人間より鋭いスミンテウス種の聴覚で聞いたのは、街中で其処だけが雨の変な区画であった。
「……雨ふってるです」
それを暫く眺めた師は、一つ頷く。
「あれは……ものを溶かす毒の雨だね。
当たったらニアも溶けてしまうから、あまり浴びないようにね」
「どくです?」
「そう、毒」
小枝を切る際等に使っていたナイフを腰から抜き、青年は雨の降る方向へと投げた。
そして、弟子を背負ったまま街並みの路地裏を縫って、雨の降り注ぐ区画の軒下に出る。
その軒下から見える木にはもう葉も枝もなく。幹もドロドロ。其処に突き刺さったナイフも、柄はもう溶け始めていて、刃にも変な歪みが出来ている。
軒も、元は日差しを防ぐためにもっと広かったのだろうが、今では何のためにあったのか分からないようなものになっていて。
「どうすれば良いですか?」
「何が?」
「この雨の中で、人さがししたら溶けちゃうです」
その言葉に、師は一つ笑って。
「心配ないよニア。神聖魔法でも、あとは私のオーラでも。あるいは水に関連する精霊術法でも。
対応した魔法が使えれば、幾らでも対処できる。」
ふわり、と優しい羽毛が背中に背負われた勇者の柔らかな腹を撫でる。
前に一度見た群青色の片翼が、師の背には現れていて。
剣聖は剣を腰の鞘に納め、何かの印を胸元で描く。
それは、聖剣の柄頭に刻まれているのと同じ印で……何となく、フェロニアにも理解できた。
それが、群青の楽園と呼ばれた……聖剣の名にもなっている天使ティル・ナ・ノーグを現す印だと。
そして、
「乞い願わくは
災いの雨が人の安らぎを奪わぬ事を。祈り、捧げよう」
翼が不意に輝き、空に印が浮かび……
ぽたぽたと、溶けかけの街並みに水滴が落ち続ける。
雨は、止んでいた。
「す、すごいですよししょー!雨を止められるんですか!?」
「これが神聖魔法でのやり方。
……寧ろ、素質的には君の方が得意だと思うよ、ニア。
今はまだ自覚が薄くて上手く出来ないかもしれないけど。何時か、私より簡単に同じことが出来るようになるよ。
何たって君は、聖剣が選んだ群青の勇者なんだから」




