呼吸と修業
「それじゃあ、授業を始めようか」
翌朝。もぞもぞとちょっとだけ何かを気にしてテントから出てきた少女に、ファリスはそう語りかけた。
「……大丈夫、ニア?」
「ししょー、ニアあんまり替えの服ないです……」
しゅんとする少女に、そういえばと剣聖は己の失策を理解した。
剣聖ファリスも勇者ディランも、服にはそこまで頓着はない。流石に返り血まみれの服は捨てるし変えるが、多少は気にしていない。
だが、年頃の女の子は違う。しっかり洗ってローテーション出来るなら良いかもしれないが、同じ服を着続けるなんて嫌だろう。
「ごめん。そこまで考えてなかった。
街に行ったとき、買おうか」
「街に入ってだいじょぶです?」
「大丈夫。泊まりとか長くすると、彼等が来るかもしれないけど……彼等だって仕掛けてくるまでは周囲に溶け込まないといけないんだ。問題行動を起こせない以上、街に入った瞬間は直接的な襲撃をするくらいしか策がない筈だよ」
剣聖は弟子にそう笑いかけた
「それにね、ニア。
そもそもだけど、街で買い物すら出来ないようなら、私はもっと焦ってるよ」
一晩徹夜して、来たのは魔物一匹。やはり、街の外にはそこまで手が及ばず、街中も数時間ならばそう酷い目には逢わないのだろう。
逃亡生活……と呼ぶには、それなりに緩いがゆっくりは出来ない、そんな生活。
「あ、そです」
さすがししょー!と此方を見てくる弟子の頭に、ファリスは片耳に引っ掻けるように帽子を被せてやった。
「じゃあニア。私が一昨日、簡単な伸び代があるって言った言葉は覚えてるかな?」
こくこくとネズミの女の子はファリスの膝上で頷く。
「じゃあ、どういう点かは分かる?
これはちょっと難しい話だから、分からなくても仕方ないけど……ちょっと、考えてみて」
師に言われてネズミ勇者は考えを巡らせる。
が、集中なんて師の膝ではあまり出来なくて。
「分かんないです」
と、お手上げする。
それに苦笑して、剣聖の青年は弟子の為に横に布を敷いた。
「……こっちの方がいいですか?」
「膝の上の方が教えやすいといえば教えやすい事なんだけどね。近いと集中できなさそうだから」
「そです?」
「うん。そう。分かった?」
その言葉に、もう一度ちょっと眼を閉じて、ネズミ勇者はすぐに改善できる点を考えてみる。
ヒントは沢山。簡単に解決できる事で、歩きながらでも出来て、そして師匠の膝の上の方が教えやすいこと。
つまり、筋力だとかの能力面ではない。
「あ、神聖まほー!」
「違うよ、ニア?」
「ちがうですか?」
「いや、その方向性は考えてなかったね……間違ってはいない答えなんだけど。
実際、聖剣の加護の力を上手く扱えるようになれば、その分身体能力も上がって強くはなれるんだけど、誰でも出来る方法を教えてあげようと思ってたからね」
と、剣聖は頬を掻いた。
「それとも、もっと剣を使いこなしたい?
そっちの修行を早くって言うなら先に教えるけど」
「ししょーの考えをしんじるです」
そのネズミ勇者の答えに、勇者の師は良しと頷いた。
「答えはね、ニア。呼吸」
「こきゅう?」
「そう。呼吸
剣を振るには基礎体力はやっぱり必要なんだけど、それだけじゃない
もっと効率良く力を使う呼吸。燃費の良い息のしかたっていうのかな、そういうのがあるんだ」
「ニア、ふつうに息してますよ?」
「でも、すぐに息が上がる。それは、ちょっと息のしかたが悪いんだ。
深呼吸ばっかりしろって話じゃないけど、もっとしっかり空気中の霊気を吸うように」
と、剣聖はぽん、と己の弟子の頭に触れる。
「といっても、場所にはよるけどね。呼吸するだけで危険な場所とか、逆に意識して浅い呼吸が必要だったりするし」
「そうなんです?」
「例えばだけどダンジョンなんかは、しっかりとした呼吸をしない方が長く無事でいられたりする事が多いね」
そう解説したりしながら、師は弟子に自分なりの呼吸を教える。
「最初は意識して深呼吸する感じで」
「……はい!」
「……もう少し、吐く息は弱く。一気に吐くだけじゃなくて、リズムを刻む感じ……は、難しいか」
「や。やってみます……」
「もうちょっと、吸う息をお腹に貯めるように意識してみて。
ああ、実際はお腹に息がなんて事は無いんだけど、あくまでもそんなイメージ。吸ったものを全部すぐに吐くんじゃなく……」
「すーっ、はー、すーっ、はー」
「うん。結構上手いよ、ニア
そう、時折全部吐く事も意識してね」
「はいっ!」
そして、数時間後。出来ましたよししょー!とまだまだ拙いが、前より確実に進歩したファリスの何時もしている呼吸をしてみせ、キラッキラした眼で見上げてくる弟子に、ファリスはご褒美としてチーズをひとかけ渡した。
「ちーず!」
「うん。今日は良く頑張ったからね。
じゃあ、そのチーズを食べたら……今日も夕方まで歩こうか、ニア。
あ、私の言った呼吸は歩く最中にも意識しながらね。大丈夫、そのうち何にも考えなくても勝手に出来るようになるから」




