ネズミとチーズ
「おうさま、好い人でしたねししょー」
持たされた甘いお菓子を子ネズミのように頬張りながら、少女は言った。
「ニア、食べるときは食べることに集中しないと溢すよ」
そんな少女をファリスは窘めて、数日前に全速で駆け抜けた道を今度はゆっくりと歩く。
「ししょー、でも良いんですか?」
と、頬を膨らませていた砂糖菓子がなくなったところで、少女がそう問い掛ける。
「良いって何が?」
「ししょー、ニアたちっておわれてるんですよね?」
「うん。臭い奴等からね」
「なのに、ゆっくり歩いててもいいんですか?」
手を繋ぐ弟子のそんな当然の疑問に、ファリスはゆっくりと頷いた。
「ニア。外に出られるのはどんな人?」
「ぼーけんしゃさん?」
「そう。基本は冒険者か、冒険者付きの商人くらいかな。
そしてね、冒険者としての身分証ってものは結構審査ちゃんとしてるんだ。軽々しく取得出来ないし、軽々しく偽物も作れない」
「……あ」
ゆらゆらと揺れるネズミの尻尾を立てて、少女が頷く。
「あんまり、そのしゅーまつろん?の人が居ないです?」
「そう。居ないとは言いきれないけど、そこまで数は居ないよ。
そして、だからこそ、外は魔物が襲ってきて危険だけど、終末神論者はあまり外には出られない。街中よりよっぽど彼等と遭遇しにくいんだ」
「だから、あるくですか?」
こくり、と剣聖は頷いた。
「そう。予想とは違う形になっちゃったけど、ニアがやってみたいって言ってた夜営なんかをして、あんまり街や村には留まらない形で旅することになるね」
「やえい!」
キラキラとした眼がファリスを、その背に背負われた簡単なキャンプ道具を納めた小型バッグを見上げる。
そう。それが国王から渡されたもの。逃亡した体で持っていけと渡された魔法道具である。
何時でも簡易テントが張れる、勇者一行も使っていた100年近く死蔵されていた道具と、暫く分の食料。それらを渡され、ついでに事情を記した王女の手紙を持たされて、朝焼けの霧の中二人は王都を旅立ったのだ。
「こんなこといっちゃダメですけど、たのしみですねししょー」
「……うん。楽しむ気持ちがあってくれて嬉しいよ」
「そですか?」
「外での旅が辛いとか苦しいとか言われても、もう出ちゃったものは仕方ないからね。今更君を陛下達に匿って貰うって訳にもいかないからね。
どうせなら、楽しそうって思って貰ってた方が良いよ」
あ、そうだと師は弟子に期待を持たせる。
「チーズもあるよ。日持ちがする方だからあんまり早くに食べるのはいけないけど、ちょっと後で食べよっか」
「ちーず!」
その言葉だけで味を想像したのか、少女の耳と口が小さく動いた。
そして、夜の帳が降りた頃。
「今日は疲れた?」
使えないことはない精霊術法で軽く火を起こし、師はちーず!ちーず!と尻尾をご機嫌に揺らす弟子に炙ったチーズと付近で見つけた熱で毒処理が効く根菜を差し出しながら聞いた。
少女は答えない。遂に渡されたちょっととろけた大好物のたっぷり掛けられた根菜に小さく歯を立てて、その味を堪能する。
甘味の少ないそれに、塩気が強いチーズの味が絡まり、少女は夢中でちょっとずつかじり……
「あ、ごめんなさいししょー!」
食べきってから漸く、勇者は師の言葉に返答を返していなかったことに気がついた。
「……良いよ。好物はやっぱり美味しいうちに食べたいよね」
と、ファリスは自分の分も齧った面とそうでない方に割って、齧ってない方をじーっと手の中の根菜を見ている弟子に差し出した。
ぱっと明るくなるネズミ少女の顔。
「はいどうぞ。
……チーズ、好き?」
「おとーさんの次に好きです!」
嬉しそうに半分の根菜に小さな口で歯を立てて、少女はこくこくと何度も頷いた。
「……あ、違います」
「違うんだ」
「昔はそうでしたけど、今は……おとーさんとししょーのつぎに好きです」
「……あのリガルって幼馴染は?」
ちょっと可哀想になり、こんなに喜ぶならともう一個チーズを取り出しながらファリスは尋ねた。
「良く苛めてくるからやです」
「……うんまあ、そうだよね」
かなり一貫してそれでも好きなことは好きと返さないネズミ少女。
憐れな、とファリスは心の中で愛弟子の事を多分好きだったろう猫耳の少年に合掌した。
「……ニア、明日も歩けそう?」
「ちょっと疲れたです」
少女がチーズを食べて満足したろう所で、ハーブと干し肉と見つけてきた根菜のスープも出来上がり、洗う水も勿体無いから付近の木を削って皿にして差し出し、改めてファリスは問い掛けた。
「そっか。明日は半日お休みする?」
「……だいじょぶです?」
「……大丈夫。食料は持つよ。それに、歩きながらでも出来る修行はあるけど、ゆっくりしながらの方が最初は集中できるしね」
食事を終え、火を消す。
周囲の明かりはほぼ消え、落ち着いた草原に流れる小川の畔に、星明かりだけが照らす世界ができ上がる。
「……ししょー?」
寝ようとテントに入ったところで、多分服を脱いだのだろう。顔だけ扉がわりの布の隙間から出して、ネズミ勇者は外に居る師を見る。
「ししょーは入らないんですか?」
「……ニア。見張りはいないと死ぬよ。
魔物はのんびり皆で寝てても襲ってこない紳士的な化け物じゃないからね」
「ご、ごめんなさいです」
「大丈夫。私が見張ってるから、ニアは安心してお休み」




