牢獄のネズミ
「貴様等虐殺鬼ども!」
武器を取り上げられて牢獄の格子を隔てた通路にこれみよがしに立て掛けられて。
ファリスは愛弟子とひとつの牢獄に放り込まれる。仮にも女の子な勇者を入れるにしてはベッド一つついてない粗末な牢獄に。
「平気かい、ニア?」
長らく使われていなかったのだろう澱んだ空気を感じ、剣聖は弟子に問い掛ける。
少女は浅い呼吸をしながら、じっと立て掛けられた自身の聖剣を眺めていた。
「大罪を犯した貴様等は、王が直々に裁きを下さるそうだ。心しておけ!」
と、言うこと言って騎士達は引き上げていく。
後には、しっかりと錠前が用意された牢獄に入れられた剣聖師弟だけが残された。
「ししょー、これからニア、どうなるんですか?」
「ニア。脅されて……って逃げるなら今のうちだよ。
此処で私と一緒に来たら、逃亡生活を強いられることになる」
「とーぼーせーかつ?」
「そうだね。彼等は私達に大司教様を滅ぼされた恨みがある筈だし、お早い事にもう組織だって新たに勇者を狙ってる。
ニアがさっき見たように、色んな街に彼等の信者って潜んでるからね」
……此処は平和だと信じてたんだけどな、とファリスは遠くを見て。
いや、寧ろ平和だからか、と一人で納得する。
魔物の脅威が薄く、経済や流通が形として残るアルフェリカ王国。外からの流入へもそこまで排他的ではないこの国は、きっと心の奥底に世界を滅ぼす魔神復活の野望を秘めた教団員達も入り込んで生活しやすかったのだろう、と。
「……あの人、ニアがお水こぼしちゃったのを笑顔で拭いてくれたお姉さんでした」
「……そうだね。でも、終末論者でもあった。
ああいう風に、きっと色んな街に潜伏してるよ、彼等は。そして彼等は街にもう溶け込んでる。こいつら悪い奴だって主張しても、あんまり受け入れられはしないだろうね」
むずかしいですと、勇者は冷たい牢獄に座りたくなくて、疲れた足を格子に手をついて休めようとして、
「ししょー、おひざ、かりて良いですか?」
「近づいて怖くない?
怖くないなら、良いよ」
そこを気にせず正座した師の膝という椅子の上に、青年の腕の中にすっぽり収まるようにちょこんと乗る。
膝の上に座って、耳が漸く顎に届く高さ。その大きさが、自分を護ってくれる気がして。
少女は己の師に、もうついていくと決めた彼に、自身の体重を預ける。
「私と来るということは、そんな彼等と戦うってことだよ。
街に潜む彼等はきっと疑われないように品行方正だから、問題を起こされたら此方が疑われるよ。私についての悪い噂も沢山立てられてるだろうしね」
手が早い、と青年は困ったように笑う。
「それでも、君はそうしていて良い?」
「きかないでくださいよ、ししょー」
青年の胸に左耳をぴっとりと付けてその心の落ち着く穏やかな鼓動を聞きながら、小さな弟子は呟く。
「……そうだね。これからも宜しく、ニア」
その頭をゆっくりと撫でる手に、少女勇者は大きく丸い目を細めて、
「そういえば、なんでくすぶってたんですかししょー?」
なんて疑問を問い掛けた。
「ああ、私が生ゴミだった頃?」
「ししょーはゴミじゃないです」
「……あの頃はゴミだよ。
ニア、そもそも終末神論団っていうのが『勇者』と『魔王』の力を使って魔神を蘇らせようとしていたって私が言ったのは覚えてる?」
ネズミ少女は小さく頷く。
「それを先導していたのは、大司教エスカ
じゃあ、ね。その計画の指導者である大司教と、計画の要である魔王が居なくなったら、組織ってどうなるだろう?」
「計画が、必要なものがなくなってだめになっちゃったです?」
「そう。そして新しい計画を考えられそうなリーダーももう居ない。
……だから、私は彼等もあそこで諦めたと思ってたんだ。因縁は、私の復讐は……私の手の届かない場所で終わったんだって。
実際、1ヶ月呆けてても大司教の仇!と襲い掛かってくる相手とか居なかったしね」
「ふくしゅー?」
師の事を知りたくて、少女は上目使いで青年を見上げて聞く。
「うん。復讐
ニア。君は私の事は知ってるよね?
私がどうして剣聖になったのか、エルフの技を学ぼうとしたのか、話に出てこなかった?」
「えっと、両親さんを魔物にころされたって」
「正解だよ。じゃあ、何で二人が死んだのか知ってる?」
優しく青年は語る。
「魔物に殺されるなら、ぼーけんしゃさん?それとも、ニアの村みたいに、鐘の範囲に無理矢理?」
思い付くかぎりの事を上げてみるネズミの少女。
けれども、それは違うと自分でも分かっていて。
「……どっちでもないよ。私の両親はね、街の外壁の見回りの仕事をしていたんだ。
ある日、彼等は鐘の音が何時もの時間になっても聞こえないことに気が付いた」
「それ、危険です?」
「とっても危険だよ、ニア。村に鐘守って居たよね?楽園の鐘を毎日決まった時間に突く人。
そうやって鐘守が鐘を鳴らさないと、鐘の効力は弱くなってしまう。でもね、あの日……終末論者によって、私の故郷の鐘守は殺されていて、鐘は鳴らなかった。
鐘の効果範囲は外壁のすぐ外までから、外壁とそのすぐ内側の菜園の直前までに縮小してしまった。
両親はそのことに直ぐに気が付いて、見回りとしての役目だって外壁を一周して周囲の菜園に居る人々に警告していった。
……けれど、一人だけ黙々と作業を続ける人が居たんだ。耳が聞こえなくて、警告が分からなくてね。
そんな彼を直接説得しに行って逃げ遅れた両親は……鐘の力が弱まっている事に気が付いて現れた有翼虎に食い殺された。危ないから早く!って叫ぶ、私の前で」
「……ししょー」
何て言ったら良いか分からなくて。少女な弟子は、ただ己の師の腕のなかでじっとし続けた。
「他にも、勇者誕生を促すために故郷を滅ぼされたり、殿下との確執を狙って私の姿で殿下の婚約者を殺されたり、色々あったけど……
始まりはやっぱり、あれ」
「ししょー」
「まあ、それは良いさ、今はね。
そして私は、君と出会った。
もう全部終わったって脱け殻だった私に、最初の想いを……大事な事を思い出させてくれた君に。それが今の私」
そのネズミの耳を慈しむように撫で、師は話を終える。
「さて、他に聞きたいことは?
って言いたいけど、そろそろ終わりかな」
「おわりなんですか?」
聞きつつ、あっ……と勇者は思う。
「ししょー、ニアとならにげられますよ?
早くにげましょう」
取られていても、格子の先に置かれても。聖剣はずっと勇者のものだ。一声掛ければ、即座にその手に舞い戻る。
剣を手に、少女勇者はほら、と師を見上げて。
ぽふっと強く、その頭を撫でられる。
「今はいいですよししょー。まずにげて……」
「良く気付いたね、ニア。聖剣は何時でも君のもの。どんな状況でも、何処にあるように見えても、関係ない」
「ししょーは、きづいてたんですか?」
「ずっとニアは気が付くかな?って待ってたよ」
「なら……」
「でもねニア。そもそも逃げる必要は無いし、この牢獄は私達を閉じ込める気もないよ。
そんな気があったら、女の子の君と私を同じ場所に入れたりしてないし、鍵も掛かってる筈」
ぽん、と軽く青年は格子の扉部分を押す。
キィ……と。良く見るとぶら下がっているだけな錠前が外れ、扉が開いた。
「そもそもね、王直々に裁きを下すっていっても……王っていうのは、私に変装した排泄物共に婚約者を殺されたルネ殿下の父親……自慢の息子と結婚して義娘になる筈だった目をかけてた女の子を奪われた男の事だよ?
当然、彼等のやり口なんて分かってるし大嫌い。だから王族は私達を此処に閉じ込める気なんて無くて、絶対に奴等が来ないだろう此処に暫く居て貰ってるだけ。
……逃げなくても良いよ」
ふと、剣聖は顔を上げる。
「でしょう、陛下?」
その声に、牢獄前に姿を見せた垂れウサギ耳の国王は静かに手にした干し肉を掲げた。




