第八十四話 炸裂!疑心暗鬼の計の巻
「敵軍、見えましたぜ!」
西丘陸に布陣したイエヒサ隊、その物見が声を張り上げる。
目をすがめて北方を見遣ったイエヒサは押し寄せる黒い影…《皇帝の剣》の大軍勢を確認する。
南部諸国の将兵をも取り込んだその兵力は圧倒的だ。いくら地の利を得ていると言っても太刀打ちできる相手ではない。
(いや…おいの気が乗らんだけじゃな…)
自嘲するようにイエヒサは小さく笑う。
大友、龍造寺、そして豊臣…前世では遥かに戦力の上回る敵を撃破してきた。
何故そんなことができたのか…様々な要因はあるが一番は兄・義久のために九州統一の礎となる気概があったからだ。
それに比べて今は如何か、己を召喚したショカはくだらぬ身内争いで討たれ誰にも惜しまれることなく没した。
代わりに頭領となったボルチはミツヒデに頼り切り、そのミツヒデも神兵という鉄人形に全幅の信頼を置いている。
こうして最前線に配備された理由も推して知るべしだ。これでは戦う気が起きるはずがない。
「どうしやす?仕掛けますか?」
「否…ここはまだ待ちじゃ、敵が仕掛けてくるまで待っちょけ」
傍に控えた海賊兵の問いかけにもイエヒサは首を横に振った。
自分らの主のかつてない消極ぶりに部隊に動揺が走る。これまでの戦ならばいの一番に先駆けたというのに…
「し、しかし大船団長の方から攻撃命令も出ておりやすが…」
はん、イエヒサは鼻を鳴らしてどっかと地面に座り込んで頬杖を突く。
その態度を見、海賊兵たちは悟った。自分たちの主君はまるで戦う気がないということだ。
だとしたら従う方は決まっている。恩義も忠義も大船団長より目の前の少女の方が遥かに勝る。
「攻め時はおいの方で決む!城にすっこんでる大船団長に口出しさることじゃなか!」
「合点承知!」
イエヒサ隊、西丘陸に布陣するも完全停止…戦闘態勢には入っているがまるで動く気配を見せない。
…
「…イエヒサ殿はやっぱりそうしますか…まぁ、島津のやり方ならそうですよね…」
双璧を成す東丘陸に布陣したテルモト隊にまた待ちの姿勢に回っていた。
前進してくる敵軍は既に鉄砲の射程圏内…本陣からはひっきりなしに攻撃命令が下っている。
しかし元よりテルモトに動く気はなかった。カンベエが敵に回ったその時点からだ。
(カンベエ殿が最初から寝返りを考えていたかどうか…それはもうどうでもいい、今は…―――)
どのタイミングで“向こう側につくか”。
ここで勝ったとしても海賊連合の内情はどう見ても先がない、既に全権はミツヒデに握られつつある。
神兵が十全に配備されればすぐにでも自分たちはお役御免となるだろう。こうして最前線に送られたのがその証拠だ。
だがこうして要所を任されたのは幸運でもある…下手に城内に閉じ込められていればこうして寝返る機会もなかった筈。
(お祖父様や叔父上なら内側から乗っ取りをかけたのでしょうが…私にできるのは広家の真似くらいですね…)
そうこうしている間にも《皇帝の剣》の軍勢は目前まで迫ってくる。
次第に兵士たちにも焦りが見受けられ始めたが、テルモトは畳床机に座したまま静かにその方を見つめる。
敵が仕掛けてくるならば反撃せざるを得なくなるのだが…だがもし、もし自分の胸中を読んでくれているとしたら…
「テ、テルモト様…!大船団長からの攻撃命令は如何に…!」
「うーん…まだ待ちましょう、急いては事を仕損じると言いますからね」
「し、しかし…!」
テルモトは立ち上がり、動揺する自軍を見回した。
いつもの優柔不断とは違うその泰然とした佇まい…それを見た兵士たちは何かを察し、落ち着きを取り戻していく。
その様子を見たテルモトは穏やかに笑い、言葉を続けた。
「皆さん、お腹空いていませんか?」
「―――…は?」
唐突な問いに唖然となる兵たちに、テルモトはごそりと荷から弁当を下ろす。
「腹が減っては戦はできぬ…ここはお弁当でも食べておきましょう」
テルモト隊、東丘陸に布陣し弁当を食べ始める…本隊の攻撃命令は未だ受けつけず。
◇
前進、前進、前進。
高所からの攻撃に一切備えず《皇帝の剣》はセキテ城へと向けて突き進んでいく。
既に敵の攻撃射程圏内にあるというのにその無防備すぎる進軍に皆生きた心地のしない気分を味わっていた。
否、自分たちが戦死するだけならまだいい…もしこのままリーデ様が居る最後列まで敵射程圏内に捉えられたならば…
焦ったマゴイチが思わずユキムラちゃんに叫ぶ。
「おっ、おい真田ァ!一体どこまで進む気や!そろそろ仕掛けるか備えるかせえへんとシャレにならんでッ!」
「いいやまだじゃ!まだ我慢せい!まだまだ寄せていくぞ!」
正気か…
各将兵の顔色から血の気が引く。このまま突き進めば二丘陸の間に入り長蛇の陣となってしまう。
そうなってはもはや防備を固めたところでどうしようもない。各将討ち取り放題の鴨撃ち大会だ。
「リ、リーデ様ッ!これ以上は本当に危険です!停止しましょう!」
ラキ様も耐え切れずに叫ぶ。
もしこんなところでタイクーンであるリーデ=ヒム=ヨルトミアが討ち取られてしまえば何もかもが終わりだ。
ヨルトミアだけの問題ではない。治まりかけてきた天下も再び混迷の戦乱に陥るだろう。
こんな無謀な策…もとい無策で大人物を失う訳にはいかない。
だがリーデ様は狂気的とも取れる不敵な笑みでぱしりと進軍続行を命じた。
「ユキムラはまだ進めと言っているわ、進みなさい皆」
「そ…そんな…!」
「これで死んだらそこまでよ、今までこんな危険はいくらでもあったもの…今更怖じることはないわ」
静かに、しかし確固たる意志が込められたその言葉は将兵の恐怖と混乱をカリスマで覆い隠す。
決死の覚悟で《皇帝の剣》はさらにセキテ城に接近、だが何故か高所に布陣した敵軍もまた一切仕掛けてくる気配がない。
両軍顔を見合わせる間近にいながらも、誰も戦闘を開始しない奇妙な緊迫が周辺を支配しているのだ。
ユキムラちゃんはその光景に不敵に笑いながらも、俺はその額を一筋の冷や汗が滴り落ちるのを見た。
そしてまるで祈るように小さく呟いている。
「ここまでは読み通り…そろそろじゃ…そろそろ辛抱ならんじゃろう…動け…!」
ユキムラちゃんは一体何を待っているのだろうか…俺には皆目見当もつかなかった。
◇
「何故だ!何故敵が目前に居るのにイエヒサもテルモトも動かねえ!」
本陣のボルチが苛立ちながら椅子の肘掛けを殴りつける。
もはや《皇帝の剣》とイエヒサ隊・テルモト隊は白兵戦に持ち込める距離にすら接近している。
だというのに一切戦闘が起こる気配がない…幾度となく攻撃命令を下しているのにも関わらずだ。
まさかこの土壇場で寝返ったのか…?最悪の予想にボルチが焦りを覚える中、ミツヒデは思わず爪を噛む。
(ああ…嫌なことを思い出してしまうな…確かあの時もこうだった…)
思い出されるはあの本能寺の変の直後…
信長を討ち、我こそが次なる天下人と名乗りを上げたにも拘わらず自分の下へは誰も従って来なかった。
織田家臣団は元より懇意にしていた細川や筒井ですら自分を見捨て天下の情勢を静観する結論を出した。
あの時ほど己の人望のなさを痛感したことはない、今回はまた同じ轍を踏んでしまったのだろうか…
『人ってのはいくら利があろうともただそれだけでは動かんぜ、お前さんは賢すぎるから分からんのだろうな』
脳裏を過るいつかの勝ち誇ったサル顔…其れを頭を振って追い出しながらミツヒデは打開策を考える。
どうにかして二部隊を動かす方法がある筈だ。どうにかして…
「そうか…あのクソガキども、この俺をナメてやがるな…」
「―――…は?」
突然呟いたボルチに、ミツヒデは思わず唖然と問い返す。
ボルチは怒りに髪を逆立たせながら椅子から立ち上がり、伝令へと怒号を飛ばした。
「後方部隊!イエヒサ隊・テルモト隊に向けて鉄砲を撃ちかけろ!ケツに火つけてでも動かしてやれ!」
海賊兵たちは動揺する。味方を背後から撃てという命令が下ったのだ。
ミツヒデは思わず普段の冷静さをかなぐり捨ててボルチの巨体に詰め寄った。
「ま、待つんだ!敵より先に此方が撃てば彼女らに敵対の意思有りと取られてしまうぞ!」
「逆らってるのは奴らだろうが!どうせ俺が大兄貴や姉貴以下の器だと見下してるんだろう!」
「どうか冷静になってくれ!まだ焦るような時間では…―――」
ミツヒデの小柄な身体が突き飛ばされる。
見上げるボルチの顔面は焦燥と恐怖、怒りと劣等感をないまぜにした複雑怪奇な表情だった。
「か、海賊ってのはナメられたら終わりなんだ!ここで勝手を許しちゃ示しがつかねえんだよ!」
再度の射撃命令が下され、鉄砲隊が動き始める。
いけない、これでは最悪の展開にもつれ込んでしまう…!ミツヒデは慌てて制止をかけるべく走る。
しかし…
「待っ…―――」
「撃てえっ!!」
無情にも、戦況を突き動かす轟音が響き渡った。
◇
轟音…少し遅れて風切り音。
イエヒサ隊の兵士からどよめきが上がる…屈強な猛者たちが射撃一つでどよめくのは珍しいことだ。
地面に胡坐をかいて目を瞑っていたイエヒサは片目を開き、傍の兵士の一人に訊ねる。
「…どっからん攻撃じゃ?」
「その…ほ、本陣から…大船団長の部隊からの射撃、です…」
「そうか…」
イエヒサは深く息を吸い、深く息を吐く。
今まで我慢してきたが奴は越えてはならない一線を越えてしまった。
「総大将が敵より先に味方を撃つとな…こん軍はもう終わりじゃ…」
ぞくり…
静かな一言に兵士たちの背筋に悪寒が走る。主君が…イエヒサ様がキレてしまわれた…
すっくと立ちあがった彼女は大刀を手に取り抜刀、無造作に振り下ろして傍の岩を叩き割る。
続けて大地を揺るがすかの如き怒号を上げた。
「イエヒサ隊、反転じゃあ!今より敵は《皇帝の剣》でなく大船団長ボルチ=ソーンクレイル!」
激しい怒気が伝播する。
海賊兵たちはその炎に中てられ覚悟が決まった。この御方の敵は己の敵、それが古巣であろうと変わりなし。
「あん畜生ば討ち取る!おいに続けぇッ!!」
応!!
イエヒサ隊、反転し海賊連合に対し攻撃開始…怒れる隼人たちが猿叫を上げながら坂落としを仕掛けていく。
…
動き始めたイエヒサ隊を見、テルモトもまた決心する。
背後から撃ちかけられた時は思わず前方に押し出されかけたが踏み止まり、戦況が動いたことを確認。
寝返るならこのタイミングしかない。何せ味方に撃たれたのだ…大義名分は十分にある。
「テルモト隊も反転…これより我々は《皇帝の剣》につきます」
「ね、寝返ると言うのですかッ!?しかしそれは…―――」
スッとテルモトの目が据わる。
反論しかけた将の一人はその冷酷な空気の前に思わず口を噤んだ。いつもの穏やかな主君ではない。
「いいですか、先に攻撃を受けたのは海賊連合の方からです…つまり先に裏切ったのは向こうです」
「それは確かにそうですが…」
「では何を気に病む必要がありましょうか、戦の最中に味方を後ろから撃つなど言語道断」
静かな語り口は兵士たちの決心を固めていく。
望んでいた流れは最初からこれだったのだ。空弁当を使ってまで攻撃命令を無視し続けたのはこのためだ。
だとしたら迷う余地はない。この御方は決して勇ある将ではないものの負ける戦は決してしない。
テルモトは少し気弱そうな空気を残しつつも微笑んだ。
「というわけで…イエヒサ隊に続きましょう、坂落としです」
「委細承知!」
テルモト隊、同じく反転し海賊連合へと攻撃開始…坂落としの勢いのままイエヒサ隊と挟み込むようにして強襲する。
◇
「ふぃー…なんとか思った通りに動いてくれたわい、さすがにこれ以上の接近は危うかったのう」
突如として同士討ちを始めた海賊連合…
ただ前進していただけの《皇帝の剣》の将兵が呆気に取られる中、ユキムラちゃんが冷や汗を拭う。
まるで混乱魔術でも発動させたかのような有様…リーデ様が驚きながらも問いかける。
「驚いたわね…いつの間にか“転生者”の二部隊を調略していたの?」
「いや、拙者は何もしてござらん…が、あの方々の性格を考えればこうなると思いましてな…」
ユキムラちゃんはにやりと笑うと解説を始める。
ミツヒデは御し難い“転生者”二名を疎んでほぼ確実に最前線に送る、戦力を消耗させ今後の反骨心を削ぐためだ。
イエヒサはそれに対し頑として島津の戦を貫こうとする。其れに則るならば、ヘソを曲げれば例え最前線でも彼女らは一切動かない。
二者に対しテルモトは間違いなく日和見する。形勢の分からない戦の中、計算高い毛利は動きを見て勝てる方につこうとする筈。
「そしてボルチ=ソーンクレイル…あの狭量の男ほど思考が読みやすい者はない」
総大将となって間もない者が最も恐れるのは統率の崩壊…特に偉大な兄を持つあの男にかかる重圧は相当なものだ。
海賊である彼は、もし配下が思い通りに動かないということになれば安易に恐怖で追い立てようとするだろう。
だがそれは大きな失策だ。従来の海賊には良かったかも知れない、しかし島津を相手に行った日には…―――
「その結果がこれというわけね…」
「ミツヒデがボルチを完全に御していれば分かりませんでしたがのう!くくくっ、賭けはわしの勝ちじゃ!」
はぁ…其れを聞いた皆は思わず感嘆の溜息を吐く。
俺たちは本当に“何もしていない”。ただ単に交戦距離ギリギリまで前進しただけだ。
だがそれが却って敵の疑心暗鬼を生み、こうして丘陸地帯を制したどころか“転生者”二部隊すら寝返らせるに至った。
人心を理解したうえで最低限の手間で悪用するまさしく悪魔の如き策略である。リーデ様は呆れたように呟く。
「まったく…貴方ってば本当に表裏比興の者ね」
「お褒めに預かり光栄の極み…さて、好機でござる!一気に攻め落としてしまいましょうぞ!」
応!!
イエヒサ隊、テルモト隊に続いて《皇帝の剣》もセキテ城へと向けて一直線に突撃開始。城外での形勢は既に決まりつつあった。
しかし…開かれた城門、その奥から重厚な足音を響かせて出撃してきた次なる試練が俺たちを待ち受けているのである。
【続く】




