第七十七話 激動の海賊連合軍の巻
「ぬぉおのれぇぇぇい…!ワ、ワシらの家をよくも…!」
レクリフ城に突き刺さった鉄甲船を見、ブンダは激しい怒りに肩をわなわなと震わせる。
南海の小さな岩島上に建てられたその城はその区画の多くが木造だ。あんな巨大質量が突っ込めばひとたまりもない。
かろうじて倒壊はせずに留まっているものの、それもいつ起こるか分からない。極めて危ういバランスだ。
(ふむ…砲撃されたならまだしも厄介な手を取られてしまったな…)
ブンダの隣、ミツヒデは沈黙思考する。
いっそ砲撃で城を破壊してくれれば海賊たちも踏ん切りがつき、敵船団を躊躇なく追撃できただろう。
しかし今はギリギリ本拠点が形を保ちつつ敵の手に落ちている。即ち敵船団を攻撃するということは自城に攻撃するということだ。
あそこにはまだ貯め込んできたお宝や捕らえてきた女たちがいる…それごと攻撃する判断は海賊たちには難しいだろう。
それらを一切捨てるようブンダが非情な号令を下せれば話は別なのだが…―――
「ブンダ様、あのように敵船に突っ込まれたらレクリフ城の奪還は不可能だ、いっそ破壊してしまっては如何か?」
「ぬぅ…!し、しかしだな…あの城はワシら海賊の帰る唯一の家…それを破壊しろというのは…」
やはり駄目か…
戸惑いに砲撃の手が止まる海賊船団の中、ミツヒデは目をすがめて北方を見遣る。
複数の船影…まだ遠いが戦闘に気付いた南部連合海軍が援軍として迫りつつある。早急に何かしら手を打たねばなるまい。
考えを巡らせる中、不意に視界の一部がぼやけ…まるで陽炎が形取るかのようにフードを目深に被った人影の姿を作った。
あまりにも奇妙な光景に皆が声を失い、甲板上の時が止まる。一人だけ溜息を吐くミツヒデはその姿に覚えがあった。
「カシン…相変わらず突然だな、君は」
「申し訳ありませんミツヒデ様…しかし急ぎお伝えしたいことがありまして…」
呪術教団司教・カシンはミツヒデの前に膝をつく。
そして感極まり震えるような声でこう告げた。
「“あの御方”がついに東部、ジークホーン公国にて顕現されてございます…!」
電撃が奔る。
ミツヒデはカッと目を見開き、カシンに縋り付くように詰め寄って問い返した。
「まことかッ!?まことに顕現なされたというのか!?」
「ええ、ええ、やはり研究通り…!“楔”の存在あらば召喚対象の特定は成るのでしょう…!素晴らしい…!」
我が悲願叶ったり…
ミツヒデは目を伏せこれまでの道程に万感の思いを馳せる。
ここまで来るのにどれだけ遠回りし、どれほどの失敗を重ねたことか…一度は挫折し諦めかけたこともある。
だがようやく“再会”が叶ったのだ…これで変えられる。あの男によって乱された世の何もかもを…―――
「嗚呼…ようやくこの果てなき旅路に終着点が見えた…ようやくだ…」
「おめでとうございます…私も感無量でございます…」
そして二人は沈黙し、しばらく感慨に浸っていた…
突如として現れたローブ姿、そしてその者と訳の分からない会話をするミツヒデにブンダは困惑する。
「お、おいミツヒデ…そいつは一体何者だ?それに“あの御方”ってのは一体…」
我に返ったミツヒデはその問いかけに薄目を開ける。
感慨に浸る前に…まだ、することがある。
「そうだったな…先に成すべきことを成さねば…」
その次の瞬間、ブンダはごぽりと口から血の塊を吐く。
目を見開き恐る恐る見下ろせば胸元に白刃…いつの間にか抜き放たれた名刀、備前近景が突き刺さっていた。
「な、あ…!?」
「申し訳ないブンダ様、君には恨みも何もないのだが…私には譲れない使命があるんだ」
ブンダはぐらりとよろめいて膝をつき、呆気に取られた表情を憤怒の其れへと変えてミツヒデを睨み上げる。
左胸を貫いた致命傷の筈…予想以上のタフネスぶりにミツヒデは軽く眉を上げる。
「てッ、てめぇぇぇッ…!これは一体どういうつもりだ…!」
「どういうつもりも何も…私は元々海賊連合に属したつもりも貴方に忠誠を誓ったつもりもないよ、ブンダ様」
「な、何だと…!?クソ野郎が…拾ってやった恩も忘れやがって…!!」
「人聞きの悪い…私の教えた“転生者召喚の法”で君たちはただの一海賊から南部地方に覇を唱えるまでになった…もう十分だろう」
走馬灯めいてブンダの脳内に初めてミツヒデと出会った日の記憶が去来する。
ケチな海賊であった自分の前に現れた得体の知れない少女…亡びた国の“転生者”を名乗り庇護を求めてきた。
だがよくよく考えてみればその亡びた国というのは何処だ。南部地方は“転生茶聖”によって闘争無くして統一された筈。
そして魔術である“転生者召喚の法”…それを何故こいつが知っていたのだ。思い返せばおかしなことだらけだ。
当時はそれに疑問を覚えることなく与えられた力に万能感を覚え南部の統一業へ乗り出してきた…否、そう“仕向けられていた”。
「て、てめえ…一体何者だ…!?何が目的でこんなことを…」
「目的か…君に理解できる程度の話をするならば、海賊連合全軍の指揮権を譲っていただきたい」
「し、指揮権だと…?お、俺の首を土産に…《皇帝の剣》に下るつもりか…!」
「いいや、《皇帝の剣》は倒す…そこは安心してくれていい」
そこでミツヒデはにこりと笑いかける。その涼やかな笑みに死の間際にあるブンダは恐怖を覚えた。
「だが、私の傀儡にするのに君では少し“知恵が働きすぎる”…本当に申し訳ないが、退場してもらうよ」
ブンダの胸に刺さったままの白刃が引き抜かれた。噴き出した血の雨が甲板を濡らす。
しかしブンダは血の塊を再び吐きながらも遠のく意識に気合を入れ、歯を食いしばって立ち上がる。
大海賊ブンダ=ソーンクレイルがナメられたまま終わってたまるか!腰のカットラスを渾身の力で振り上げ、ミツヒデに襲い掛かった。
「ミツヒデぇぇぇぇッ!!」
「―――ああ…そうそう、冥途の土産に教えておくと…そのミツヒデというのは昔の名前なんだ」
閃。
「呪術教団“テンカイ”…それが私の本当の名前さ」
備前近景が鞘に納められると軽い金属音が響き、ごとりと音を立ててブンダの頭が甲板に落ちた。
少し遅れて其の巨体が甲板に崩れ落ち、凄惨な血の海が甲板上に拡がる。
一瞬の出来事に静寂が辺りを支配する。一体何が起きたというのか理解できない…海賊たちは皆ぽかんと呆けている。
「カシン、頼む」
そう言ってミツヒデ…もといテンカイはカシンに目配せする。カシンはフードを軽く振るわせて頷き、パンと高く柏手を響かせた。
その瞬間、静寂に支配されていた甲板上に音が…混乱と動揺が戻ってくる。騒乱が巻き起こった。
「お、大親父ぃぃぃっ!!」
「畜生ッ!!大船団長が死んじまったッ!!どうなってやがるッ!!」
認識操作…
カシンの妖術はここ数分間の記憶を海賊たちの頭から消し飛ばした。海賊たちはあまりの出来事で記憶が飛んだと錯覚するだろう。
それを確認したテンカイは小さく咳払いし声高く叫ぶ。ブンダがいなくなった以上、船団の指揮権は副官である自分にある。
「…落ち着いてくれ皆!ブンダ様は先ほど敵船団とすれ違った際に討たれてしまった!―――守り切れず…すまない!」
テンカイは海賊たちに頭を下げ、ちらりと北方に目を向ける。
今の一連の騒動で南部連合の援軍とかなり距離を縮めてしまった…このまま継戦するのは分が悪い。
「ブンダ様の仇を討ちたいところだが…悔しいがここは退き、ショカ様たちと合流しよう!今の我々では戦力不足だ!」
総大将を失い、その代わりに冷静な判断が下せる副官がいれば海賊たちは驚くほど素直に従った。
海賊連合船団はレクリフ城を放棄…迂回して北上しながら南部連合海軍との交戦を回避し、領土であるセキテ港へと向かう。
潮風に黒髪をなびかせながらテンカイは運ばれていくブンダの遺体に軽く手を合わせて冥福を祈る。
そして…狂おしい熱を宿した目で陸地…そのさらに先、《皇帝の剣》がいるであろう方角に目を向けた。
(終わりだ、あの男の末裔たちよ…この莫迦げた乱世も、君たちの稚気じみた野望も…)
すべては“あの御方”の下に変革する…
涼やかなる彼女の仮面の下、隠された狂気めいた信仰心を察せられる者はその場にはいなかった。
◇
一方、カオーフ平原の戦況は目まぐるしく変わりつつも互いに決め手を欠いたまま膠着状態に陥りつつあった。
前方の敵と後方の敵、どちらもなかなか撃退できない状況にショカは苛立ち爪を噛む。
「何やってんだい、イエヒサもカンベエも!随分長い間足止めされたままじゃないか!」
「ま、まぁまぁ姉貴…こうやって戦ってたらそのうち後詰めが来て後ろの敵は挟み撃ちにできるからさ…」
ボルチは苛立つ姉を抑えながら冷静に戦況を見る。
下山し火牛の計を仕掛けてきた奇襲部隊はカンベエが直接抑えに回ったことで手詰まりの感がある。
カンベエの隊は彼女自らが育て上げた猛者揃い…如何に《皇帝の剣》が屈強でも寡兵であれを抜くのは難しいだろう。
そうこうしているうちに南方の各砦から後詰めの軍が来る予定だ。そうすると今度は逆に自分たちが後方の軍を挟み撃ちに出来る。
姉は苛立っているがこの戦、待てば待つほど有利になる…そう焦る必要はない…そう思っていた。
本陣に留まったテルモトが顔面蒼白で駆け込んでくるまでは…―――
「ショカ様、ボルチ様、緊急事態です…セキテ城まで軍をお退きください」
姉弟は思わず顔を見合わせ、少し遅れてリアクションする。
「…アンタいきなり何言ってんだい?」
「な、なにかあったのか…テルモト…?」
問い返されたテルモトは周囲をきょろきょろと見回し、首を横に振った。
伝令兵からなんらかの報告があった…あったのだが今ここでは言えない、そういうジェスチャーだ。
ショカは直情型の将ではあるが決して鈍くはない。テルモトの反応を見て察する。
おそらくレクリフ城方面の戦況…長兄、ブンダ=ソーンクレイルの身に何かがあったのだ。
「―――…撤退だよ、ボルチ」
「で、でも姉貴…もう少し粘れば…」
「二度も言わすんじゃない!撤退だよ!」
もし自分たちの大船団長に何かあったのなら、それが部下たちに伝わればおそらく未曽有の大混乱が起きる。
挟撃に合っているこの状況でそんなことになれば間違いなく敵はその隙を突いて一気に切り崩してくるはずだ。
テルモトはおそらくそれを悟り報告を機密化した…しかし人の口の戸は立てられない。その機密は長く持たないだろう。
そうなる前に軍を退かなくては自分たちは間違いなく全滅する…!
…
「ああ!?撤退!?一体どげんしたと!?」
最前線でロミリアと斬り合っていたイエヒサはその伝令を聞き、乱暴に問い返す。
せっかく面白くなってきたところだというのに…しかし撤退理由が伏せられていると知ると大方その理由を悟った。
名残惜しいが軍自体が壊乱しては元も子もない。イエヒサは即座に部隊へと撤退の指示を出す。
「なんだ、退くのかイエヒサ殿?」
「すまんねぇ、おいももう少し長う戦うちょったかったとじゃが」
ギャリィッ…!
打ちかかってきたロミリアの剣を火花散らし受け流しながら軽い調子で二人は会話する。
「残念だ…貴公とはここで決着をつけたかったのだが…!」
「同感じゃ!じゃっどん、おいの部隊は殿!時間はもう少しだけあっと!」
「ほう、ではそれまでの間にケリをつけるとしようか!」
「はっは!来え!」
イエヒサ隊が敵の追撃を押し留める中、波が引くように海賊連合軍が撤退していく。
本隊…ハンベエは突然の戦況変化の理由を見極めるべくその透き通るような双眸で戦場を見渡す。
…
「…撤退だと…?一体何があった…?」
一方、最後方で第三軍を押し留めていたカンベエもまた不可解な撤退命令に問い返す。
だが理由が伏せられたままテルモトによって献策されたと知ると、イエヒサ同様に大方の状況を察知した。
一代で海賊の身から南部地方制覇にまで手をかけた大船団長のカリスマは海賊たちにとって精神的主柱。
それに支障をきたしたとなれば軍が倒壊するのは時間の問題だ…ならば少しでも良い状況で倒れさせねばなるまい。
「…だが、その前に奴だけは倒さねば…ヴォーリ、いつまで遊んでいる…」
「はっ!―――…どけ、乱波!」
なんとか猛攻を凌いでいたサスケに対し、ヴォーリは強引に踏み込んで蹴り飛ばした。カウンターで左肩を斬られたが軽傷だ。
そしてその後方に控えていたユキムラへと突き進んで襲い掛かる。地面に転がったサスケから悲鳴じみた声が上がった。
「ユ、ユキムラちゃんッ!!」
「くっ…!」
「無駄だ!ヨルトミアの“転生者”、その首貰い受ける!」
ガキィッ…!
しかし上がったのは金属音…ヴォーリは首を落とす直前で間に割って入った人影に思わず舌打ちする。
「ふぅっ…危ない危ない…」
「ト、トウカ殿!」
片鎌槍でヴォーリの剛剣を弾き返したトウカは軽く息を吐き、くるりと槍の柄を回す。
間一髪のタイミングにサスケとユキムラは安堵し、思わず脱力した。
「本隊からこっちに回ってきておったのか…助かった、礼を言う!」
「ええ、ハンベエ殿に増援に回るよう指示を受けました…間に合って本当に良かったです」
そう言ってトウカは眼前の達人剣士と視線を交わす。
実力の程は同程度…屈強な体躯を持つヴォーリがやや優勢か、しかしサスケも健在…そう一対一にはさせてくれまい。
ユキムラを討ち取るのが困難と見たヴォーリは数歩下がり、カンベエへと静かに告げる。
「申し訳ありませんカンベエ様、この状況で敵の“転生者”を討ち取るのは難しいかと…」
「―――…そうか…では我らも撤退を開始する…、…皆を取りまとめよ…」
「はっ!」
無理強いはしない。ここでヴォーリを失うのは多大なる損失だ。
副隊長ヴォーリの指揮と共に、第三軍と戦っていたカンベエ隊は挟撃から脱出するように東へと進路を転換した。
当然、第三軍はそれを逃すまいと追撃しようとするがユキムラは深追いを禁止する。
倒しきれないのに下手に追えば南方からの敵後詰め軍に後ろを突かれる。悔しいがここは痛み分けとし、本隊と合流すべし。
(…命拾いしたな、ユキムラ殿…次こそは必ず貴殿を討つ…)
(それは此方の台詞よ…首を洗って待っておられよ、カンベエ殿!)
互いの将兵が撤退に動く中、ユキムラとカンベエは僅かに視線を交わし…互いに背を向ける。
次こそは必ず勝つ…!両者その決意を胸に秘め、瞳をリベンジの炎に燃やしていた。
そんな中…
「…テルモト様…」
「カ、カンベエ殿…大変なことが起こってしまいました…」
撤退するカンベエ隊に合流したテルモトが気色を失った顔でカンベエへと駆け寄る。
大方予想はついている…その先を言い淀むテルモトに対し、カンベエは先んじて問いかけた。
「…大船団長の身に何かあったのですな…?」
テルモトは言葉なく頷く。
ブンダ=ソーンクレイルの討死、そして本拠レクリフ城の落城…
考え得る限り最悪の状況が海賊連合の各将に伝えられたのはそれから間もなくしてのことだった。
【続く】




