第七十話 《皇帝の剣》、反撃開始!の巻
「―――…結局、落城は誤報だったというわけね…」
北部地方から取って返し、皇帝陛下への報告も後回しにヨルトミアに全速力で戻ってきたリーデ様はがっくりと脱力する。
そしてそれは俺たちも同じだ。七日七晩ほとんど休まずに行軍を続け考え得る限りの最高速度だっただろう。
だが帰ってきてみれば海賊連合は既に撃退した後…若干荒れてはいるものの西部地方は平穏を取り戻していた。
気が気でない七夜を過ごした挙句その長閑な光景を見せられればさすがのリーデ様もぼやかざるを得ない。
「まったく…この七日間の心労を返してほしいものだわ」
「まぁまぁ、ヨルトミア城がこうも様変わりしては勘違いされるのも仕方のないことでしょう」
ユキムラちゃんは苦笑しながら随分と様変わりしたヨルトミア城を見る。
小高い丘の上に立っていた我らがヨルトミア城はいつの間にか湖上に立つ浮き城と化していた。
それは一枚の絵画のような幻想的な美しさであったが元々悪い利便性はさらに悪化した。何せ出入りに舟で移動しなくてはならないのだ。
王都の兵士はこの様子を見てきっと水攻めを受けて落城したものと勘違いしたのだろう…まったく人騒がせな話だ。
それもこれも全ては…―――
「おかえりなさい、予想していたよりも随分早いお帰りでしたね」
ハンベエの仕業だ。
悠然と声をかけてきた彼女は汗まみれ泥まみれになって帰還した俺たちを見て可笑しそうにくすりと笑う。
ヨルトミア防衛戦のあらましは既に聞いている。ナルファス様とハンベエによって僅かな手勢で南部連合の襲撃を凌ぎ切ったらしい。
脱力していたリーデ様も其方に向き直り、いつもの悠然とした笑みを浮かべた。
「貴女がハンベエね、ヨルトミア城を守ってくれたこと…心から感謝します」
「いえいえ…ボクは知恵をお貸ししただけ、労うならナルファス殿にどうぞ」
「当然よ、今回のナルファスの働きは万夫不当のもの…労っても労いきれないわ」
そう言うリーデ様の表情はどこか誇らしげでもあり、慈しむようでもある。
かつては幼い姫様を人形として扱っていた者の一人だったが今ではもうヨルトミアを全面的に任せられる忠臣中の忠臣。
そのナルファス様は休むことなく今も被害を受けた地を復旧すべく西部各地を忙しなく走り回っている。
少しくらい勝利を誇ってもいいと思うのだが、それをしないところが実に彼らしいところだ。
そしてハンベエは俺たちの顔を見回し、小さく頷いて切り出す。
「さて…せっかくお揃いですから少し休んで明日にでも、これからのことについてお話ししましょうか」
「おお…」
その言葉に思わずユキムラちゃんが声を漏らす。
前回はにべもなく勧誘を断られたが、ついに俺たちに協力してくれる気になったようだ。
「ハンベエ殿、ではヨルトミアに…―――」
「ああ、いえ、勘違いなさらないでください」
ハンベエはにこりと笑って続ける。
「今回は個人的に戦いたい相手がいるだけなので…“すぽっと参戦”ということでお願いします」
本当に強情なヤツだ…
◇
翌日、中央都市ケウト…その大会議場に西部五つ国の首脳陣と各将は揃った。
こうして揃うと全員久しく見る顔ぶれだ。王都への出立、そして北部平定まで結構な時間が経った。
そんな懐かしさに浸る間もなく早々にリーデ様が話を切り出す。
「まずは海賊連合の撃退ご苦労様でした…皆にこの地方の留守を任せて正解だったと心から思うわ」
その言葉に諸侯は静かに頭を下げる。皆疲労の色が濃いがどこか達成感に包まれているようだった。
だがこれで終わりではない…西部と南部の対立の火蓋は既に切って落とされているのだ。
皇帝陛下に恭順するヨルトミアにとってその行為は天に弓引くも同じこと…大義名分は十分すぎるほど揃っている。
「次はこちらの番ね…当初の予定通り《皇帝の剣》は再び王都へ上り、南部諸国と同盟を組んで海賊連合を叩くわ」
「それに関してひとつ、提案があります」
そこで一歩前に出たのはハンベエだ。彼女は会議場の壁にかけられた大陸図を指し示す。
そして筆で西部から王都、王都から南部へつながる矢印を描いた。くの字に曲がった凄く長い矢印だ。
「王都経由の陸路で北から攻めるは結構…しかし海賊である敵の本拠は南海の海上要塞、陸路からはあまりに遠い」
「遠いとはいえ仕方ないだろう、地道に進軍していくしかあるまい」
「いいえ、遠いということは即ち補給線が長く伸びるということ…これは遠征において最も懸念すべき事項です」
ロミリア様の返答に淀みなくハンベエは答える。
補給線が長く伸びると何が起こるか…敵のゲリラ戦術に兵站を狙われる危険性が増すということである。
特に海賊どもはそういう戦い方に慣れているだろう。お誂え向きに裏を突きやすい高速艇まで所持しているとの情報だ。
いかなる精強な軍といえども補給なしで戦い続けることはできない…人である以上絶対避けられない弱点だ。
「ではどうすれば…」
「そこで意趣返しです…第二軍が海路を使い《皇帝の剣》が陸路で戦ってる隙に敵本拠を突きます」
「な…!」
沿岸に沿って西部から南部に繋がる矢印が描かれ、どよめきが起こる。
海上は言わば敵のホームグラウンド、それを攻めるとなると敵以上の海戦力を求められることになる。
下手な軍を出したところで返り討ちに合うのは必定…ハンベエもそれは分かり切っている筈だ。
「海上要塞さえ抑えれば敵は北上し陸で戦わざるを得なくなる…此方の得意戦場に持ち込めるという訳ですね」
「ちょい待ち、ちょい待ち!理屈はわかった!理屈はわかったが敵の拠点を突くのは誰がやるんや!」
話を続けようとするハンベエにさすがにマゴイチからツッコミが入る。
その問いに彼女はきょとんと小首を傾げて返した。
「…マゴイチ殿ですが?」
「ウチかい!!」
ずっこける。マゴイチも大概に苦労人気質のようだ…
「まぁ、ご心配なく…敵軍に匹敵する海上戦力を調達するアテはあります、そこは後程お話ししましょう」
「ホンマやろな…いい加減言うたら承知せんで…」
ぶつくさ言いながらマゴイチは席に戻る。
仕切り直すようにコホンと咳払いしたハンベエは続ける。
「この陸路と海路からの挟撃によって海賊連合を仕留めます、二つ頭の攻め…これを“おるとろす”の計と名付け―――」
「否…しばし待って頂きたい!」
再び制止が入った。ハンベエは軽く眉を上げて其方を見遣る。
発言の主は今まで静かに作戦を聞いていたユキムラちゃんだ。全員の視線が集中する。
「…ハンベエ殿…敵軍に黒田官兵衛殿が居られたというのは真でござるか?」
「…ええ、実際に会って確かめました、彼女は間違いなく官兵衛殿です」
「では、僭越ながら申し上げるとおそらくその策は読まれておるでしょう…あの方はそう容易く出し抜けませぬ」
その言葉にハンベエは少しムッとした表情を浮かべる。
推察するに彼女はそのカンベエ何某とやらに特別な意識…有体に言えばライバル心を抱いているようだった。
「ボクの策がカンベエ殿に読まれていると、何故断言できるのです?」
「ハンベエ殿…貴殿は死後、太閤殿下を天下へと導いたあの方を知らぬ…知っているのは播磨の小寺官兵衛まで」
「むむ…」
「あの方の鬼謀は貴公の死後にこそ磨かれ続けておりました…かつての印象で戦うのはあまりに危険すぎまする」
静寂…二人は静かに視線を交錯させ火花を散らす。
ハンベエは何かを言い返そうとして、口を噤んだ。そして軽く目を伏せて促す。
「確かにその通りですユキムラ殿…貴方のお考えをどうぞ」
「では、わしの策を聞いていただきたい…といっても陸路と海路の二点攻めに関しては異論はありませぬ」
代わってユキムラちゃんが大陸図前に立ち、ビッと一本の矢印を引いた。
再びどよめきが巻き起こった。ヨルトミアから直で南部へと繋がる一本の線…山越えルートだ。
「さらに三点目…第三軍が山路を攻めて敵軍側面を強襲いたす!」
つまりはサウェスト山脈越えだ。あの天険の山々を越えて南部へと攻め入ろうというのだ。
だがそれは海賊連合が先の戦いで使ってきた策…おそらくその可能性は敵も熟知している筈…
ハンベエは沈黙したが、今度は代わりに他の面々から疑問の声が飛ぶ。
「ユ、ユキムラ殿…陸路が確保されているのにわざわざ山を越える意味は…」
「一見意味がなく見えるからこそ、無意味だからこそ相手はまずこの進路を除外する!つまり絶好の死角じゃ!」
「で、でもよぉ…敵が一度使った手なんざ普通は読まれるもんじゃねえか…?」
「否、一度使って失敗した手だからこそ逆に通じる!軍師というものは二の轍を極端に避ける生き物じゃからな!」
トウカやヴェマに突っ込まれてもユキムラちゃんは自信満々だ。
これは何を言っても無駄だ…ハンベエに美味しいところを取られてムキになっているのではないか、そんな疑問が浮かぶ。
しかし、その策に同意する者が一人だけいた。
「なるほど…良い策、かも知れませんね…」
沈黙思考していたハンベエがそう呟き、ユキムラちゃんは得意げに満面の笑みを浮かべる。
皆がぎょっとして振り向く中、まるで独り言ちるように彼女は続ける。
「定石上はありえない手です、だからこそ理詰めで戦う相手には効果的かも知れない…実際ボクもありえないと思いましたから」
「そ、それは結局悪手っちゅうコトやないか…?」
「いえ…仮に読まれていたところで側面を突けるのはやはり効果的なんです、そのぶん敵戦力を分散できますからね…」
意外と理には適っているのだろうか…常識外れの一手であることには変わりないが。
そこでハンベエはしかりとユキムラちゃんを見据える。見極めるような試すような…そんな視線だった。
「ですがユキムラ殿、山脈越えは言易行難です…ともすれば失敗し無駄に戦力を浪費させる結果になりかねない」
それを聞いて俺は思わずごくりと唾を飲む。
敵は易々と攻めてきたかのように思えた…が、それは周到な準備と類稀なる幸運に恵まれたからに他ならない。
言ってみれば博打のようなものだ。失敗すれば山路を往く部隊は犬死する可能性も十分あるのだ。
「ヨルトミアの…天下に最も近い軍師として、失敗は許されません…それでも貴方はこの策を成す覚悟がおありですか?」
問いにユキムラちゃんはにやりと笑う。
「当然…この“転生軍師”ユキムラ、勝てぬ博打をする気は元より毛頭ござらん!」
それを聞いたハンベエはそれ以上言及することはなかった。
ここまでヨルトミアの軍師として導いてきたのはユキムラちゃんだ。その言葉は信じるに値する。
「決まりね…」
一部始終を聞き届けたリーデ様が頷き、立ち上がって宣言する。
「南部攻めは陸・海・山の三点攻めを以て行います!三つ頭の攻め…名付けて“ケルベロスの計”よ!」
【続く】




