第六十九話 西部防衛線、ひとまず決着の巻
「い、一体何が起こったというのだ…」
視点は再びヨルトミア城下に戻る。
ヴォーリは一瞬にして湖の孤島に立つ城と化したヨルトミア城を見、目を擦った。
まるで魔法をかけられているかのようだ…城に攻め入っていたガイコ隊、ネイカ隊も消え去ってしまった。
あまりの出来事に呆然とする彼の脇腹を少女が肘で突く。
「…呆けるのは後だヴォーリ、状況を報告せよ…」
「は、はっ!しばしお待ちを!」
石橋の上にいた海賊たちはその大多数が押し流されてしまった。しかし全滅というわけではない。
橋を渡る前だった者、かろうじて濁流に呑まれる前に逃げ出せた者、その兵たちとヴォーリ隊を合わせれば未だ全体の四割程度が残っている。
だがガイコとネイカについては行方不明だ。彼らが居たのは橋の中央…あの濁流を直に受けたのだ。おそらくは生きてはいまい。
報告を受けた少女はふむ…と頷いた。
「…あの二人が死んだのは却って好都合だ…指揮権を我らの下に一本化できた…」
その台詞を聞いた兵たちがわずかにどよめき、ヴォーリは頭痛を覚えたかのように額を押さえる。
この人の言うことは正しい…正しいが、言ってはならないことも言ってしまう。決して悪意があるわけではないのだが…
そんな時だ。くすくすと御淑やかな笑い声が響いた。
「キミは相変わらずですね、ボクの死後も変わっておられないようで安心しました」
ぎょっとして振り向いた海賊たちの背後に立つのは色白で銀髪碧眼の仙人じみた空気を纏った少女。
その背後には中隊規模のヨルトミア兵が率いられている。あらかじめ城の外で動く兵を伏せておいたのか。
一体何者だ…ヴォーリたちが身構える中、対照的な黒髪紅眼の少女は軽く息を吐いて彼女を見据える。
「…あの手口…やはり貴殿か、ハンベエ殿…」
ハンベエは扇子を口元に当て、旧知の仲との再会にくすりと嬉しそうに笑う。
「お久しぶりですね、黒田官兵衛殿…この世界ではカンベエ殿とお呼びしましょうか」
黒田官兵衛…
前世では秀吉を天下に導いた軍師、早世した半兵衛の後を継いで類稀なる知略で秀吉の後半生を支え続けた。
その鬼謀のほどは敵だけでなく主君である秀吉にすら恐れられたという…
少女…もといカンベエは軽く目を伏せ、僅かに…ほんの僅かにだが笑った。
「…この世界でなら、いつか会えると思っていた…しかしよもや敵として相見えるとは…」
「それは此方も同じです、まさかキミが海賊に与しているとは思いもしませんでしたよ」
「…召喚先は選べぬからな…ハンベエ殿、貴公とは話したいことが山ほどある…だが、しかし…―――」
カンベエは改めてハンベエに向き直る。
その視線は陰気だ…だが、その紅い瞳の奥には熱い炎が滾っていた。
「…今度こそどちらが最強の軍師か…雌雄を決しよう…」
「望むところです」
一触即発…両部隊に緊迫が奔る。
だが激突を予想する兵士たちとは裏腹にハンベエ、カンベエの両者は互いに踵を返した。
「…ヴォーリ、撤退だ…本隊に合流する…」
「えっ、あっ…し、しかし…!」
「…どのみち浮き城にされては現戦力でヨルトミア城は取れん…ならば少しでも多くの兵を温存する…」
せっかく天険の山を越えてきたというのに何の成果も得ず撤退するというのか…
そんな空気が兵たちに拡がるが、カンベエの判断は極めて合理的。ここで戦っても無駄に命を散らすだけだ。
残存した海賊たちはそれぞれ陣形を整え、本隊と合流すべく西のイルトナ方面へと撤退を開始した。
ハンベエはその様子を静かに見送った。おずおずとヨルトミア兵の一人が訊ねる。
「あの…ハンベエ殿、追撃しなくてよろしいのですか…?」
「ええ、地の利の活かせる迎撃と違って追撃戦は現戦力では荷が重い…ここは守りを固めましょう」
「し、しかし敵の“転生者”を倒す千載一遇の好機では…」
「彼女を甘く見てはいけませんよ、無理に狩ろうと深追いすれば狩られるのは我々の方です」
淀みないハンベエの返答にぞくりと兵たちは身を震わせる。
ともあれ、敵の撃退には成功した。ヨルトミア城は大きく様変わりしてしまったがなんとか主君の留守を守り抜いたのだ。
兵たちはひとまずは安堵、それからせわしなく城下町の復旧や各方への連絡に取り掛かる。避難民たちも周辺集落から呼び戻さなくては。
それを見ながらハンベエは西…カンベエたちが去っていった方へと目を向ける。
「最強の軍師か…この世界では意外とボクたちではないかもしれませんよ、カンベエ殿」
その呟きは誰にも聞かれることなく、活気を取り戻したヨルトミアの喧騒の中に溶けて消えた。
◇
一方でイルトナ港に攻め入っている海賊連合本隊は混乱の只中にあった。
甲板の血だまりの中で倒れ伏したハサックは既に冷たくなっている。ミスリル弾で頭部をぶち抜かれた即死である。
焦った海賊たちが“転生者”であり参謀である少女へと縋り付くように迫った。
「お、親父が…親父が撃たれて…クソォッ!!」
「テ…“テルモト”様っ!!一体俺らはどうすりゃいいんだっ!!」
テルモトと呼ばれた“転生者”は困惑する。
参謀と呼ばれても基本的に前世の水戦知識で助言するのみ、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかった。
船団長に代わり指揮するなどまるで無理な話である。特に海賊たちはそれほど自分を慕ってはいない。
ひとまず、ここはハサックの方針を継いでヨルトミアが制圧できたと信じて行動するしかない。
「み…皆さん落ち着いてください!方針は現状維持!まずはイルトナ港の確保を!」
ここで時間を稼いでいればカンベエ殿がなんとかしてくれる筈だ…
そんな考えと共にテルモトは自己嫌悪する。嗚呼…自分はなんと情けないのだ。
祖父上や父上たちならば、こんな予測不能な状況でも即座に策を立てて対応したことだろう。
だが自分にはそこまでの能力はない。安芸毛利家に名を連ねていようと前世でも戦いは吉川・小早川に任せきりだったのだ。
一体何故祖父上や叔父上たち、あるいは広家や秀秋といった知略武勇に優れた親族たちが“転生者”に選ばれず、自分が選ばれてしまったのか…
遠い目をして考え込むが当然それで戦況がよくなることはない。むしろ押し返され始めている。
「くぅっ…ヨルトミア軍が引いて戦力では勝っているはずなのに…」
一度傾いた戦の流れというものは例え戦力差があったとしても早々変えることはできない。
特に総大将の討死によってもたらされた士気の低下は重大だ。先行きの不安に海賊兵たちは無意識のうちに消極的になっている。
そんな精神状態で押し切れるほど西部連合は甘くない。兵数差では劣れども奮戦して海賊たちに一歩たりとも防衛線を越えさせない。
テルモトが爪を噛みながら必死に打開策を探っていると、大将船に一隻の小型船が横付けしてカンベエが甲板に現れた。
「…潮時です、撤退しましょうテルモト様…」
「カッ、カンベエ殿!貴方がここにいるということはヨルトミア攻めは…」
「…思わぬ者の妨害を受け失敗いたした…もはや現戦力で西部地方を落とすことは能いませぬ…」
「そ、そんな…!」
撤退…その言葉に海賊たちがどよめく。
わざわざ西部地方まで攻め入ってきたというのにその結果はガイコやネイカたちのみならず船団長の討死。
ここで退けば今までの努力何もかもが徒労に終わり、ハサックの仇も討てずにおめおめと南部に逃げ帰ることになる。
そんなことは海賊のプライドが許さない…!
「じょ、冗談じゃねえ!奴らの将首の一つでも取らねえと南部に帰れるかよ!」
「そ、そうだ!ここで退いたら死んだ親父に顔向けできねえ!」
不満を覚えた海賊たちが騒ぎ立てる。
カンベエはそれをじろりと陰気な一睨みで黙らせると、軽く息を吐いて頭を振る。
「…くだらん意地で兵力を無駄に消耗するな…ここで敵将を一人二人討ち取ったところで何になる…」
「そ、それは…」
「…今我らが最も優先すべきは被害を最小限に留めて南部に帰還…次の戦に備えることであろう…」
こう言われるとぐうの音も出ない。意地を張った所でもはや戦略的敗北は確定だ。
カンベエは手にした杖でゴツンと甲板を突き、改めて全軍に命じた。
「…撤退だ、此度の西部攻めは失敗である…」
海賊たちは憎々しげに彼女を睨みつけたが逆らうことはない。
上陸部隊にも撤退の旨が伝わればまるで潮が引くように後退し、それぞれ船に乗り込んで沖へと引き下がった。
大将船ゴールデンスタッグ号もそれに続いて南部へと航路を取る…わずかにイルトナ船団の追撃があったがそれも疎らだ。
やがて武装船団が港から完全に離れるとテルモトは甲板の上でへたり込み、頭を抱えた。
「ああ…まさかこんなことになってしまうなんて…ハサック様…」
「…この世界の雑賀衆を甘く見すぎましたな…そしてヨルトミア、あんな隠し玉を持っていたとは…」
テルモトは恨めしげにどこか他人事のように呟くカンベエを見上げる。
今回の作戦立案は全て彼女によるものだったというのに落ち込むどころか悪びれる様子すらない。
「カンベエ殿は平気なのですか、ここまで完膚なきまでにやられて…」
「…平気?…テルモト様にはそう見えておられるのか…」
ぞわり…
彼女が一瞬放った殺気にテルモトは背筋に怖気が奔るのを感じた。
その紅い瞳の中にはいつものように冷徹な光が宿っていたがその奥底、リベンジに燃える執念の炎が燃え盛っている。
「…平気なものか…次は絶対に勝つ…!」
◇
海賊連合が撤退していく…
武装船団が沖合へと遠ざかり見えなくなると撃退を実感した兵士たちは歓声を上げ、勝鬨を響かせ始める。
その様子を確認したマゴイチはどっかと地面に腰を下ろし深く長い溜息を吐いた。
「なんとか守り切れたようやな…かーっ、しんどいわ…」
言葉には出さなかったが西部連合首脳陣も同じ気持ちだ。港が奪われる寸前の本当に危ないところだった。
伝令兵から報告を受けていたハーミッテ公、イオータが明るい笑顔と共に振り返る。
「皆さま!ヨルトミアも敵襲を撃退したようですわ!」
その報に皆が一斉にざわめく。ヨルトミア軍はつい先ほど引き返したばかりだ。
軍がまだ帰還してないならば残ったのはナルファス大臣だけだったはず…一体如何なる奇術を使ったというのか…
フォッテ公が感服したように唸る。
「ううむ、さすがヨルトミアですね…まさか手勢だけで守り切るとは…」
「聞けばハンベエなる“転生者”が颯爽と現れて力を貸してくれたとのことですの!」
「ハンベエか…ははあ、なるほどな…」
皆が驚く中、マゴイチだけは納得したように笑う。ハンベエとはつい此間会ったばかりだ。
召喚されていたと知った時は驚いたものだが、あの時彼女はやけにユキムラを買っていた。その手助けがあったならば頷ける。
何せあの竹中半兵衛…秀吉が天下を取る礎を築いた軍師、ヤツの神算の前には海賊がどれだけ束になろうと物の数ではない。
それにしてもつくづくヨルトミアは恵まれている…ユキムラだけでなくハンベエを味方にし、最大の危機を乗り切ってしまった。
まるで天下を取るために天の意思に仕組まれているかのようだ…
オリコー公はどこか釈然とせずぶつくさと呟く。
「ハンベエはオリコーが召喚した“転生者”なのに…」
ともあれ、西部地方はひとときの平穏を取り戻した。
しかし…南部に狙われていると分かった以上、手をこまねいている訳にはいかない。
放っておけばいずれまた海賊たちは大軍勢を率いて攻めてくるだろう。既に西部と南部の戦端は開かれてしまったのだ。
防衛に徹するか、それとも今度は此方から攻め込むか…決断しなくてはならない。
北部の乱を鎮圧したリーデ=ヒム=ヨルトミアと《皇帝の剣》が西部に帰ってきたのはそれから七日後のことだった…
【続く】




