第五十八話 ユキムラちゃん、北風と太陽の計の巻
一夜城の建築後、北部連合はみるみるうちに勢いを取り戻した。
これまで軍を出陣させれば悉く野戦で蹂躙されていたところ、剣神の落とせない前線拠点を得たことで戦況は変化する。
最前線のサナダマル参式を起点に、軍を分けて獣人軍の各拠点へと同時に侵攻開始。
獣人軍は手強いが剣神が率いなければ所詮は烏合の衆、鉄砲を配備した《皇帝の剣》の敵ではない。
剣神が守る城こそは落とせないもののその他の城を次々と落とし、北部連合は次第に領地を回復していく。
その快進撃の中で、気付いたことがあった…
「敵城開門…降伏の白旗が揚がっていますね…」
「うむ、罠ではあるまいが…一応警戒しつつ入城せよ」
わしとトウカ殿率いる一軍はかつて獣人軍に奪われたザッカ城を攻略。
兵力差に戦う前から負けを悟ったか、特に抵抗らしい抵抗もなく大門を開いた城へと兵を進めていく。
そこでわしらの目に飛び込んできた光景…それは思わず目を覆いたくなるようなものであった。
かつては堅牢な城だったであろうザッカ城の内部は荒れ放題、破損跡も補修らしい補修もされず放置されている。
そして獣人の兵たちは疲弊しきっているのか皆覇気を失くしていた。野ざらしになって力なく横たわる者までいる。
疫病でも蔓延したか…そう警戒したのも一瞬だけのこと、ヨロヨロと一人のゴブリン族が我らの前に現れた。
「メ…メシ…持ってないか…?」
もしやこの城の者たちは飢えているのか…?
弁当を渡してやるとそのゴブリン族の男は一心不乱に貪り始めた。
その様子を見ていた他の獣人たちもまるで幽鬼のように群がってくる。
「…兵糧を配ってやれ」
「いいんですか?相手は獣人ですけど…」
「飢えの苦しみは我らも獣人も同じであろうよ、武士の情けじゃ」
食事を配給すると獣人たちは一様に貪り喰らい始める。
その様子はまるでここ数日まともな食事にもありつけていないようだった。
兵糧攻めもしていないというのにこの惨状…あまりにも不可解な光景である。
トウカ殿が呆気に取られながら呟いた。
「これは…どういうことなんでしょう…」
「おそらくは兵站が崩壊しておるのじゃろう」
「兵站が…?」
あくまで推測だが、これは剣神が急速に領地を拡大しすぎたゆえの弊害だ。
本来、領地と人は車の両輪…人が増えれば領地を要し、領地が増えればそこに人が増える。国土拡大はその繰り返しである。
そしてその均衡を保つのは極めて難しい。少しでも崩れればすぐに過密化、過疎化の問題が発生する。
獣人はそもそも全種族合わせても総数が少ない…北部の端、極北のいくつかの集落にひっそりと生息していた者たちだ。
そんな者たちが急に北部の半分以上を支配することになればどうなるか…
「城を奪えばそこには兵を入れねばならぬ、城の規模によっては百人そこそこでは足りぬ場合もある」
「そして兵が増えれば増えるほど兵糧の消費も早い…」
「それを維持するために兵站が必須なのじゃが、総兵力に対し城が多すぎて兵站確保が追いついておらんのじゃ」
言うなればこれは獣人軍の自滅である。
剣神は強い…しかし強すぎた。そして振り返らなさすぎた。
城を落としたならばまずはその地を統治し、拠点として安定させてから次の侵攻を行うのが常道だ。
しかし剣神は勢いのままに突き進み、統治もおざなりに次から次へと戦いを続けてきた。
前世では直江や河田といった優秀な奉行たちがそんな謙信公を支えてきたのだろう…だがこの世界に彼らはいない。
おそらく他の城でも同じような有様になっているだろうことが容易に推測できる。
これではいくら勝利し城を奪っても割れた瓶に水を汲み続けるようなもの…
「…剣神に対する勝ち目が見えたやも知れんな!トウカ殿、わしはモーガンへと戻る!」
「了解しました!この城はお任せください!…獣人たちは如何しましょう?」
「客人のように丁重に扱うのじゃ!腹が減ったと言えば飯を食わせ、自由が欲しいと言えば離してやれ!」
「成る程…何かお考えがあるようですね、御意!」
話が早くて助かる限り。
トウカ殿は非常に察しが良く一城を任せるに値する将。何も心配は要らぬだろう。
わしは少数の供回りを連れ、今後の戦略を具申すべくモーガン公国へと馬を走らせた。
◇
「獣人たちと和睦を結ぶことを提案いたしまする」
わしのその言葉にモーガン城内の会議室は大いにどよめいた。
リーデ様よりも早く、今まで北部連合を取りまとめてきたモーガン公が呻くように言った。
「何をバカな…!奴らは人語を介さぬ獣も同然だぞ…!」
「否、実際に戦ったからこそ分かる…我らとまったく変わらぬ人でござる」
剣神の戦術を理解し、実行している…それが最たる例だ。
ただの獣であるならばあれほど高度に統率の取れた戦はできはしまい。
尤も、戦略意識が低いことは否定できない…それ故に付け入る隙がある。
「剣神の強硬策に彼ら自身苦しんでいるのをわしは見てきた、調略の目は十分にありまする」
「し、しかし既にいくつもの国が亡ぼされているのだ…今更和睦など…」
「元より我ら人間…もといヒューマン族が始めた戦…ここらで手打ちに致しましょうぞ!」
当然モーガン公も本気で獣人を駆逐するまで戦う気はない筈だ。
おそらくは長く戦いすぎたばかりに振り上げた拳の下ろし時を見失っている。
本音を言えば北部連合も疲弊しきっている。ここらで戦を中止し国の復興に専念したいところだろう。
…そして、それは獣人たちも同じに違いあるまい。
黙り込んだモーガン公に代わり、この戦線の総司令であるリーデ様が口を開いた。
「《皇帝の剣》は連合と獣人軍の和睦調停を以て北部地方平定とする…そういうことね?」
「ええ、皇帝陛下が獣人の存在をお許しにならないと、そうおっしゃるのならば話は別でござるが…」
わしの言に、リーデ様はくすりと笑う。
「それはありえないわ…この天下はすべての陛下のもの、そこに生きる者ならば貴賤なく皆愛すべき命よ」
無意識のうちに出た、まるで陛下の代弁者のような言葉…
諸侯の視線が一斉に向くと、リーデ様は上品にコホンと咳払い一つして誤魔化した。
「し、しかしそれではあの剣神も説き伏せるということでしょうか…?」
話題を変えるようにしてラキ殿が疑問を切り出した。
そう、それが問題点だろう…剣神とその直属の部隊は獣人軍の中でも士気が非常に高い。
疲弊しきった獣人たちとは和睦を結ぶことはできても、剣神自身は絶対に合意しないことは火を見るより明らかだ。
「剣神を調略することはできまい…しかし戦う理由を失くすことはできる」
「例の“義の戦”というやつね」
「左様にござる、今の剣神はあくまで獣人を守るという名目で戦っている…」
だが獣人の過半数が和睦を求めたとしたらどうだろうか。
剣神自身がいくら戦いを望もうがその状況で戦を起こせばただの自己満足、義に背く行為となってしまう。
そして剣神はそれを最も嫌うであろう…渋々ながらも停戦に応じるはずだ。
ようは梯子を外し、剣神から大義名分を取り上げる。それが戦略勝利への道筋だ。
納得したリーデ様は強く頷き、命じた。
「その策…認めるわ、すぐに調略に取り掛かりなさい」
「はっ!」
それからというもの…我らは獣人軍を精神面で切り崩しにかかった。
各城に攻め入るものの決して無駄な殺戮は行わず、その城の者たちが飢えていれば兵糧を分け与える。
例え降伏しても捕虜であることは強要せず、城を大人しく明け渡すならば撤退しようと一切追撃しない。
敵であろうと抑圧せず徹底的に甘やかす作戦は、疲労しきった獣人たちの戦意を削ぐには十分すぎるほどの効果を発揮した。
やがて未だに攻め入っていない城からも北部連合に下る者たちまで現れ始める始末である。
「くくくっ…名付けて“北風と太陽の計”よ!」
五分五分にまで巻き返した北方戦線の均衡が再び崩れ始めた。
今度は北部連合側有利に傾く形で、である。
この地方に到着した時は一切先が見えなかった戦況も、ようやくハッキリと勝ち筋が見え始めたようだ。
◇
「むむむっ…!実にまずいでち…」
カスガ山城、参謀室…
獣人軍唯一の軍師であるウサミは次々上がってくる離反の報告に頭を抱えた。
各拠点の兵站の崩壊は把握していた…把握してはいたものの、打開策もなく解決を先回しにしてしまっていた。
そもそも獣人軍の戦闘能力は剣神とその部隊の強さのみに起因する。
奪われても剣神の力を以てすれば容易く奪い返せる各城の防衛をさほど重要に考えていなかったことは否定できない。
だが、そこを守る獣人たちが懐柔されているとあっては話が別だ。自分たちの大義名分が失われてしまう。
「このままではお屋形様の願いが叶わなくなってしまうでち…」
ウサミの望みは剣神が満たされていること。
獣人の中でもゴブリン族より小型で非力なラビッテ族はかつて格差社会の下の下の存在だった。
歩いているだけで野蛮なウルフェン族に追い回されたこともある。洞穴に隠れながら惨めな生活を送っていた。
だがそんなラビッテ族であろうと剣神はウサミの知略もまた立派な力であると認め、破格の待遇で軍師として取り立ててくれた。
強硬な思考に振り回されることも多いがウサミは心から剣神を尊敬し、忠義を誓っているのだ。
「戦況が変わり始めたのは…やはりあの城が建ってからでち」
三角中洲に一夜にして現れた異形の城。
あそこを起点にして北部連合は多方面に軍を展開、勢力を大きく巻き返した。
剣神隊が迎撃に向かうもその部隊は一つしかない。一つ迎撃したとしても二つ、三つと別方面で拠点が落とされてしまうのだ。
それらすべてを排除して回ることは不可能…だとすれば取る方法はひとつしかない。
前線拠点であるあの一夜城を落とし、進軍路の元を絶つ…
しかし、あの城は剣神でも落とすのに手間取っている難攻不落の天然要塞…一筋縄では落とせまい。
「そろそろ、あいつらを使うべき時でちね」
大武芸大会準優勝のサスケという男と、その配下の元囚人たち。…それと変なコック。
あいつらはヒューマン族ではあるがよく働き、頭の悪い獣人たちには任せられない各雑務を担ってくれている。
その戦闘能力は大武芸大会でも見た通り大したものだ。それに怪しげな術も多彩に使える。
力攻めで落とそうとする剣神よりも遥かにうまく城攻めをやってのけるだろう。
「《皇帝の剣》…これ以上好きにはやらせんでちよ!」
ウサミは力強く独り言ち、サスケたちを呼ぶ笛を鳴らす。
北方戦線は再び大きく揺れ動こうとしていた…
【続く】




