第五十六話 ハンベエからの手紙の巻
「せいっ!」
「ははっ!いいぞ…!」
ロミィ殿と剣神の騎馬が交錯し、すれ違うその一瞬で幾つもの剣閃がぶつかり合う。
さすがは西部最強のカッツェナルガ…初見では圧倒されたが既に剣神の強さに対応し始めている。
だがそれであっても剣神はまだまだ余裕、楽しげに笑いロミィ殿と斬り結んでいる。
その限界はすぐに訪れた。
「くっ…駄目か、アルバトロス…!」
剣神の一閃を何度か受けた後…ロミィ殿の愛馬、アルバトロスが大きく一度よろめく。
ロミィ殿は対応できても馬まではそうはいかない。剣神の一撃は直撃せずとも相手の騎馬にまで衝撃を通すのだ。
それでもなお気力で走ろうとするアルバトロス…その手綱を引いてロミィ殿は撤退を選ぶ。
「馬の差だな、次はもっと良い馬に乗ってくるといい」
「余計なお世話だ…!ロミリア隊、撤退する!」
剣神はその後を追わない。
一角馬の鞍上で悠然と姫鶴一文字を鞘に納め、ロミィ殿とその騎兵隊の背を見送った。
やがてロミィ殿の部隊に抑えられていた獣人軍がまるで津波のような勢いで突撃を開始する。
ヤツらの狙いは河を越えた先の三角中洲…わしらの築城妨害が目的だ。
「ええい、全員築城中止!撤退じゃ!」
「クソッ!柵すら組めやしねえ!」
「鉄砲隊、牽制射撃用意!皆が逃げるまでの時間を稼ぐよ!」
次々と渡河してくる獣人軍…築城しながらヤツらと戦うことは不可能だ。
わしは采配を振って全軍に撤退を促し、交戦に入る前に中州から兵を引き上げた。
そして築城物資を完膚なきまでに破壊していく獣人たちを歯噛みしながら見つめる…
これで三度目だ…ヤツらは築城の臭いを即座に嗅ぎつけて邪魔しにやってくる。
いくら天然の要害と言えど城がなければそこは平原と同じ…地の利を得ることはできない。
「すまない…まるで時間稼ぎにならなかったな…」
「いや、ロミィ殿はよくやってくれておる…口惜しいが此度は退いて対策を考えようぞ」
ロミィ殿が申し訳なさそうに言うが、とんでもない。
むしろあの剣神相手に数刻でも時間を稼げること自体が驚異的だろう…おそらく大陸全土見渡してもそうはいまい。
彼女は車懸かりの陣の僅かな欠点を見抜き、攻撃部隊が切り替わる刹那の間隙を狙って陣を突き崩すことに成功した。
たった一度見ただけでそれを見切る恐るべき戦の才…そしてそれを実行する恐るべき騎兵の練度…
だがそれだけ強いロミィ殿を以てしても倒すに至らず、車懸かりの陣を破ってもその中心…剣神への刃が果てしなく遠い。
そんな剣神は我らとの戦を心から楽しんでいるようだった。
「そこそこやるようになってきたが、まだまだだな…貴様の祖父はこんなものではなかったぞ」
好き勝手言ってくれる…!
剣神と獣人軍に追撃してくる気配はない。追う必要もないということか。
わしらは転進してモーガン公国まで撤退…三度目の築城失敗に肩を落とすのだった。
何か方法はないのだろうか…獣人軍が攻め寄せる前に簡素でも城を作る方法が、何か…―――
◇
「珍しく苦戦しているようね」
リーデ様は少し驚いたようにそう言った。
どうやら今のわしは酷い顔をしているに違いない…ここのところ四六時中頭を悩ませているため、その自覚はある。
策を立てたにしても其れを成す手段が一向に思い浮かばない。
三角中洲に資材を運び、柵を組み、城を建てる…たったそれだけなのになんと難しいことか。
信玄公でも勝ちきれなかった謙信公…やはりその相手はわしには荷が重いか…
そう思いかけたところ、リーデ様はぺたりとわしの顔に触れる。
「弱気は禁止、剣神はいくら強くとも同じ人…倒せない道理なんてない、そう言ったでしょ?」
「しかし…」
「貴女の前世がどうだったかは知らないけど、きっと何もかもが違うはず…そこに勝機はあるわ」
その根拠のない自信は一体どこから来るのか…
しかしそうまで言われてはやるしかないという気持ちになるのもまた事実。
前世とは違う要素…あまりに多すぎるが、おそらくそこに何か答えがあるはずだ。
「ユキムラ殿、隊商ギルドが到着しました!」
「おおっ!来たか!」
考えている最中、ラキ殿から久しく明るい報が届く。
ヨルトミアに要請していた救援物資が到着したのだ…武装商人たちが荷を下ろしていく。
その中にあったのはついに完成した超大型鉄砲“国崩し”…南蛮名は“ふらんき砲”。
生前、大坂城の資料庫にあった設計図をうろ覚えで書き起こしたのだがマゴイチは見事に再現してくれた。
その凄まじい破壊力は今後の戦いに大いに役立ってくれるだろう。
続いて、着陣した者たちはわしには要請した覚えのない者たちだった。
「イルトナ傭兵ギルド、工兵団長マサック!イルノームを率い只今到着にございます!」
髭面の武人と屈強な工作兵たち…イルトナの傭兵部隊だ。
そしてかつてはオダ帝国の将として野戦築城によって散々我らを苦しめた者たちである。
今は頼もしい味方ではあるのだが、わざわざイルトナから派兵してくれとはわしは一言も言っていない筈だ。
「マサック殿…?マゴイチが寄越したのか?」
「はい、ギルド長に命じられましてな!詳しくはこれをお読みくだされ!」
マサック殿が差し出した手紙…
そこには達筆な文字でこう綴られていた…―――
『拝啓ユキムラ殿 北部は非常に寒いと聞き及んでおりますが如何お過ごしですか』
…誰?
この感じではマゴイチではあるまい…それにあやつの字は非常に雑だ。
説明を求めるようにマサック殿を見ると、彼も困ったように黒髭を撫でた。
「我々にも分からんのですよ、急に謎の少女が現れたかと思ったら突然ギルド長に献策し始めまして…」
「謎の少女…マゴイチは何と?」
「“とりあえず言うこと聞いとき、間違いあらへんから”…と」
あのマゴイチにそう言わせるとは只者ではない。
余計に誰だ…頭を捻るが誰だろうか予測もつかない。ここは素直に聞くとしよう。
「…その者の名は?」
「確か、ハンベエ…と名乗っておりましたな」
それを先に言え!
まさかの名前だ。ハンベエ殿は我らの戦に関わる気はないものとばかり思っていた。
わしは勢い余ってつんのめるようにして手紙の続きに目を落とす。
『これを読んでいる時、きっと貴方は築城でお困りになっている頃でしょう』
何故わかる…どこかに間者でも仕込んでいるのだろうか…
いきなり不可解な書き出しだったがあまり深くは考えないことにした。
あの方の神算鬼謀ぶりを測ろうと考えるだけ無駄だ。
『手助けするのは一度だけ…以前そう言いましたが今回は特別に“あどばいす”を差し上げます』
妙に上から目線なのは気になるがありがたい限り…
稀代の軍師の知恵が借りられるならこれほど心強いことはない。
わしは一字一句読み飛ばさぬように数枚の手紙を読み進め、その発想に驚きと尊敬を覚える。
なるほど…若き日の太閤殿下が少ない手勢で如何にして立身出世を成し遂げたか、その答えの一片がこれであろう。
手紙は以下の二文を以て締めくくられていた…
『上杉謙信は全盛期のボクたちでも勝てなかった相手…それを真田の小倅が倒すはさぞかし痛快なことでしょう』
『この策を以てボクに代わりあの軍神を見事制してくれることを期待しています 敬具』
ハンベエ殿はハンベエ殿なりにわしを応援してくれているようだ。
わしは手紙に手を合わせ、懐に大事にしまい込んだ。
これで光明は見えた…この方法なら剣神が攻め寄せる前に城を建てることが可能だ。
マサック殿とイルノームを寄越したのもそのため、この作戦は彼らの能力が要となる。
晴れやかな顔となったであろうわしを見、リーデ様は微笑を浮かべる。
「…勝機が見えたのね、ユキムラ?」
「ええ、ハンベエ殿はまっこと恐ろしい方でござる!」
リーデ様のおっしゃる通り、前世とは何もかも状況が違う。
父上や兄上…上田城の将たちはいない、秀頼公や大坂浪人の仲間たちもここにはいない。
だがそれ以上にこの異世界で結んできた縁がわしの力となっている…
その力を弱いものとするわけにはいかない。剣神を打倒し、その強さを証明して見せよう。
◇
その夜…―――
我らは再び築城を行うべくモーガン城を発った。
今回は夜間作業だ。夜ならば剣神が出張ってくるまでに若干の時が稼げるだろう。
「夜にやるのはいいけど…剣神のヤツが来た時は結局どうすんだよ」
ヴェマ殿がぼやく。
結局のところ剣神に対抗する戦術は何一つ進展していない。かろうじてロミィ殿が戦えるくらいだ。
いくら夜間に築城を開始したところで日が昇って再び築城妨害されては城など建つわけがない…
そう…“築城妨害されれば”その通りだろう。
「何…ようは剣神が出てくる前に城を建ててしまえばいいのじゃ」
「はぁ?んなもん物理的にできるわけねえだろ、魔術でも使う気か?」
彼女がわしの正気を疑うのも無理はない。
本来城というものはどんなに簡素でも七日はかけて建てられる。防衛力を強化すれば月単位だ。
だが剣神がそんな悠長な暇を与えてくれるはずがない。おそらく見つけ次第攻め寄せてくるだろう。
それまでに城を建てる…なるほど、魔術でも使わねば到底無理な話だろう。
「それが可能になる…この策を使えばのう!」
何故ならば、この策は魔術に勝る。
魔術全盛期を打ち破った天下人が前世にて得意とした策…
「その名も“一夜城の計”!」
「一夜城…だぁ?」
呆気に取られて鸚鵡返すヴェマ殿にわしはにやりと笑って見せた。
一夜城…それがハンベエ殿からわしに託された策であった。
【続く】




