第四十九話 剣神、現るの巻
まるで悪い夢を見ているようだった。
先ほどまで緩やかだった戦の流れは今やほんの一刻前からは考えられぬ激流へと変わっている。
冷静になれユキムラ、兵力では圧倒的に勝っている。負ける要素は何一つない。
ここは一度密集陣形を組み、態勢を立て直すべし…―――
「マクシフ隊撤退!リカチ隊撤退!御味方、総崩れです!」
いかん…!
一瞬遠くなりそうな気を奮い立たせ、戦況の把握に努める。
戦の流れはどこで急変した…繰り返すが《皇帝の剣》に負ける要素はなかった。
たった一部隊…否、たった一騎の将がそれらの前提すべてを一瞬でひっくり返したのだ。
前方を見据えるとその戦場に例の白い騎兵がいる…そう、ヤツこそが『剣神』…
「回せ」
一言。
咆哮を上げてオーク族と呼ばれる巨体の獣人が一斉に前線へと打ちかかり、一撃離脱する。
だが一撃防いだと気が緩んだところ、即座に第二陣のウルフェン族と呼ばれる狼面の獣人が打ちかかる。
ウルフェン族が離脱すればさらにリザディアン隊、ゴブリン隊と同様に波状攻撃を繰り返しながら再びオーク隊。
剣神を中心に多数の隊がその周囲を旋回しながら一撃離脱を繰り返す攻撃陣形…その名も車懸りの陣だ。
体力の消耗も激しいが、その攻めはまるで丸鋸のように敵軍を“削り取っていく”…
この戦法を使う…否、使える将は戦国広しと言えどたった一人しかいない…!
「ユキムラちゃん!?」
サスケの悲鳴じみた声でハッと気づく。
先ほどまで車懸りの陣の中央に居た剣神はどういう挙動か一瞬にして前衛を蹴散らし我が隊に到達。
サスケたちが援護に入る隙すら与えずヤツは馬上から跳躍。空中で腰の刀を抜き放ちながらわしの眼前に着地した。
生命の危機に時間間隔が鈍化し、白刃がゆっくりとわしの命を刈りに迫る。
「“再転…”!!」
間に合わん!
わしは瞬時の状況判断で“再転生”を中断、咄嗟に手にした紅塗軍配を振り上げる。
頑丈なクリム鉄製の軍配は甲高い音を立てて白刃を打ち払った。今ほど過去のちょっとした贅沢に感謝したことはない。
刀を打ち払われた剣神と視線がぶつかりあう…ヤツは軽く目を丸くし、驚いているようだった。
まるで走馬灯のように数刻前の記憶が脳裏を過る…
◇
北方の公国はそのほとんどが剣神により滅亡、僅かに残る三国が団結して抵抗しているのみ。
そこで皇帝陛下の勅命を受けた《皇帝の剣》は彼らと合流しその戦力を取り込みつつ剣神を打倒する。
それが北方征伐のおおまかな内容だった。
「報告、近くのスリア平原にて北部連合が獣人軍と交戦しているようです」
「あら…それは丁度いいわね」
まずは北部連合の本拠点であるモーガン公国を目指す…その最中、偵察に出ていたコスケから報告が上がった。
それを聞いた《皇帝の剣》総大将、リーデ様は渡りに船と頷く。
ここで援護して恩を売っておけば北部連合にも後々受け入れられやすいとの判断だ。
各将も同意、見捨てる道理はないと進路変更しスリア平原へと急行した次第である。
「うへぇ…あいつらが獣人かあ…」
「初めて見るがまるで怪物のような姿なのだな…」
スリア平原に到着した我らの眼前に飛び込んできたのは見たこともない異形の部隊。
呻くように言ったヴェマ殿とロミィ殿と同様、わしもまるで妖怪変化のような姿だと第一印象を受けた。
緑色の肌の巨漢、その膝丈くらいまでの背丈しかない小鬼、狼や蜥蜴などが人の形を取ったような者…
「あの人型に近いのがオーク族とゴブリン族、狼がウルフェン族、蜥蜴がリザディアン族ですね」
世情に詳しいトウカ殿が解説する。
かつては大陸全土に生息していたのだがタイクーン登場の百年ほど前に大きな戦争が起き獣人種は全て迫害。
数を大きく減らし北の大地に棲み処を追いやられていったのだという。
それ以降はタイクーンの時代でもなりを潜めていたらしいのだが、近年ここにきて急に動きが活発化したようだ。
「一応公用語も通じるようですが…交渉してみますか?」
「無駄よ、敵軍への攻撃に容赦がない…完全に根絶やしにするための戦い方をしているわ」
トウカ殿の提案にリーデ様が軽く肩をすくめる。
おっしゃる通り、獣人軍は負傷し戦闘不能になった者でも捕虜とする気はなく一切の慈悲なく一撃を加えて抹殺していく。
その戦意は非常に高く、相手取っている北部連合は哀れなまでに劣勢を強いられているようだ。
あれと対話しろということになると無駄に使者の命を散らすだけの結果となるだろう。
であれば…やることは一つだ。
「全軍戦闘態勢!まずは鉄砲隊にて牽制、その後突撃し北部連合を援護します!」
ぴしりとリーデ様の号令が飛ぶと《皇帝の剣》は高い統率力で陣形を変更。
最前列にリカチ殿率いる猟兵隊がずらりと一列に構えた。その装備は弓から鉄砲へと変わっている。
「それじゃ、始めるとしようか!鉄砲隊、構え!」
火蓋が切られる。獣人軍は射程距離内…だが気付いてはいない。
おそらく鉄砲のことを知りすらしないだろう。あの時のマゴイチの気持ちがわかる気がした。
「放てぇっ!!」
轟音。
鉛玉の嵐が吹き荒れ、何が起こったのか理解する間もなく多数の兵力を瞬時に失った獣人軍は大混乱に陥る。
その隙を見逃さず先頭のロミリア隊が突撃、後にヴェマ隊が続いて敵陣を横腹から食い破っていく。
「ぬおお…!こ、これが噂に名高いヨルトミアの鉄砲の威力…!」
「これはすごい…うちも負けていられませんね、いきますよマクシフ」
鉄砲のあまりの威力に呆然としていた王都軍もすぐに気勢を取り戻し食らいついていく。
わしらも北部連合へ素性を示す軽い報を出した後、さらにその後へと続いた。
予想外の援軍と、理解不能の兵器、圧倒的に差のある兵力…交戦直後にして既にスリア平原の戦いは決着しつつあった。
―――…この白い騎兵が戦場に現れるまでは…
◇
「疾ィッ!」
危機を察知し意識が過去から現在に引き戻される。
再び振るわれる白刃…“再転生”する暇はおろか腰の刀を抜く暇すらない。
また軍配で受け止めるしかない…!
「くううっ…!」
いくら頑強なクリム鉄拵えの軍配でも元々こうして戦闘に使うものではない。
刀を受けた軍配はやがてめきめきと音を立て始めて首筋に死が迫る。冷や汗が背筋からどっと噴き出した。
それが首を飛ばす前に非力な小娘の全力をかけて白刃を弾き返す。次はない、次こそ打ち込まれたら死ぬ。
剣神はそれを見、今度はにまりと口元で弧を描く。
「やるな!それでこそ…!」
ぶわり…
勢いで剣神の深く被っていた行人包が翻ると美しい黒髪が拡がり、彫刻のように整った顔立ちが露になる。
推測を直感が裏付ける、この浮世離れした感じ…間違いなく“転生者”だ。
姿こそは少女ではあったもの背丈は今のわしよりもかなり大きい。“再転生”後のわしと同程度か。
そしてこの人外じみた美しさ、この総大将とは思えぬ行動、この比類なき野戦の強さ…
こんな武将はただ一人しかいない…戦国の世に生きる者なら誰もが知っている…
長尾景虎、またの名を不識庵謙信…上杉謙信…!
“剣神”とは“謙信”のことだ…今まで抱えていた妙な引っかかりに納得した。
《皇帝の剣》が単騎で押し返されるはずだ。何せこの方は戦国の世において野戦最強…字面通り“桁が違う”。
彼女は一旦打ちかかる手を休め、心底嬉しそうに笑いながら話しかけてくる。
「まさかこの異界の地でもこうして相見えることになるとはな…もはや宿命という言葉だけでは軽すぎる」
軽く目を伏せ、剣神は白刃…姫鶴一文字を構え直しながら言葉を続けた。
「―――…お前もそう思わないか、晴信?」
「いえ、人違いでござる」
【続く】




